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やっぱり、人間の心と心をくっつけるなんて嘘だったんだ。
机に座り、自分の手のひらを見つめてそう思う。
てのひらに触れてみると接着剤のサラサラとした感触ももう残っていない。
サッパリ系のハンドクリームとかだったのかもしれない。
200円で安かったしまぁいいか。
そう思い直してセイコは文庫本を取り出したのだった。
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「ねぇ、一緒に食べない?」
昼休憩時間になって1人で食べようとしていたところにそう声をかけられて、セイコは顔を上げた。
目の前に給食を乗せたトレーを持っているハルナが立っている。
「え、私と?」
セイコは持っていた箸を置いて自分のことを指差して聞く。
「うん。ねぇいい?」
「い、いいけど」
頷きながらトオコたちへ視線を向ける。
トオコたちには先に話を済ませてあるようで、気にしている様子はなかった。
それならいいかと思い、「どうぞ」と答える。
ハルナは「やった!」と嬉しそうに言ってトレーをセイコの机の上に乗せ、自分の椅子だけ持ってきた。
1つの机で2人が食べるのは少し窮屈だったけれどこうして誰かと給食を食べるのは初めてで、気にならなかった。
「それでね、そこの化粧品がさぁ」
ハルナの話題は相変わらず化粧品のことばかりだ。
それでもセイコは「そうなんだ」とか「すごいね」とか一生懸命相槌を打って会話を続けた。
正直化粧品の話しは半分の理解できなかったけれど、友達と一緒にいる昼休憩時間はあっという間に終わっていった。
5時間目の授業が終わってからもセイコはまだ信じられない思いでいた。
自分には全く興味がないと思っていたハルナから声をかけられたのだ。
一緒にいる間は会話が途切れないようにハルナからずっと話しかけてくれていた。
これって、あの接着剤が本物で、私とハルナの心がくっついたってことでいいんだよね?
まだ信じられなくてセイコは手のひらを見つめる。
その時頭の後ろにコツンと軽い衝撃があって振り向いた。
後ろの席の男子が何かを差し出している。
受け取ってみるとそれは小さな紙だった。
《次の休憩時間はセイコの好きな本の話をしてね》
そう書かれた下にはハルナの名前が入れられている。
振り向くとハルナと視線が合って軽く手を振られた。
セイコはそれに手を振り返し、先生にバレる前にすぐに前を向いた。
そして膝の上でもう1度手紙を読み直す。
こんな風に授業中に内緒のやりとりをするのも実は憧れだったのだ。
セイコは笑みを我慢することができないまま、手紙を大切にポケットに入れたのだった。
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「ハルナ、トイレ行かない?」
休憩時間に入ってすぐトオコのそんな声が聞こえてきた。
トオコとカナはすでに出口へと向かっている。
声をかけられたハルナは一瞬迷った様子を見せたが「私はいいや。行っておいでよ」と告げるとそのままセイコの席へとやってきた。
「いいの?」
まだ教室の入口付近に立っているトオコたちへ視線を向けて聞く。
「いいのいいの。どうせトイレでメーク直すだけなんだし。それより、本について教えてよ」
ハルナの目はキラキラと輝き、本当にセイコに興味を持っているように見えた。
セイコは少しだけトオコに勝てたような気分になり、背筋を伸ばしたのだった。
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それから数日が経過してもハルナはトオコよりもセイコを優先させていた。
セイコにとってもそれが当たり前のことになりつつあって、トオコももうハルナをトイレに誘ったりはしなくなった。
「読書って結構時間かかるねぇ。びっくりしちゃった!」
ハルナはセイコのオススメした小説を読んでいるようだけれど、1日1ページくらいしか進んでいないらしい。
「だんだん慣れてくるよ」
「セイコは一冊の本をどのくらいで読むの」
「2日か3日くらいかな。長さとかにもよるけど」
「さすが読書家だね!」
ハルナはセイコが飽きないように話題を寄せてくれているので、会話もスムーズに続いていく。
そんなハルナに負けないように、セイコもメーク道具の勉強をするようになった。
自分でメークすることはないけれど、今ではメーク用品のメーカーくらいならわかるようになった。
こうして会話をしていると本当に自分とハルナは別世界の人間なのだと感じることもある。
そんな2人がこうして仲良くしていられるのは、あの接着剤のおかげで間違いない。
1日だけなら偶然ということもあったかもしれないけれど、もう一週間はこの関係が続いていている。
セイコとハルナの心は本当につながることができたのだ。
あの接着剤を使えばもっともっと沢山の友人を作ることができる!
セイコの心は躍っていた。
もう今までみたいに休憩時間を1人で過ごす必要はないんだ。
長い昼休憩をトイレの個室でやり過ごす必要だってない。
堂々と教室にいて、堂々と友達を笑い合うことができる。
本を読む時間は少なくなってしまったけれど、そんなこと関係ないと思えるくらいセイコの目の前は明るかった。
「中学生でメークしてない子ってどうなんだろうねぇ?」
いつも通りハルナと会話していたとき、トオコのそんな声が聞こえてきて会話が途切れてしまった。
とても大きかったその声に視線を向けると、トオコと視線がぶつかる。
しかもわざとらしく口角を上げて笑われた。
もしかしてさっきの言葉は私に向けて言ったの?
そう気がついて胸の奥から黒い感情が湧き上がってくるのを感じた。
「遅れてるよね。リップくらいつけてないと」
「わかる! 私もそう思う」
トオコとセイコの会話は続く。
「気にしなくていいよ。みんながメークする必要なんてないんだから」
ついうつむいてしまったセイコにハルナが声をかける。
「大丈夫だよ。あんなの気にしてないから」
早口でそう言ったとき、またトオコの声が聞こえてきた。
「見てこれ、お父さんに買ってもらったんだよ」
その声に見たくもないのにどうしても視線が向いてしまった。
トオコが手に持っているのはブランドものの財布だ。
中学生が買えるようなものじゃない。
高校生にだって、手が届かないかもしれない。
トオコの家は誰もが認めるお金持ちなのだ。
「いいなぁトオコ! 羨ましい!」
「私と友達のカナには今度お古を持ってきてあげるね」
「いいの!? やったぁ!」
2人の会話にハルナが一瞬悔しそうな表情を浮かべた。
「トオコのところに行ってもいいんだよ?」
試すようにセイコが言うと、ハルナは左右に首を振った。
「ううん。別に羨ましくなんてないよ。お古だなんて嫌だなって思っただけ」
ハルナはそう言い、気を取り直すように別の話題を始めたのだった。
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トオコは元々人気者で、少し自慢話しをしていたって気にならなかった。
それなのに今はどうしてこんなにイライラしているんだろう。
自宅に戻ったセイコは大きな足音を立てながら階段を上がり、自室に入ってすぐに悪口ノートを取り出した。
最近はなぜかイライラすることが増えてきていて、ノートはもうほとんど残っていない。
マジックを掴むと乱暴に文字を書きなぐる。
最初の頃は『ブズ』とか『バカ』と言った悪口だったけれど、今では1ページいっぱいに『死ね』と書いたりしている。
それがあまり良くないことだとわかっているのにやめられない。
散々ノートに悪口を書きなぐって、1ページが真っ黒に塗りつぶされたころ、セイコは鞄の中から人間接着剤を取り出した。
これがあれば自分はどこまでも友人を増やすことができる。
トオコよりもっともっと人気ものになることができる。
接着剤の量は少ないけれど、まだ1回しか使っていないし、なくなればまた買えばいい。
そう決めると心がスッと軽くなっていくのを感じた。
いつの間にかトオコへの憧れは妬みや執着へと変化していて、セイコはそれに気がつくこともなかったのだった。
翌日学校に到着したセイコはさっそく手のひらに接着剤を乗せた。
それは以前と同じようにサラサラしていて爽やかな香りがしている。
それを手になじませてからA組の教室に入り、登校してきているクラスメートたちを見回した。
トオコはまだ来ていないけれどカナはすでに来ていた。
ハンカチを手にトイレに向かおうとしているようで、入り口付近に立っていたセイコに近づいてきた。
セイコは咄嗟に右足を前に出し、足先でカナを引っ掛けてこかせていた。
カナが派手にコケた後、すぐに足を引っ込める。
「いったぁ」
顔をしかめて立ち上がりカナに手を差し出した。
「カナ大丈夫? なにかに躓いたの?」
さも自分が原因ではないというように、心配顔をつくって見せた。
セイコにこかされたと思っていたカナは怪訝そうな顔をセイコへ向けている。
それでもなにか別のものに躓いてしまったのだろうかと、周囲を確認した。
「ほら、立って」
「うん……」
首を傾げつつセイコの手を握りしめて立ち上がる。
その時、手のひらの接着剤すーっと体内へ吸収されていく感覚を覚えた。
「ありがと」
カナはぶっきらぼうに礼を言い、そのまま教室を出ていったのだった。