彼はきっと自分が叶えられなかった夢を、自分に叶えてほしいと思っているのだろう。そこは母と一緒…いや、成は母とは違う。娘の感情も、意思もなにもかも無視して、自分が夢見た人生を強調して、非難していた母と彼は違う。成は、ありのままの自分も認めてくれる、応援してくれる。だから…。


「うん、頑張る」


だから、自分も頑張りたい。ここまで応援してくれた彼に、どんな形でもいいから…恩返しがしたい。


「今日は気晴らしに連れてきてくれてありがとう。スッキリした気分だよ」


バイクを置いた場所まで並んで歩く途中、彩響が感謝の気持ちを伝えた。すると、成が「違う」と答えた。


「感謝する必要ないよ。俺が頭冷やしたかっただけだから」

「…頭冷やしたいことでもあったの?なんか悩み?」


成がその場に立ち止まる。そしてじっと彩響の顔を見つめる。その視線がなんだか熱くて、彩響はつい視線を逸らす。


「な、なに?」

「…悩み…あるよ。俺だって、悩みくらい」

「へえ、そうなんだ。どんなやつ?」

「今は教えない」

「え?」

「困らせたくないから。今は大丈夫」


なんだよ、自分から言い出しておいて…。文句を言う彩響のことは軽く無視して、成が手を差し出した。気持ちいい風が二人の間を通って行く。成はいつもの優しい笑顔を見せた。

「帰ろう、彩響」

「…うん、帰るか」

まあ、いつか話ししてくれる日がやってくるのだろう。
そう思いながら、彩響はバイクに体を乗せた。




一時期の逸脱も終わり、またいつも通りの生活が戻ってきた。目が覚めると会社に行って、仕事して、又戻ってくる。最初の数日は少しでも早く結果が知りたくて、まだ期間も残っているのに出版社のホームページを見たりもしたけど…それも忙しい日常に流れ、切実だった気持ちが徐々に薄くなってきた。
Mr. Pinkからの電話があったのも、丁度それくらいの時期だった。


「こんにちは」

「あ、ハニー、いらっしゃい。久しぶりだね」

もう何回も出入りしたおかげで結構慣れてきたオフィスのドアを押す。いつも通り挨拶をした彩響の目に、ソファーに座っている誰かが目に入った。その人も彩響に気付き、ソファーから立ち上がる。とても人の良さそうな感じで、表情も穏やかな中年女性だった。さっそく彼女が彩響の方へ早足で近づいてきた。


「あら、あなたが 『峯野彩響』さんですか?そうですよね?」