背中で冷たい汗が流れる。焦って声が出ない。母はノートを手に取り、軽くページを捲る。それがなんなのか気づくには、そこまで長い時間は必要なかった。


「あんた、まだこんなふざけたことをしていたの??」

「ノートを、返してください。お母さん」

「こんなバカな真似はやめなさいって、お母さん言ってなかった?」


その言葉に、眠っていた記憶が甦る。母の叫び声、叩かれたときの痛み。それと同時に、心の奥から徐々に「怒り」という名の感情も顔を出した。それでも彩響は大声を出さず、ただ静かに、質問し返した。


「お母さんが私の夢をずたずたにした、あのノートのことですか?」

「夢?はっ、あんた一体何歳?その歳になってもまだ『夢』とか言ってる?あんたごときが作家になれるはずないでしょう?」

「作家になるとは一言も言ってません。だからそのノート返してください」

「いい?『夢』というのはね、「医者になる」とか、「弁護士になる」とか、もしくは「良いお嫁さんになります」とか。そういうのを夢というの。あんたのように、現実も知らずただ妄想するのは夢ではありません、ただのバカなの!」

「いいから、早くそれを返して!!!」

手を伸ばし、母からノートを奪おうとするが、母はそう簡単には渡さなかった。思いっきり突き飛ばされ、彩響は椅子と一緒に床へ倒れた。諦めず立ち上がると、今度はノートで顔を叩かれる。一瞬目の前が真っ白になり、周りが地震でも来たように揺れた。又痛い記憶が顔を出す。どうしても守れなかった、あのときの切ない夢…。

ーあの時と一緒だ。なにも抵抗できなかった、ただの弱い女の子。


(違う、私はもうただ泣くだけの女の子じゃない、もうあのときとは違う…!)


「返して、早く!!!!」

「あんたのような愚かなやつはもっと叩かれるべきよ、じゃないと永遠にこの有様でしょ!私があれだけ教えたのに、まだ分からないの?!」

「私はあんたのおもちゃでも、なんでもない!私はお母さんじゃない、お母さんが望む人生を私に強要しないで!!もう十分お母さんに言われた通り「現実」を見て生きてきたでしょ!」


もう一回、強い痛みが頭を刺激する。今度は本当に耐えられず、床へ座り込んでしまった。上から母の息巻く声が聞こえる。悔しさに耐えられず、狂気の目で娘を見下ろしていた。


「育ててあげた母親に、なによ、その態度…あんたなんか、どっかの孤児院にさっさと捨てればよかった!」

「じゃあそうすればよかったでしょ!こんなに振り回されるくらいなら、さっさと捨てられた方がマシだったよ!もうどうでも良いから、早くそれ返して、早く!!今更お母さんに子どもの頃殴られたことで、損害賠償金とか請求しないから!」

「こっ、この…!!」


もう一回母の手が上がる。もうこれ以上黙って叩かれない、そう思った彩響はぱっと立ち上がった。

母に向け口を開けた瞬間、誰かが彩響の肩を握った。振り向いたそこには、成が立っていた。