疑問が胸の中に膨らんでいく。
それからもセイコは一人だった。
普段はすぐに近づいてくるハルナとカナは全然来てくれない。
今になって雑誌を広げたとき、教室中央から笑い声が聞こえてきて振り向いた。
そこにはトオコを中心にしてハルナとカナがいたのだ。
3人とも楽しそうな笑い声をあげている。
どうして!?
思わず勢いよく立ち上がり、3人の方へ近づいて行った。
「今日はどうしたの? なんで?」
2人へ視線を向けて質問するが、その声が震えてしまった。
ハルナとカナはお互いに目を見かわせた後、気まずそうに笑う。
「私達あんなに仲が良かったのに!」
思わず声が大きくなってしまい、慌てて口を閉じた。
「ごめんね。やっぱりトオコとの方が楽しいんだ」
「うん、私も」
ハルナとカナはそう言って苦笑いになった。
「そんな……」
セイコは愕然として後ずさりをした。
ハルナとカナは自分を驚かせようとして、あんなことをしているのかもしれない。
そう思い込もうとしたが、何度休憩時間になっても2人が「ドッキリでした!」と、言ってくることはなかった。
しばらく一人ぼっちで教室で過ごすことのなかったセイコにとって、誰もいない休憩時間は拷問のように辛かった。
特に長い休みのお昼は、自分がどう過ごしていたのか思い出そうと必死だった。
そして、トイレの個室にこもっていたことを思い出す。
当時の様子を思い出したセイコは青ざめた。
もう1度あんな場所に戻るなんて絶対に嫌だ。
なにがあっても、あんなことはしない。
セイコは足元をふらつかせながらユウキの元へ向かった。
ユウキならきっと一緒にいてくれる。
あれだけ優しい人なんだ。
私を一人になんてするわけがない。
ふらふらとした足取りでユウキへ近づき、笑顔を浮かべた。
「ユウキ、次の休みなんだけど、なにする?」
必死で明るい声を上げる。
私は孤独なんかじゃない。
寂しくなんてないし、可哀想でもない。
そう、クラスメートたちにアピールするために。
ユウキは困ったように眉を下げてセイコを見ると、大きく息を吸い込んだ。
「ごめん!」
頭を下げて言うユウキにセイコは微笑んだまま硬直してしまった。
「え、どうしたの? なんで謝っているの?」
聞きながらも嫌な予感が胸をよぎっていた。
これ以上突っ込んだ質問はしない方がいいと、もうひとりの自分が言っている。
「俺と別れてほしい!」
鈍器でガツンッ! と頭を殴られた気分だった。
周囲の喧騒がかき消えて、みなながこちらを見ているのがわかる。
「どう……して?」
さっきよりも声が震えて、聞き取れたかどうかも怪しかった。
「やっぱり俺、セイコよりトオコの方が好きなんだ」
ユウキの言葉に心臓が止まってしまうかと思った。
セイコより、トオコが好き。
そんな、どうしてこんなことになるの?
「ごめんね。私もユウキのことは譲れない」
いつの間にかトオコがやってきていて、ユウキの手を握りしめていた。
ユウキもトオコの手を握り返している。
その手のぬくもりは私だけのものだったはずなのに!!
愕然として近くの机に手をついた。
もう立っているのがやっとだ
「でも、サッカーは続けるよ。サンキュな」
そんな風に感謝されたくなかった。
ずっとずっとユウキの一番近くにいて、サッカーの応援をしたかった。
「あの2人、長く続くとは思わなかったよね」
「だよね。やっぱりトオコとの方がお似合いだもんねぇ」
そんな声が聞こえてきたので振り向いて睨みつけた。
会話はピタリと止まる。
だけどセイコは納得していなかった。
こんなのおかしい。
ハルナもカナもユウキも突然私から離れていくなんて、こんなことありえない。
醜くなった顔を見られたくなくてトイレに駆け込み、個室に鍵をかけた。
心臓は早鐘を打って、体中に嫌な汗をかいている。
汗でぬれた手でスマホを操作する。
みんなの態度が急変したのはきっとあの接着剤のせいだ。
効果が切れる期限があったとか、量が少なかったとか、そういうことのせいだ。
じゃないと納得できないことばかりだ。
人間接着剤を購入するキッカケになったSNSを探し出し、購入サイトへ飛ぶ。
そこで説明を再度読み直した。
《人間接着剤
この商品は人の心と心をくっつけることのできる商品です。
まず自分の手に接着剤をつけます。
その手で、仲良くなりたい相手と握手をします。
そうすればあなたの心と相手の心はしっかりとくっつくことになるでしょう》
ここまでは説明書に書かれていたのと同じものだ。
これ以外になにか情報がないだろうか?
そう思って読み進めてみても、1度くっつけた関係が離れることはないと書かれているだけだった。
使用量や効果のある期限については書かれていない。
だけどそんなことはないはずだ。
じゃないと突然効果が切れた理由がわからない。
血走った目で画面を凝視していると、類似商品の中に気になるものを見つけた。
「引き剥がし剤……?」
口に出して呟いた瞬間背筋がゾクリと寒くなった。
すぐにタップしてその商品を表示する。
《引き剥がし剤
この商品は人間接着剤でくっつけた人間関係を引き剥がすことができます。
人間接着剤を使って友達や恋人を取られてしまい、取り返したい時に有効です。
使い方は、この液を手に塗って人間接着剤を使った人と握手をするだけ》
「なによこれ!」
思わず悲鳴のような声を張り上げて、トイレ内に響き渡る。
スマホを持つ手が小刻みに震えて呼吸が苦しくなってきた。
そして昨日の放課後目の前でこけたトオコを助け起こしたことを思い出す。
あの時わざと私の前でこけたんだ!!
その手には引き剥がし剤が塗られていたに違いない!!
セイコは下唇を強く噛み締めた。
効果がなくなったのはトオコのせいだったんだ。
一人ぼっちになったトオコを可愛そうだと思ったことを、今では後悔している。
同情なんてしていなければ、昨日手を差し伸べることだってなかったのに。
幸いなことは人間接着剤がまだ残っていることだった。
明日忘れないように学校に持ってきて使わないといけない。
同じ人間に使うのは嫌だったけれど、こうなってしまうとどうしようもなかった。
セイコは奥歯をギリッと噛みしめる。
無駄に使わせやがって。
湧いてくる怒りを押し込めて、トイレから出たのだった。
放課後になると誰よりも先に教室を飛び出して昇降口へ走った。
靴を履き替えるのももどかしく外へ飛び出し、校門を抜ける。
こういう時に自転車学区ならよかったのにと感じる。
残念ながらセイコの家は学校から2キロしか離れていないため、自転車通学にはならなかった。
それでもできるだけ早く家に帰りたくて早足で歩道を歩く。
家の屋根が見えてきた頃には息が切れて、汗が額から流れてきていた。
それを気にする暇もなく玄関に入り、靴を脱ぎ散らかして階段を駆け上がる。
リビングから母親の声が聞こえてきたけれど答える余裕だってなかった。
自室に飛び込んで机に駆け寄り、引き出しを開ける。
中の物をひっくり返して接着剤を探すけれど、見当たらない。
ここじゃなかったっけ?
右側にある引き出しを開けてそこも調べる。
やっぱりない。
「入れておいたはずなのに!」
使い切っていない人間接着剤があるはずだ。
必ず!
そう思って必死に探しても接着剤は見つからない。
一番下の大きな引き出しの中にもなくてセイコはその場に立ち尽くした。
「なんでないの!?」
大声を張り上げて叫び、引き出しを取り出して文字通りひっくり返していく。
引き出しの奥の方へ入ってしまったのかと思ったが、それでも見つけることができなかった。
「ちょっとセイコ、大きな声をあげてどうしたの?」
セイコの声に気がついた母親がノックもせずに部屋に入ってくる。
そして荒れ放題の部屋を見て目を丸くした。
「なにしてるのあんた!」
「接着剤を探してるの!」
母親に怒鳴られたって気にならないくらい焦っていた。
あれがないと再びくっつくことができない!
「接着剤? あぁ、それからお母さんが借りたのよ」
その言葉にセイコは動きを止めて、マジマジと母親を見つめた。
「リビングの椅子の足が折れちゃったから」
何でもない様子の母親は、あれがどういうものなのか理解していないみたいだ。
「どうして勝手に人のものを使うの!?」
今にも掴みかかりそうな勢いで母親に駆け寄る。