闇夜ヨルの恐怖記録 1

「みんな……」


人間接着剤の力を借りてみんなの心を動かした。


そんな自分にこんなに優しい言葉をかけてくれるなんて思ってもいなかった。


胸の奥がジワリと暖かくなり、それが涙腺を刺激した。


涙の膜のせいで視界が滲んでみんなの顔が歪んでみえる。


「なに泣いてんの。変な子」


トオコのぶっきらぼうでも優しい声が聞こえてくる。


「トオコが美味しいチョコレート持ってきてくれてるよ」


「それを食べたらきっと元気になるって!」


ハルナとカナがセイコの背中を痛いほど叩いて元気づける。


「みんな……ごめんね。ありがとう」


泣き笑いの顔を浮かべて、セイコはそう言ったのだった。
☆☆☆

こんにちは闇夜ヨルです。


今回のお話は人間接着剤。


この接着剤は本当に効果があるみたいだね。


ちょっと欲しいと思っちゃったりした?


でも、そんなものに頼らなくても友達を作ることはできる。


セイコちゃんがいい結果になって本当によかったよ。


さて、次は誰の恐怖体験を覗き見しようかな?
ミハルは踊り場の鏡の前で右手をマイクを持つように軽く握り、足で左右にステップを踏んで、鼻でハミングをした。


鏡の中のミハルもそれと同じように軽快に動いている。


「ミハル、なにしてるの?」


同じ2年C組のマイコとチアキがやってきて、不思議そうに声をかけた。


「見てわからない? 練習だよ」


「練習?」


マイコが首をかしげると、短い髪の毛がサラリと頬にかかった。


「体育でダンスとかあったっけ?」


メガネでお下げ髪のチアキが呟く。


「体育の授業なんかじゃないよ。私は将来アイドルになるんだから、それの練習!」


ミハルはステップをやめて2人の前で腕組みをした。


長い髪の毛はポニーテールにされていて、赤いリボンで結んである。


「あれ? ミハルの将来の夢ってモデルじゃなかった?」


「え? 女優さんでしょう?」


マイコとチアキは口々に言って更に首を傾げてしまった。


「もう! そんなのどっちでも良いの! っていうか、今はアイドルも女優もモデルもする人沢山いるでしょう!?」


「それはそうだけどさ……」


ミハルの剣幕にチアキが後退りをする。
「夢はちゃんとひとつに決めた方がいいよ?」


マイコに言われて、ミハルは思わず睨みつける。


「ひとつに決めてそれが叶わなかったらどうするの?」


「でも、あれもこれも追いかけたんじゃ、なにも叶わないかもしれないじゃない?」


「そうそう! 二兎を追うものは一兎を得ずって言うし」


チアキが言ったことわざにミハルはキョトンとした表情になって「なにそれ?」と、首を傾げた。


チアキとマイコの2人は顔を見合わせて呆れたため息を吐き出す。


「ミハルの夢、それだけじゃないでしょう?」


マイコに言われて、ミハルは胸を張って大きく頷いた。


「甘い物が好きだから、パティシエとかもいいかもって思ってるよ」


ミハルはスイーツが大好きだ。


特に色々な種類があって、見た目も可愛いケーキが大好き。


「パティシエになったら毎日でもケーキが食べられるし、そんな素敵な仕事他にはないよ!」


ミハルはそう言いながら口の中に唾が溜まっていくのを感じていた。


頭の中には色とりどりのケーキが浮かんできていて、そのどれもを食べてみたかった。


「ミハルってば、パティシエになると自分で作らないといけないんだよ? ケーキ、つくったことあるの?」


チアキに冷静なツッコミを入れられてミハルは口ごもった。


「それは、まだだけど。でも時間はまだまだたっぷりあるんだから、これから作り始めれば間に合うよ!」


「確かに時間はあるけど、ミハル本当にケーキ作りなんてするの?」


マイコは疑わしそうな視線をミハルへ向けている。
ミハルはムッと頬を膨らませて「するに決まってるでしょう!?」と言い残すと、トイレに逃げていってしまった。


残されたマイコとチアキの2人は顔を見合わせてため息を吐き出す。


中学2年生ともなると色々なものが見えてきて、夢が叶うかどうかもなんとなくわかってきてしまう。


それでも挑戦しようとしているミハルの姿勢はすごいと思う。


ただ、夢が定まらないのだ。


つきさっきまでアイドルになるために踊り場で練習していたのに、ミハルはすっかりそのことを忘れてしまっている。


「一ヶ月前には小説家になるって言って、物語を書いてたよね」


2人はC組の教室へ向かって歩きながら会話を続ける。


「うん。あれも結局未完結のままでしょう?」


「だよね。その前は漫画家。その前は映画監督。ミハルの夢はどんどん変わって、一体なにになりたいのか全然わかんない」


マイコはそう言うとお手上げと言う様子で肩をすくめた。


「でもさ、あれでひとつでも夢が叶ったらすごいよね」


チアキはミハルの夢が叶うなんて信じていない様子で言う。


マイコはそれを聞いて笑いだした。


「ほんとだね」


2人はクスクスと笑いあい、C組の教室へと消えていったのだった。
☆☆☆

放課後の踊り場で前髪を整えて、一回ターンしてみる。


うん、悪くない。


顔もスタイルも、人に劣っているとは思っていないし、歌だって練習すればきっとうまくなる。


誰もいない踊り場でミハルはまたステップを踏み始めた。


口ずさんでいるのは最近人気の5人組アイドルユニットの最新曲だ。


彼女たちのファンであるミハルは誰よりも早く楽曲をダウンロードして、MVも何度も見て、振り付けも覚えた。


ただ、家でダンスや歌の練習をしていたら両親にうるさいと怒られるから、学校の踊り場を使うしかないのだ。


「あぁ、ダメだ。やっぱり放課後になるとお腹が減ってダンスなんて練習できないよ」


曲の途中まで踊ったミハルはそう言って踊るのをやめた。


さっきから腹の虫が鳴いている。


こういう時に浮かんでくるのはやっぱり甘いスイーツだった。


イチゴのショートケーキに、チョコレートケーキ、チーズケーキも美味しいよね。


次々に浮かんでくるケーキに自然と頬がほころぶ。


「やっぱり私にはパティシエの方が向いているのかなぁ?」


呟きながらカバンを持って階段を駆け下りていく。


今日のオヤツはなんだろう。


早く帰ってなにか食べたい。
中学校では行き帰りでの寄り道が禁止されているから、通学路の途中でコンビニがあっても本屋があっても立ち寄ることはできない。


制服のままどこかへ遊びに出かけることも許されていない。


もしも学校にバレたら補導室に呼ばれてしまうのだ。


授業中に補導室へ来なさいとアナウンスされるのはとても恥ずかしい。


男子の中にはそれをステータスのように思っている子もいるようだけれど、ミハルには全然わからなかった。


早足で家へと急いでいると、前方からダックスフントを連れた女性が歩いてくるのが見えた。


背の低いダックスはちょこちょこと一生懸命足を動かして歩いている。


「わぁ、可愛い!」


お腹が空いていることも忘れて思わず駆け寄っていく。


20代前半くらいの女性がミハルに挨拶をして立ち止まってくれた。


「触ってもいいですか?」


「えぇ、どうぞ」


優しく言われて、ミハルはその場にしゃがみこんでダックスの頭をなでた。


毛は短いけれど、フワフワしていて温かい。


ダックスはミハルに撫でられると心地よさそうに目を細めた。


本当に可愛い!
触れば触るほどミハルの胸の中に愛情が湧いてくる。


動物は元々好きだけれど家で飼ったことはない。


借家だから飼うことはできないんだと、両親から言われていた。


「触らせてくれてありがとうございます」


好きなだけダックスを撫で回したミハルは満足感で満たされていた。


動物に触れることができるのはふれあい動物園に行った時だけだ。


でも、動物に関する仕事に付けば毎日でも犬や猫を撫でることができるんだ。


犬や猫だけじゃない、インコや亀もミハルは大好きだった。


そんな子たちと一緒に過ごすことのできる仕事なんてまるで夢のよう!


そう考えたミハルの脳裏に浮かんできたのはペットショップの店員だった。


もしくは獣医さん。


それにトリマーやブリーダーといった仕事もある。


いっそ動物園に務めるのも良いかもしれない。


考え始めると動物に関わる仕事は沢山あることが見えてきた。


この中のどれかひとつなら現実にすることができるんじゃない!?


ミハルはすっかりその気になって、アイドルやモデルや女優、パティシエのことなんて少しも思い出さなかったのだった。
☆☆☆

家に戻って夕飯の準備を手伝っているとき、隣で鍋をかき回していたお母さんが「あらミハル、随分手際がよくなってきたわね」と微笑んだ。


手でレタスを千切っていたミハルは手を止めて「え、そう?」と、高揚した声を上げる。


「うんうん。その調子その調子」


鍋の中ではミハルの大好きなカレーがグツグツと煮えてきている。


それを見ながらミハルは女料理人もいいかもしれないと思い始めた。


カレーやシチューはもう作れるようになっているし、簡単な煮物料理も作ることができる。


卵焼きはまだ少し失敗するけれど、でも練習すればきっとすぐにできるようになる。


「ちょっとミハル、そこまでレタスはいらないわよ」


お母さんの声に我に返るとまな板の上はこんもりとレタスの山ができていた。


ついぼーっとして手元を見ていなかった。


「ところで、今日もダンスの練習をしてきたの?」


ガスの火を止めたお母さんに聞かれてミハルは曖昧に頷いた。


「してたけど、途中でどうしてもお腹が減って帰ってきたの」


ミハルは食べるぶんだけのレタスを水洗いしながら答えた。


「あら、それにしては少し遅かったじゃない?」


「うん。途中で散歩中の犬を撫でさせてもらってたの」


そう答えてから、自分が動物関係の仕事に付きたいと考えていたことを思い出した。