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それから数日が経過してもハルナはトオコよりもセイコを優先させていた。
セイコにとってもそれが当たり前のことになりつつあって、トオコももうハルナをトイレに誘ったりはしなくなった。
「読書って結構時間かかるねぇ。びっくりしちゃった!」
ハルナはセイコのオススメした小説を読んでいるようだけれど、1日1ページくらいしか進んでいないらしい。
「だんだん慣れてくるよ」
「セイコは一冊の本をどのくらいで読むの」
「2日か3日くらいかな。長さとかにもよるけど」
「さすが読書家だね!」
ハルナはセイコが飽きないように話題を寄せてくれているので、会話もスムーズに続いていく。
そんなハルナに負けないように、セイコもメーク道具の勉強をするようになった。
自分でメークすることはないけれど、今ではメーク用品のメーカーくらいならわかるようになった。
こうして会話をしていると本当に自分とハルナは別世界の人間なのだと感じることもある。
そんな2人がこうして仲良くしていられるのは、あの接着剤のおかげで間違いない。
1日だけなら偶然ということもあったかもしれないけれど、もう一週間はこの関係が続いていている。
セイコとハルナの心は本当につながることができたのだ。
あの接着剤を使えばもっともっと沢山の友人を作ることができる!
セイコの心は躍っていた。
もう今までみたいに休憩時間を1人で過ごす必要はないんだ。
長い昼休憩をトイレの個室でやり過ごす必要だってない。
堂々と教室にいて、堂々と友達を笑い合うことができる。
本を読む時間は少なくなってしまったけれど、そんなこと関係ないと思えるくらいセイコの目の前は明るかった。
「中学生でメークしてない子ってどうなんだろうねぇ?」
いつも通りハルナと会話していたとき、トオコのそんな声が聞こえてきて会話が途切れてしまった。
とても大きかったその声に視線を向けると、トオコと視線がぶつかる。
しかもわざとらしく口角を上げて笑われた。
もしかしてさっきの言葉は私に向けて言ったの?
そう気がついて胸の奥から黒い感情が湧き上がってくるのを感じた。
「遅れてるよね。リップくらいつけてないと」
「わかる! 私もそう思う」
トオコとセイコの会話は続く。
「気にしなくていいよ。みんながメークする必要なんてないんだから」
ついうつむいてしまったセイコにハルナが声をかける。
「大丈夫だよ。あんなの気にしてないから」
早口でそう言ったとき、またトオコの声が聞こえてきた。
「見てこれ、お父さんに買ってもらったんだよ」
その声に見たくもないのにどうしても視線が向いてしまった。
トオコが手に持っているのはブランドものの財布だ。
中学生が買えるようなものじゃない。
高校生にだって、手が届かないかもしれない。
トオコの家は誰もが認めるお金持ちなのだ。
「いいなぁトオコ! 羨ましい!」
「私と友達のカナには今度お古を持ってきてあげるね」
「いいの!? やったぁ!」
2人の会話にハルナが一瞬悔しそうな表情を浮かべた。
「トオコのところに行ってもいいんだよ?」
試すようにセイコが言うと、ハルナは左右に首を振った。
「ううん。別に羨ましくなんてないよ。お古だなんて嫌だなって思っただけ」
ハルナはそう言い、気を取り直すように別の話題を始めたのだった。
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トオコは元々人気者で、少し自慢話しをしていたって気にならなかった。
それなのに今はどうしてこんなにイライラしているんだろう。
自宅に戻ったセイコは大きな足音を立てながら階段を上がり、自室に入ってすぐに悪口ノートを取り出した。
最近はなぜかイライラすることが増えてきていて、ノートはもうほとんど残っていない。
マジックを掴むと乱暴に文字を書きなぐる。
最初の頃は『ブズ』とか『バカ』と言った悪口だったけれど、今では1ページいっぱいに『死ね』と書いたりしている。
それがあまり良くないことだとわかっているのにやめられない。
散々ノートに悪口を書きなぐって、1ページが真っ黒に塗りつぶされたころ、セイコは鞄の中から人間接着剤を取り出した。
これがあれば自分はどこまでも友人を増やすことができる。
トオコよりもっともっと人気ものになることができる。
接着剤の量は少ないけれど、まだ1回しか使っていないし、なくなればまた買えばいい。
そう決めると心がスッと軽くなっていくのを感じた。
いつの間にかトオコへの憧れは妬みや執着へと変化していて、セイコはそれに気がつくこともなかったのだった。
翌日学校に到着したセイコはさっそく手のひらに接着剤を乗せた。
それは以前と同じようにサラサラしていて爽やかな香りがしている。
それを手になじませてからA組の教室に入り、登校してきているクラスメートたちを見回した。
トオコはまだ来ていないけれどカナはすでに来ていた。
ハンカチを手にトイレに向かおうとしているようで、入り口付近に立っていたセイコに近づいてきた。
セイコは咄嗟に右足を前に出し、足先でカナを引っ掛けてこかせていた。
カナが派手にコケた後、すぐに足を引っ込める。
「いったぁ」
顔をしかめて立ち上がりカナに手を差し出した。
「カナ大丈夫? なにかに躓いたの?」
さも自分が原因ではないというように、心配顔をつくって見せた。
セイコにこかされたと思っていたカナは怪訝そうな顔をセイコへ向けている。
それでもなにか別のものに躓いてしまったのだろうかと、周囲を確認した。
「ほら、立って」
「うん……」
首を傾げつつセイコの手を握りしめて立ち上がる。
その時、手のひらの接着剤すーっと体内へ吸収されていく感覚を覚えた。
「ありがと」
カナはぶっきらぼうに礼を言い、そのまま教室を出ていったのだった。
カナとセイコの心がくっつくのにそれほど時間はかからなかった。
カナがトイレから戻ってくると、そのままセイコの席へと向かってきたのだ。
「ねぇ、私も会話に混ぜてよ」
ハルナと一緒に昨日のテレビについて会話していると、そう声をかけてきた。
「もちろん」
セイコは頷いてカナを会話に加えた。
3人でおしゃべりをしている間にトオコが教室に入って来たけれど、誰もトオコに近づいては行かなかった。
カナの様子を見て愕然としているが、トオコがこちらに近づいてくることもなかった。
「カナってトオコと仲良かったじゃん。いいの?」
トオコが1人で座っているのを指差してセイコは聞く。
「いいのいいの。だってトオコは自慢ばかりなんだもん」
カナはそう言って笑い声を上げる。
こっちがカナの本心かもしれないと思うくらい、自然な返事だった。
セイコは1人ぼっちで座っているトオコを見て少し前の自分のようだと思った。
休憩時間に近寄ってきてくれる友人は1人もいない。
そう思うと少しだけ胸が痛んだけれど、トオコは今まで人気者だったんだから、少しは孤独を味わえばいいと思い直した。
そしてそんな感情も友人たちと会話している内に忘れていってしまったのだった。
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ハルナとカナと仲良くなったセイコは放課後になると色々なお店に立ち寄るようになった。
人気のスイーツ屋とか、街の本屋さんとか。
時々学校の近くのお店を巡回している先生に出くわして怒られたりもした。
普段こんなことをしてこなかったセイコにはどれもが新鮮で楽しい出来事だった。
「じゃ、また明日ね!」
この日も3人でコンビニに立ち寄ってアイスクリームを食べた。
その帰り道、1人になったところで前方を歩く同じ制服の男女の姿を見つけた。
その後ろ姿に見覚えのあったセイコは咄嗟に物陰に隠れて2人の様子を見つめた。
2人はT字路に差し掛かり、足を止めている。
「本当に大丈夫?」
この声はユウキだ。
ユウキの声をセイコが聞き間違えるわけがない。
「大丈夫だよ。私にはユウキがいるんだし」
答えたのはトオコ。
トオコの声は少しだけ涙で濡れているようだ。
「でも、ハルナもカナも急にどうしたんだろうな? なにかあったのか?」
その質問にトオコは首を傾げている。
どうやら、急に自分から離れて行った2人のことを相談していたみたいだ。
「またなにかあったら俺に言うんだぞ? 教室ではできるだけ一緒にいるから」
「うん、わかった」
トオコは素直に頷き、やがて2人は手を振って別々の道を歩き出した。
その様子を見ていたセイコはスカートをきつく握りしめた。
トオコは一人ぼっちになったのだと思っていた。
でも違う。
ちゃんとそばにいて、心配してくれている人がいる。
しかもそれはセイコが好きだった相手だ。
悔しさがこみ上げてきて下唇を噛みしめる。
絶対に許さない!
そんな感情に突き動かされるようにして、セイコは歩き出したのだった。
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帰宅してからすぐに悪口ノートに書き込んだけれど、気分はちっとも晴れなかった。
ついには最後の1ページまで真っ黒に塗りつぶされて書く場所がなくなってしまった。
「こんなんじゃダメだ。全然スッキリしない」
このノートが役に立たなくなったことなんて今まで1度もなかった。
愕然としながらノートを片付けて、今度は接着剤を取り出して見る。
やっぱりこれを使わないと私の気持ちは収まらなくなっているんだ。
これを浸かって、私とユウキとの結び付けないと……。
想像すると顔がニヤけた。
自分とユウキが並んで帰っている様子や、教室内で仲良く会話している様子が次々と浮かんでくる。
「これを使えば、ユウキと恋人同士になれる」
そう呟いたセイコはニヤリと笑ったのだった。