あまりにも期待していなかったこの状況に、彩響の思考が一瞬止まった。どうして彼がここにいるのか、そもそもこの人は本当に本人なのか、様々な考えが頭の中をぐるぐる廻る。しばらく時間が経ち、先に口を開けたのは成の方だった。


「俺に会いたがっている人がいると聞いて、ここへ来た」

「え…」


ずっと聞きたかった、優しい声に胸が騒めく。そしてそれと同時に、今自分が言った言葉を思い出して、彩響は顔が徐々に赤くなるのを感じた。


「い、今の話…聞いてたの?」

「ああ…うん、聞こえた」

(うそー!!!)


もうこれ以上は耐えられず、彩響はソファーから立ち上がった。その突発行動に焦った成がびっくりして聞いた。


「ど、どうした彩響?」

「私、もうここにはいられないから帰ります!」

「はあ?!俺に会いたくて来たんだろ?なんで本人が来たのにいきなり帰るんだよ?!」

「あーもう!どうでもいいから私を一人にして!」

「どうでもよくねえよ!」

「なによ!運動ばっかりしているから脳みそまで筋肉になったの?私の気持ちも察してよ、このバカ!」


ここまで叫んで、彩響はドアの方へダッシュした。恥ずかしくて、照れ臭くて、これ以上ここにいたら顔が爆発しそうだった。ドアノブに触れた瞬間、成が後ろから彩響を抱きしめた。強い力に引っ張られ、自然と手が止まる。成が自分の口を彩響の耳に近づけ、囁いた。


「…行くな、彩響。あんたは賢いから、俺の気持ちも察してくれよ…」

「……」


普段のハキハキした声とは全く違う。どこか切なく、そして必死なその声に、彩響も抵抗するのをやめた。軽く深呼吸をして、彩響は成の顔を見た。


「…メモを見たの。あなたが、Treasure Noteに隠しておいたもの」

「そう、それは良かった。いつ見つけてくれるか、ずっと気にしてたよ」


成が穏やかに笑う。そうだ、この顔だ。この顔がずっと見たかったんだ…。改めて実感すると、心臓の鼓動が早くなる。


「あなたが家を出て、なにもかも嫌になって…全部諦めようと思ったの。でも、メモを見つけて、あなたがもう一回背中を押してくれた気がした…だから、ここに来たよ」

「うん、そう言ってもらって嬉しい。それ、俺が辛い時、ずっと自分自身に聞いていたことだから。きっとあんたも俺と同じ気持ちになってくれると思ったよ」

「そして、私のメールを使って原稿を投稿したんでしょう?」

「えーと、ごめん。でも、あの時もし俺が別の出版社へ送ってみようっと言っても、きっと断ったんだろ?まあ…それにしても勝手なことして悪かった。今更だけど、謝るよ」