それでも、楽しさを知ってしまった今、トオコたちの話し声が胸に突き刺さってくる。
その声から逃げるように文庫本に視線を落としたとき、「なぁ」と、後からぶっきらぼうな声が聞こえてきた。
どうせ自分以外の誰かに声をかけたんだろう。
このクラスに仲のいい友人なんていないんだから。
そう思ったが、今度は肩を叩かれた。
間違いない、今のは私に声をかけてきたんだ。
そう思うと瞬間的に胸が踊って勢いよく振り向いた。
そこに立っていたのはユウキで、目が合った瞬間心臓が大きく跳ねた。
思わず視線をそらしてうつむいてしまう。
「これ、落ちてたから」
ユウキが机に置いたのは消しゴムだった。
いつの間に落としたのか、気が付かなかった。
「ありがとう」
感謝の言葉も消え入ってしまいそうだ。
「あのさ」
続けて言われてセイコはゆるゆると顔をあげた。
今はメークもやめてしまって、顔を見られるのは少し恥ずかしかった。
「みんなと話したりしないのか?」
ユウキにそう聞かれて、セイコはまたうつむいてしまった。
こんな暗くて地味で目立たない自分と友達になってくれる子なんていない。
そんなの、ユウキだってわかってるはずなのに。
答えられずにいたとき、トオコたち3人が近づいてきた。
トオコはどこか気まずそうな表情を浮かべている。
「私でよければ、友達になろうよ」
トオコの口からそんなことを言われてセイコは目を見開いた。
咄嗟には返事ができなくて固まってしまう。
「一人ぼっちって寂しいよね。その気持ち、よくわかるから」
「トオコ……」
「それに、私も自慢ばかりして、そういうのみんなから見たらどうだったのかなぁって、考えたりしたんだよね。それが原因でハルナとカナが遠ざかっちゃったのかなぁって」
セイコは下唇を噛みしめる。
2人がトオコから離れた理由を、トオコはすでに知っているはずだ。
引き剥がし剤を使ってすぐに、友人たちはトオコの元へ戻って行ったのだから。
「私達も、セイコと仲良くなりたい」
「セイコとおしゃべりするのも結構楽しかったよね」
ハルナとカナが照れくさそうに言う。
「みんな……」
人間接着剤の力を借りてみんなの心を動かした。
そんな自分にこんなに優しい言葉をかけてくれるなんて思ってもいなかった。
胸の奥がジワリと暖かくなり、それが涙腺を刺激した。
涙の膜のせいで視界が滲んでみんなの顔が歪んでみえる。
「なに泣いてんの。変な子」
トオコのぶっきらぼうでも優しい声が聞こえてくる。
「トオコが美味しいチョコレート持ってきてくれてるよ」
「それを食べたらきっと元気になるって!」
ハルナとカナがセイコの背中を痛いほど叩いて元気づける。
「みんな……ごめんね。ありがとう」
泣き笑いの顔を浮かべて、セイコはそう言ったのだった。
☆☆☆
こんにちは闇夜ヨルです。
今回のお話は人間接着剤。
この接着剤は本当に効果があるみたいだね。
ちょっと欲しいと思っちゃったりした?
でも、そんなものに頼らなくても友達を作ることはできる。
セイコちゃんがいい結果になって本当によかったよ。
さて、次は誰の恐怖体験を覗き見しようかな?
ミハルは踊り場の鏡の前で右手をマイクを持つように軽く握り、足で左右にステップを踏んで、鼻でハミングをした。
鏡の中のミハルもそれと同じように軽快に動いている。
「ミハル、なにしてるの?」
同じ2年C組のマイコとチアキがやってきて、不思議そうに声をかけた。
「見てわからない? 練習だよ」
「練習?」
マイコが首をかしげると、短い髪の毛がサラリと頬にかかった。
「体育でダンスとかあったっけ?」
メガネでお下げ髪のチアキが呟く。
「体育の授業なんかじゃないよ。私は将来アイドルになるんだから、それの練習!」
ミハルはステップをやめて2人の前で腕組みをした。
長い髪の毛はポニーテールにされていて、赤いリボンで結んである。
「あれ? ミハルの将来の夢ってモデルじゃなかった?」
「え? 女優さんでしょう?」
マイコとチアキは口々に言って更に首を傾げてしまった。
「もう! そんなのどっちでも良いの! っていうか、今はアイドルも女優もモデルもする人沢山いるでしょう!?」
「それはそうだけどさ……」
ミハルの剣幕にチアキが後退りをする。
「夢はちゃんとひとつに決めた方がいいよ?」
マイコに言われて、ミハルは思わず睨みつける。
「ひとつに決めてそれが叶わなかったらどうするの?」
「でも、あれもこれも追いかけたんじゃ、なにも叶わないかもしれないじゃない?」
「そうそう! 二兎を追うものは一兎を得ずって言うし」
チアキが言ったことわざにミハルはキョトンとした表情になって「なにそれ?」と、首を傾げた。
チアキとマイコの2人は顔を見合わせて呆れたため息を吐き出す。
「ミハルの夢、それだけじゃないでしょう?」
マイコに言われて、ミハルは胸を張って大きく頷いた。
「甘い物が好きだから、パティシエとかもいいかもって思ってるよ」
ミハルはスイーツが大好きだ。
特に色々な種類があって、見た目も可愛いケーキが大好き。
「パティシエになったら毎日でもケーキが食べられるし、そんな素敵な仕事他にはないよ!」
ミハルはそう言いながら口の中に唾が溜まっていくのを感じていた。
頭の中には色とりどりのケーキが浮かんできていて、そのどれもを食べてみたかった。
「ミハルってば、パティシエになると自分で作らないといけないんだよ? ケーキ、つくったことあるの?」
チアキに冷静なツッコミを入れられてミハルは口ごもった。
「それは、まだだけど。でも時間はまだまだたっぷりあるんだから、これから作り始めれば間に合うよ!」
「確かに時間はあるけど、ミハル本当にケーキ作りなんてするの?」
マイコは疑わしそうな視線をミハルへ向けている。
ミハルはムッと頬を膨らませて「するに決まってるでしょう!?」と言い残すと、トイレに逃げていってしまった。
残されたマイコとチアキの2人は顔を見合わせてため息を吐き出す。
中学2年生ともなると色々なものが見えてきて、夢が叶うかどうかもなんとなくわかってきてしまう。
それでも挑戦しようとしているミハルの姿勢はすごいと思う。
ただ、夢が定まらないのだ。
つきさっきまでアイドルになるために踊り場で練習していたのに、ミハルはすっかりそのことを忘れてしまっている。
「一ヶ月前には小説家になるって言って、物語を書いてたよね」
2人はC組の教室へ向かって歩きながら会話を続ける。
「うん。あれも結局未完結のままでしょう?」
「だよね。その前は漫画家。その前は映画監督。ミハルの夢はどんどん変わって、一体なにになりたいのか全然わかんない」
マイコはそう言うとお手上げと言う様子で肩をすくめた。
「でもさ、あれでひとつでも夢が叶ったらすごいよね」
チアキはミハルの夢が叶うなんて信じていない様子で言う。
マイコはそれを聞いて笑いだした。
「ほんとだね」
2人はクスクスと笑いあい、C組の教室へと消えていったのだった。
☆☆☆
放課後の踊り場で前髪を整えて、一回ターンしてみる。
うん、悪くない。
顔もスタイルも、人に劣っているとは思っていないし、歌だって練習すればきっとうまくなる。
誰もいない踊り場でミハルはまたステップを踏み始めた。
口ずさんでいるのは最近人気の5人組アイドルユニットの最新曲だ。
彼女たちのファンであるミハルは誰よりも早く楽曲をダウンロードして、MVも何度も見て、振り付けも覚えた。
ただ、家でダンスや歌の練習をしていたら両親にうるさいと怒られるから、学校の踊り場を使うしかないのだ。
「あぁ、ダメだ。やっぱり放課後になるとお腹が減ってダンスなんて練習できないよ」
曲の途中まで踊ったミハルはそう言って踊るのをやめた。
さっきから腹の虫が鳴いている。
こういう時に浮かんでくるのはやっぱり甘いスイーツだった。
イチゴのショートケーキに、チョコレートケーキ、チーズケーキも美味しいよね。
次々に浮かんでくるケーキに自然と頬がほころぶ。
「やっぱり私にはパティシエの方が向いているのかなぁ?」
呟きながらカバンを持って階段を駆け下りていく。
今日のオヤツはなんだろう。
早く帰ってなにか食べたい。
中学校では行き帰りでの寄り道が禁止されているから、通学路の途中でコンビニがあっても本屋があっても立ち寄ることはできない。
制服のままどこかへ遊びに出かけることも許されていない。
もしも学校にバレたら補導室に呼ばれてしまうのだ。
授業中に補導室へ来なさいとアナウンスされるのはとても恥ずかしい。
男子の中にはそれをステータスのように思っている子もいるようだけれど、ミハルには全然わからなかった。
早足で家へと急いでいると、前方からダックスフントを連れた女性が歩いてくるのが見えた。
背の低いダックスはちょこちょこと一生懸命足を動かして歩いている。
「わぁ、可愛い!」
お腹が空いていることも忘れて思わず駆け寄っていく。
20代前半くらいの女性がミハルに挨拶をして立ち止まってくれた。
「触ってもいいですか?」
「えぇ、どうぞ」
優しく言われて、ミハルはその場にしゃがみこんでダックスの頭をなでた。
毛は短いけれど、フワフワしていて温かい。
ダックスはミハルに撫でられると心地よさそうに目を細めた。
本当に可愛い!