(まさか、自分がそんなことを言うとは…)


揺れる電車の中、彩響はぼんやりと会社での出来事を考えた。まさか、死ぬほどノーミスに命かけていた自分がそんなことを言うとは。


(…これが便器掃除の効果?)


いや、便器ちょっと拭いたくらいでなにか起きる訳がない。彩響は頭を振って、ぼんやりと外の風景を見つめた。もうすでに暗くなった外は、各場所から作り出す光でキラキラ光っていた。その光を目で追っていると、ある瞬間なにかが頭の中で閃いた。


ーそうだ、今日の出来事を物語にしたらどうだろ?


慌てて手帳とペンを出す。普段は絶対ミスを許さない主人公が、なにかをきっかけに少し周りのことや相手の事情を考えるようになる。そのきっかけとなるのは…便器掃除?いや、便器掃除はちょっと汚く感じるから…。あれだ、親友の話だ。主人公が親友の前ですごいミスをするけど、その親友が「人間誰しもミスはするでしょう」と言って…。サクサクと手帳のメモ帳に内容を書いていた手がふと止まった。


(…違う、これはここに書くべきじゃない)


ーこれは、「Treasure Note」に書く内容だ。

丁度車内に彩響の最寄り駅に着いたと案内放送が流れてきた。彩響は荷物を片付け、急いで電車から降りた。



「お帰り、今日も遅かっ…うん?」

「ただいま。ごめん、今ちょっと急いでるの」


家政夫さんの挨拶をスルーして、彩響は真っ先に自分の部屋へ入った。荷物を適当におろして、早速ベッドの下からノートを出す。頭の中の内容が消える前に、早く書かないと…急いで手を動かしていると、成がドアの隙間からチラッと顔を出した。


「ご飯出来てるぞ?」

「後にしてください」


彩響の姿を見て、成は意味深な笑顔を見せた。そしてなにも言わず、そのままドアを閉めた。

考え込んでいた話を全部書くには少し時間がかかった。書き込みが一段落して、リビングへ出ると、成が食卓に大きい鍋を運んできた。中には彩響の大好物が入っていた。


「あ、ビーフシチュー…」

「これ好きって言ったから、作ってみたよ」

「ありがとう、わざわざ。手のかかるやつなのに」

「いえいえ、早く食おうぜ」



美味しそうな匂いが食欲をそそる。成が皿に移してくれたシチューを一口食べた瞬間、もうそこからスプーンを止められなくなった。もぐもぐと食べていると、成が微笑ましく自分を見ているのに気付いた。ちょっと気まずくなり、一旦手を止めて聞いた。


「…なに?」