闇夜ヨルの恐怖記録 1

☆☆☆

長い廊下の途中、ミハルが眠る病室の前で両親と医師の姿があった。


「ミハルさんは特に悪いところはないようです。ただ、ずっと眠り続けているだけですね」


医師の言葉に両親は顔を見合わせた。


その顔は数日前に比べるとすっかり老け込んでしまっていた。


それもこれも、ミハルが大量にキャンディーを食べて、眠り続けているのが原因だった。


あの日の夜、晩御飯ができても下りてこないミハルを部屋まで迎えに行った時、お母さんが眠っているミハルに気がついた。


声をかけても、頬を軽く叩いても、ミハルは全く起きなかった。


それからお父さんが病院へ連れてきたけれど、やはりミハルは1度も目を覚まさない。


「脳に異常などはないんでしょうか?」


ミハルの脳に異常があるから眠り続けているのだと思っていたお父さんが、医師に質問した。


「いえ、脳に異常はありません。ただ普通に睡眠を取っているだけのようです」


「そんな……」


それでもミハルがこれほど長く眠り続けていることなんてなかった。


医師も病気ではないからこれ以上できることはなかった。


ただ点滴で、栄養を入れていくだけだ。


「とにかく、しばらく入院して様子を見ましょう」


医師はそう言うと、両親に頭を下げて自分の仕事へ戻っていった。


両親は大野ミハルと書かれた病室に入り、ベッドで横になっているミハルの手を握りしめた。


それでもミハルは夢を見続けている……。
夢の中のミハルはトリマーだった。


今日も大好きな犬の毛を刈っていく。


「店長、お客様からお電話です」


「じゃあ変わってくれる?」


従業員に仕事を代わってもらって電話を手にした。


「お電話変わりました。オーナーの大野でございます」


電話での丁寧な受け答えも慣れたものだ。


次の予約だと思って手元のメモ用紙を引き寄せたそのとき、ミハルの耳につんざくような女性の声が聞こえてきた。


『ちょっと! あんたのところはどういう毛の狩り方してんのよ!!』


突然聞こえてきた金切り声に受話器を耳から遠ざける。


「どうかいたしましたか?」


『うちのトイプードルのラブちゃんを丸裸にしたでしょう!』


トイプードルのラブちゃん?


あぁ、昨日私が担当した犬だ。


毛を狩る前に飼い主さんとは事前に話をして、足やしっぽに毛を残す必要はないと言われたはずだ。


「ですがお客様、それはお客様のご要望で……」


『なによ、こっちが悪いって言うの!? もう良いわ、あなたがやったことはちゃんと口コミ情報に書かせてもらいますからね!』


女性は一方的に電話を切ってしまった。


その後ミハルが何度声をかけても返事はなく、仕方なく受話器を置いたのだった。
夢の中のミハルは今度はパティシエになっていた。


「大野さん、見てくださいこれ!」


弟子である女性がミハルに賞状を見せてきた。


それは全国ケーキ選手権の最優秀賞と書かれている。


「すごいじゃない! いつの間にコンテストに出たの?」


「えへへ。コンテストに参加すること、黙っていてごめんなさい。でも自身がなくて、言えなかったんです」


「そうだったの。私もそのコンテストで最優秀賞をもらって、ここまで来たのよ」


嬉しそうに言うミハルに女性は真剣な表情になった。


「これからは、私も本気でミハルさんを追い越しに行きますから」


その言葉にミハルの心臓がドクンッと跳ねた。


弟子を取るということは、ここをいつか卒業していくと行くことだ。


わかっていたはずなのにかすかに焦りを感じた。


「もちろんよ。楽しみにしているわね」


ミハルは精一杯の笑顔を浮かべて、そう答えたのだった。
夢の中でミハルはモデルになっていた。


スラリと長い手足が出る衣装を着ている。


「いいねミハルちゃん! 可愛い! 最高だ!」


カメラマンさんが気持ちのいい言葉を投げてくれて、ミハルはどんどんポーズを決めていく。


こんなに気持ちよくなれる職業、他にはないわね。


10分の休憩時間に差し入れのチョコレートを食べる。


その時マネージャーの女性が気まずそうな表情で近づいてきた。


「ミハルちゃん。あんまり沢山食べないでね? 次は水着撮影もあるから」


「あぁ。そうだっけ?」


言いながらミハルは2個めのチョコレートを口に放り込む。


「チョコレートを食べるなら、お昼のお弁当はやめておいてね」


「えぇ!? お弁当食べちゃダメなの?」


ミハルは不服そうにマネージャーを睨みつける。


「これを見て」


そう言って見せられたのはさっき撮影したばかりの写真だった。


写真の中のミハルは美しくて可愛らしくて、自分でも惚れ惚れしてしまう。


でも気になる箇所があった。


タイトなスカートを履いての撮影だったのだけれど、下っ腹がふっくらしているのだ。


ミハルは慌てて自分の腹部へ視線を向けた。


気が付かなかったけれど、ちょっと太ってしまったかもしれない。


「わかった。お弁当は我慢する」


ミハルは大きなため息を吐き出してそう言ったのだった。
☆☆☆

「ミハル、早くよくなってね」


「目を覚まして、もう1度学校に来てね」


「ミハル」


「ミハル」


病院のベッドに横たわっているミハルの周りにはC組組の生徒たちが集まっていた。


みんな口々にミハルの名前を呼んで、1日でも早く目が覚めるように願っている。


「ミハルはどうして眠ったままなんですか?」


涙で目を赤くしたマイコが、ミハルの両親へ質問する。


「原因はわからないんだ。ただ、眠っているだけなんだよ」


父親の説明にマイコとチアキが目を見交わせる。


それなら呼べば起きてくれるんじゃないか。


肩を揺さぶれば起きてくれるんじゃないか。


淡い期待がよぎるけれど、どれももうやってみたことだった。


それでもミハルはまだ眠り続けている。


今の自分たちにできることは、毎日お見舞いに来て声をかけることだけだった。
☆☆☆

夢の中のミハルはトリマーだった。


あれだけ大好きだった犬に触れることができなくなって、店の奥で身を縮めている。


「またクレームの電話です! どうにかしてください!」


受話器片手に怒鳴り散らす女性社員。


しかしミハルは動けない。


予約でいっぱいだったお店は今日もお客さんはゼロ。


このままではお店は潰れてしまうだろう。


「私、もう限界です!」


女性従業員は受話器を叩きつけるようにして置いて、お店を出ていく。


ミハルはそれを引き止めることもできずにただただ耳を塞いでいた。


それでも聞こえてくる電話の音。


取ればお客さんからの怒鳴り声が聞こえてくるにきまっている。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


けたたましく電話がなり続ける店内で、ミハルは両耳を塞いで小さく小さくうずくまったのだった。
夢の中のミハルはパティシエだった。


ミハルは焦っていた。


新商品を作っても作っても作っても、売上が伸びない。


気分転換にお店から一歩外に出ると向かい側には新しくできたケーキ屋さんがあり、長蛇の列ができていた。


「数は沢山ありますので、押さないでくださ~い!」


店内から若いパティシエールが出てきて笑顔でお客さんたちに声をかけている。


それはミハルの弟子だったあの女性だった。


女性はミハルに気がつくと、ニコリと微笑んだ。


ミハルはぎこちない笑顔を浮かべて、そそくさを店の中へと逃げ込んだ。


彼女が店を出してから、『MIHARU』に来る客足はぐんと減ってしまった。


それも物珍しい最初のうちだけだろうと思っていたけれど、すでに開店から半年が立とうとしていた。


それでも客足は戻ってこない。


このままではこのお店は潰れてしまう。


次々と新商品を考えているものの、そのどれもがうまく行かなかった。


調理台の前に立ってなにも浮かんで来ないアイデアに下唇を噛みしめる。


「店長、ちょっといいですか?」


声をかけてきたのは1番弟子の男性だった。


彼には『MIHARU』の店舗の一つを任せている。
「なに?」


ミハルはイライラした声で答えた。


今は誰かに優しくなんてできる気分じゃない。


「実は店舗の売上が芳しく無くて……」


「そのくらい知っているわよ」


『MIHARU』の打ち上げが落ちているのは本店だけではない。


他の店舗のお客さんまで軒並み彼女のお店に取られてしまっているのだ。


「これ以上続けることは難しそうなんです」


「なんですって!?」


いくら売上が悪いと言ってもそこまでじゃないはずだ。


今まで沢山の常連客さんがやってきてくれて、ここまで急成長したのだから。


「もう無理なんです。MIHARUは終わりだ!!」


一番弟子の男性は表情を歪めて叫ぶように言うと、コック帽を脱ぎ捨てた。


ミハルはそれを呆然として見つめていたのだった。
夢の中のミハルはモデルだった。


少し体重が気になり初めてから、ダイエットをしている。


お風呂上がりの後に体重計に乗るのが日課だけれど、最近のミハルはイライラしていた。


「どうして減ってないの? ご飯は食べてないのに!」


表示されている体重が納得いかなくて、何度も計り直す。


それでも体重は少しも代わってくれない。


出てきた下腹は以前よりも目立つようになっていて、念の為に妊娠検査とかもしたけれど、陰性だった。


「ミハルちゃんのそろそろ終わりかな」


「25歳だもんな。代謝が落ちてきて太りやすくなってるんだろう」


「元々細かったから、本人もショックみたいだな」


撮影現場のスタッフたちがそう噂しているのが耳に入った。


なによ。


私よりも太い子なんて沢山いる。


25歳を過ぎてモデルをしている子だって、それこそ山のようにいる。


それなのに私はダメなわけ!?


食べられないストレスに加えて怒りが湧いてきて、ミハルはテーブルの上にあったお弁当箱をひっつかんだ。


ずっと食べたくて、でも我慢していた焼肉弁当。


開けてみると肉のいい香りが鼻腔を刺激した。