闇夜ヨルの恐怖記録 1

☆☆☆

放課後の踊り場で前髪を整えて、一回ターンしてみる。


うん、悪くない。


顔もスタイルも、人に劣っているとは思っていないし、歌だって練習すればきっとうまくなる。


誰もいない踊り場でミハルはまたステップを踏み始めた。


口ずさんでいるのは最近人気の5人組アイドルユニットの最新曲だ。


彼女たちのファンであるミハルは誰よりも早く楽曲をダウンロードして、MVも何度も見て、振り付けも覚えた。


ただ、家でダンスや歌の練習をしていたら両親にうるさいと怒られるから、学校の踊り場を使うしかないのだ。


「あぁ、ダメだ。やっぱり放課後になるとお腹が減ってダンスなんて練習できないよ」


曲の途中まで踊ったミハルはそう言って踊るのをやめた。


さっきから腹の虫が鳴いている。


こういう時に浮かんでくるのはやっぱり甘いスイーツだった。


イチゴのショートケーキに、チョコレートケーキ、チーズケーキも美味しいよね。


次々に浮かんでくるケーキに自然と頬がほころぶ。


「やっぱり私にはパティシエの方が向いているのかなぁ?」


呟きながらカバンを持って階段を駆け下りていく。


今日のオヤツはなんだろう。


早く帰ってなにか食べたい。
中学校では行き帰りでの寄り道が禁止されているから、通学路の途中でコンビニがあっても本屋があっても立ち寄ることはできない。


制服のままどこかへ遊びに出かけることも許されていない。


もしも学校にバレたら補導室に呼ばれてしまうのだ。


授業中に補導室へ来なさいとアナウンスされるのはとても恥ずかしい。


男子の中にはそれをステータスのように思っている子もいるようだけれど、ミハルには全然わからなかった。


早足で家へと急いでいると、前方からダックスフントを連れた女性が歩いてくるのが見えた。


背の低いダックスはちょこちょこと一生懸命足を動かして歩いている。


「わぁ、可愛い!」


お腹が空いていることも忘れて思わず駆け寄っていく。


20代前半くらいの女性がミハルに挨拶をして立ち止まってくれた。


「触ってもいいですか?」


「えぇ、どうぞ」


優しく言われて、ミハルはその場にしゃがみこんでダックスの頭をなでた。


毛は短いけれど、フワフワしていて温かい。


ダックスはミハルに撫でられると心地よさそうに目を細めた。


本当に可愛い!
触れば触るほどミハルの胸の中に愛情が湧いてくる。


動物は元々好きだけれど家で飼ったことはない。


借家だから飼うことはできないんだと、両親から言われていた。


「触らせてくれてありがとうございます」


好きなだけダックスを撫で回したミハルは満足感で満たされていた。


動物に触れることができるのはふれあい動物園に行った時だけだ。


でも、動物に関する仕事に付けば毎日でも犬や猫を撫でることができるんだ。


犬や猫だけじゃない、インコや亀もミハルは大好きだった。


そんな子たちと一緒に過ごすことのできる仕事なんてまるで夢のよう!


そう考えたミハルの脳裏に浮かんできたのはペットショップの店員だった。


もしくは獣医さん。


それにトリマーやブリーダーといった仕事もある。


いっそ動物園に務めるのも良いかもしれない。


考え始めると動物に関わる仕事は沢山あることが見えてきた。


この中のどれかひとつなら現実にすることができるんじゃない!?


ミハルはすっかりその気になって、アイドルやモデルや女優、パティシエのことなんて少しも思い出さなかったのだった。
☆☆☆

家に戻って夕飯の準備を手伝っているとき、隣で鍋をかき回していたお母さんが「あらミハル、随分手際がよくなってきたわね」と微笑んだ。


手でレタスを千切っていたミハルは手を止めて「え、そう?」と、高揚した声を上げる。


「うんうん。その調子その調子」


鍋の中ではミハルの大好きなカレーがグツグツと煮えてきている。


それを見ながらミハルは女料理人もいいかもしれないと思い始めた。


カレーやシチューはもう作れるようになっているし、簡単な煮物料理も作ることができる。


卵焼きはまだ少し失敗するけれど、でも練習すればきっとすぐにできるようになる。


「ちょっとミハル、そこまでレタスはいらないわよ」


お母さんの声に我に返るとまな板の上はこんもりとレタスの山ができていた。


ついぼーっとして手元を見ていなかった。


「ところで、今日もダンスの練習をしてきたの?」


ガスの火を止めたお母さんに聞かれてミハルは曖昧に頷いた。


「してたけど、途中でどうしてもお腹が減って帰ってきたの」


ミハルは食べるぶんだけのレタスを水洗いしながら答えた。


「あら、それにしては少し遅かったじゃない?」


「うん。途中で散歩中の犬を撫でさせてもらってたの」


そう答えてから、自分が動物関係の仕事に付きたいと考えていたことを思い出した。
犬の話を聞いたお母さんがミハルの前で腰に手を当てる。


少し怒っているときの仕草だ。


ミハルは「なに?」と首を傾げた。


「それで、ミハルはなんて思ったの?」


「え?」


「犬を撫でてきたんでしょう?」


「うん。動物に関わる仕事もいいなぁって思った。でも今は女料理人がいいかな」


「女料理人?」


「そう。だって私手際がいいんでしょう?」


自信満々にそう言うと、お母さんは呆れたため息を吐き出した。


ミハルはまばたきをしてお母さんを見つめる。


「あのねミハル。夢を持つことはいいことだけど、あれもこれもは叶わないのよ?」


なにか、似たようなことを学校で言われた気がする。


「でも、沢山夢を持っていればどれかひとつが叶うかもいれないじゃん」


「そうだけど、沢山ありすぎるとひとつのことを追いかけられないでしょう?」


お母さんの言葉にミハルは首をかしげる。


そうなのかな?


全部の夢に向けて毎日少しずつ頑張れば叶う気がするけれどな。


「とにかく、今はどれかひとつの夢に絞る努力をしなさい」


お母さんにそう言われ、ミハルは「はぁい」と、気のない返事をしたのだった。
☆☆☆

アイドル、モデル、女優、パティシエ、トリマー、獣医さん、動物園の飼育員、ブリーダー、女料理人。


あとなんだっけ?


あ、漫画家と小説家。


それからなんだっけ?


お母さんに言われたとおり夢をひとつに絞ろうと思ってノートに書き出しているのだけれど、そもそもどれだけの夢を持っていたのか思い出せない。


途中で忘れてしまった夢も沢山ある。


「この中からひとつに決めるなんて無理だよ」


とりあえず書き出してみた夢を見つめて呟く。


どれもこれも輝かしく見えて、諦めるにはもったいない仕事ばかりだ。


これらの仕事につくことができたら、きっと幸せな毎日を送ることができるはずだ。


「あ~あ、いっそ全部の夢が叶えばいいのに」


口に出して言ってみて、ふっと笑う。


さすがにそんなことは無理だとわかっている。


獣医さんをしながらモデルをして、ドラマにも出て、料理を作るなんてこと。


お母さんが言うように、夢が多すぎると本当にひとつも叶えることができなくなるんだろうか?


考えてみても、ミハルには難しくてよくわからない。


すでに将来の夢を定めて頑張っている子もいるけれど、ミハルにはまだそれは難しそうだった。


「頭使ったら眠くなっちゃった」


まだ夜の10時前だったけれど、ミハルは大きくあくびをしてベッドに潜り込んだのだった。

翌朝の登校時間中、ミハルは大好きなアイドルの歌を口ずさんでいた。


カバンを持っている両手は自然と振り付けを踊ってしまう。


やっぱりアイドルがいいかな。


可愛い衣装を着てステージに立つのって素敵。


上機嫌でその場でターンをしてみたとき、狭い路地にギラリと光る2つの目玉を見つけてミハルは小さく悲鳴をあげていた。


思わずその場に立ち止まって暗い路地へ視線を向ける。


すると暗闇の空気が動き、一人の老婆が姿を現した。


腰が曲がっている小さな老婆は紺色の服を着ていて、それが暗闇と同化してしまい、目玉だけ浮かんでいるように見えたみたいだ。


目玉の正体がわかったミハルはホッと大きくため息を吐き出した。


あぁ、びっくりした。


「そこのお嬢さん。ちょっと道をお尋ねしたいんじゃがの」


老婆がしわがれた声で言った。


「どこへ行きたいんですか?」


「孫が働いている市立図書館へ行きたいんじゃ」


「市立図書館なら、この大通りを真っ直ぐ行って、右手にありますよ。歩いて5分くらいだから、お婆ちゃんならもう少しかかるかもしれません。あと、図書館が開く時間は10時だから、まだ少し早いかもしれないですよ? 図書館の前にはベンチが設置されているし、公園もあるけど、オススメは隣の喫茶店です。朝早くから開いているし、紅茶がとっても美味しいですよ!」


ミハルは自分の知っている情報をできるだけ詳しく教えてあげた。
老婆はこれから孫に会いに行くようだけれど、その前にどこかで時間を潰した方が良いと思ったからだ。


おばあさんがひとりでずっと外にいるのは危ないに、体がしんどくなるかもしれない。


それなら喫茶店が最適だ。


そんな考えが一瞬にして頭の中に浮かんできた。


「おやおや、こんなに親切に教えてくれるなんて、ありがとうね」


老婆はしわしわの顔を更にしわしわにして微笑んだ。


最初は少し怖いと感じたけれど、そうやって笑顔を向けられると可愛いおばあちゃんだと感じる。


ミハルは少し照れて頬を赤らめ、頭をかいた。


胸の中がくすぐったい感じがする。


「お嬢さん警察官に向いているんじゃないかい?」


そう言われてミハルの胸が高なった。


警察官。


それもいいかもしれない。


今みたいに困っている人の手助けをするんだ。
自分が警察官の制服を着ている姿を想像して気持ちが高揚してくるのを感じた。


私の本当の夢は警察官だったのかも。


そんな風に感じ始めたとき、老婆が大きなバッグの中から瓶を取り出してミハルに握らせた。


「優しくいお嬢さんにキャンディーをあげる」


「キャンディー?」


手のひらに収まるくらいのサイズの瓶の中には、色とりどりの丸いキャンディーが入っている。


太陽にかざしてみるとキラキラと輝いてとても綺麗だ。


「でも、これはおばあちゃんのオヤツでしょう? 私が取っちゃ悪いです」


「いいのいいの。このキャンディーもお嬢さんに食べられたがっているみたいだか
らねぇ」


老婆の言葉にミハルはマジマジとキャンディーを見つめた。


キャンディーが私に食べられたがっているって、一体どういう意味だろう?


「いいかい? このキャンディーは眠る前にひとつだけ食べるんだ。そうすると、自分の夢が現実になったときの夢を見ることができる。不思議なキャンディーなん
だよ」


「自分の夢が現実に!?」


「あぁ。ただし夢の中の話だよ? 夢のを叶えた自分の姿を夢の中で見ることができる。そういうキャンディーさ」


素敵!