一瞬彩響を見た彼が、口を動かし、静かな声で何かを言った。口の形で、それが「遅くてごめん」と言っているのが分かった。

彩響を止め、成が二人の間に立つ。そして大きい声で、母に叫んだ。


「早くそのノート返せ、このクソババァ!これ以上こいつを殴ったら、俺がお前を殴るからな!」


突然現れた男に、母は一瞬動きを止めた。彩響も思わぬ展開に、ただその場に立っているだけで、なにも言えなかった。先に母が成を指で指しながら聞いた。


「な、なんなの?!彩響、この人誰?!」

「俺?俺は入居家政夫だ!俺の雇用主に手を出すな!これ以上暴れたらあのベランダから落とすぞ、気違い老いぼれ!」

「なっ…!」


面識もない人に「クソババ」「気違い」「老いぼれ」と暴言を言われ、母の顔がどんどん歪む。しかし成は止めなかった。彼はもっと大きい声で、もっと積極的に叫んだ。


「一体どの母親が娘をこんな扱いするんだ?母として尊敬されたいなら、先にお前が娘を丁寧に扱え!あんたのような女からこんないいやつが生まれたのが奇跡だ!」

「彩響!あんた正気なの?男の家政夫?こんな下品なやつ一体どこから拾って来たの?!」

「下品なのはあんたの方だろ!あんた、彩響が娘だから、絶対抵抗できないと思ってるからこんな勝手なことしてるんだろう!人選んで自分の汚い性格爆発させるこの卑怯なクソババ!さっさとくたばれ!」

「彩響!さっさとこの下品なやつを追い出しなさい!早く!」

「出て行くのはあんたの方だ!さっさとそれ返して消えろ!」


今回は成と母の乱闘が始まる。ノートを必死で奪い合い、再びノートを握った瞬間、母が食卓においてあった湯呑を投げた。まだ残っていたお茶が成の顔にかかり、それを見た彩響が悲鳴を上げた。成はそのまま床へ座り込んでしまった。


「成!」


慌てて成の顔を確認する。幸い、もう冷えていたため、特に怪我はなかった。成が急いで顔を手で拭き、又ぱっと立ち上がると、もう母はシンクの前に立っていた。狂気にあふれる目で、母が二人を睨む。その目を見た瞬間、彩響は体が震えるのを感じた。


一瞬嫌な予感がする。まさか、そんな…。


「いつまでもこんな愚かなことをするなら、母として又教えるしかないね!」

「お母さん、待って、やめて!!」

「あんたは作家になんか絶対なれない!なれるはずがない!いい加減現実を見なさい!」

「やめろ、やめろって言っただろ!!」


成が走る前に、母はノートを破り、シンクの中へ投げ、そして、そのまま…水を流した。薄い紙はなんの抵抗もできず、ただ水を吸い取っていくだけだった。成が母を突き飛ばし、ノートを取り出したけれど…もうすべてのページが一つになり、紙の固まりになっていた。

悲しみが、痛みが、怒りが、胸を刺す。一体いつまで、こんな感情を胸に抱いたまま生きていかなきゃいけないの?いつまで、いつまで…


「あ…あ…ああああああ!!」