闇夜ヨルの恐怖記録 1

ポケットから取り出すと、赤色のキャンディーには少しホコリがついていた。


それも気にせず口の中に放り込む。


イチゴの甘い味が口いっぱいに広がって、ミハルを幸せな気分にしてくれる。


「美味し~い!」


得意科目で悪い点数を取ってしまったことなんて、すぐに頭の中から消えていった。


代わりに強い眠気を感じてミハルは洋式トイレに座り込んだ。


こんなところで寝ちゃダメ。


そう思っても抗えない眠気に吸い込まれていったのだった。
夢の中でミハルは先生に当てられたが、スラスラと解答していた。


それはまだ習っていないとても難しい質問だったので、クラスメートからの歓声が沸き起こった。


質問した本人である先生も驚いた顔でミハルを見つめている。


「大野さん、ちょっといい?」


授業が終わって帰ろうとしていたところで、担任の先生が声をかけてきた。


「なんですか?」


「あなたは本当に頭がいい生徒よ。このまま日本で勉強を続けるなんてもったいないと先生は考えているの」


「どういうことですか?」


「思い切って海外へ出てみる気はない? あなたは英語もフランス語も中国語もできるから生活の支障もないでしょう。海外なら飛び級のある国もあるから、あなたの実力に合った勉強ができるんじゃない?」


先生の興奮している声色が伝わってきて、こっちまで興奮してきた。


私が海外で勉強?


しかも飛び級?


まるで夢のような話だった。


「はい、私行きたいです!」


ミハルがそう返事をすると後はトントン拍子で話しは決まった。
海外になるいつくかの学校にかけあったところ、どこの学校でもミハルの存在を欲しがった。


ミハルの学力が今大学生並であるということも、特別テストの結果わかった。


「よかった。これでミハルの本当の力を発揮するすることができるわね」


お母さんも安心したようにそう言ってくれた。


お父さんはすぐに仕事をやめることはできないから、海外ではしばらく一人暮らしになりそうだ。


だけどミハルなら大丈夫。


言葉の壁もないし、その国のことをなんでもよく知っている。


「お父さんたちは後から行くから、ミハルはしっかりと勉強していなさい」


空港まで送ってくれた両親に見送られて、ミハルはひとりで飛行機に乗ったのだった。
ハッと目が覚めた時、すでに放課後になっていた。


慌ててトイレから出てC組へ向かったが、誰も残っていなかった。


まさかこんなに長く夢を見続けるなんて思っていなくて少し焦ったが、夢の内容を思い出すと自然と頬が緩んだ。


夢の中でミハルは大学生並の学力を持っていて、海外で勉強していた。


「いつか私も海外に行ってみたいなぁ」


帰る準備をしながらポツリと呟いた。


現実のミハルは英語もできないし、飛行機に乗ったことだってなかった。


そのことを考えるとまた体が重たくなったように感じられた。


鏡の中の老けこんだ自分の顔を思い出して左右に強く首を振る。


そしてなにもかも忘れるように大股で教室を出たのだった。
☆☆☆

自宅に帰って玄関を開けた途端、お母さんが仁王立ちをしていた。


「た、ただいま」


お母さんの威圧的な雰囲気に圧倒されつつ言うと「今日、先生から連絡が来たわよ。途中からいなくなったって」と、早口で言われてしまった。


しまったと顔をしかめても、もう遅い。


途中で授業を抜け出して戻ってこなかったミハルを、先生も心配したんだろう。


「ちょっと、お腹が痛かったの」


「それならどうして保健室に行ったり、早退したりしなかったの?」


そう言われて黙り込む。


本当のことなんて言えるわけがなかった。


「ちゃんと答えなさい!」


怒鳴られて、肩がビクリと跳ね上がった。


同時に悔しさを感じて下唇を噛む。


夢の中ではお母さんだって私の味方だったのに。


だけど現実ではこんな風に怒られてしまう。


だから嫌なんだ。


ミハルはなにも答えないまま、お母さんの隣をすり抜けて階段を駆け上がっていったのだった。
☆☆☆

自室に入って鍵をかけても、廊下からお母さんの声が聞こえてくる。


怒っているし、呆れていもいる声色だ。


ミハルは布団の中に潜り込んで両耳を塞いだ。


もうなにも聞きたくない。


もうなにも見たくない。


現実なんてもうたくさん!


みんなみんな、夢みたいに消えてなくなっちゃえばいいんだ!


怒りに任せてテーブルの上の瓶を握りしめた。


キャンディーはまだまだ沢山残っている。


老婆は1日1個だと言ったけれど、そんなことかまっていられなかった。


蓋を開けるとキャンディーの瓶を逆さまにしてそのまま口の中にザラザラと放り込む。


マスカットにイチゴにオレンジにメロン。


いろいろな味が混ざりあって、頬はとろけそうなほど美味しい。


しかしその美味しさを味わう暇もない速さで眠気を感じた。


ベッドに向かうこともできず、その場に崩れ落ちる。


夢の中にひきずりこまれていく寸前、もう二度と、現実なんかに戻ってこないんだから。


と、ミハルは呟いたのだった。
☆☆☆

ミハルはトリマーになっていた。


お客さんが連れてくる可愛い犬の毛を狩り、サッパリさせてあげるお仕事だ。


犬は高いところが苦手で大人しくなるので、作業台はミハルの腰より少し高いくらいの位置にある。


それからミハルは警察官にもなった。


制服を着て街の中を巡回していると、「ひったくり!」という女性の声が聞こえてきて走り出す。


80代近い女性は必死で犯人が逃げた方向を指差していた。


「おばあさん安心してください、私が取り戻してきますから!」


ミハルはおばあさんへ向けて声をかけると、犯人が逃げた方へ駆け出した。


そこは広い公園で、休日の今日は沢山の人でごった返している。


カップルや家族連れを避けながら走ると前方に逃げていく黒い服の男を見つけた。


その手には紫色のカバンが握りしめられている。
あいつだ!


ミハルは更に速度をあげて走り出す。


日頃鍛えていつだけあって、簡単に犯人に追いつくことができた。


「エイヤッ!」


掛け声を共に犯人にタックルする。


体のバランスを崩して倒れ込んだ犯人の背中にまたがり、腕を捻りあげた。


「いててててっ」


情けない声を上げる犯人に手錠をかけると、周囲から拍手と歓声が湧き上がった。


ミハルはにこにこと笑顔でそれに答え、犯人が奪った紫色のバッグを拾い上げた。


それからもちろん、パティシエにもなった。


夢の中のミハルは3店舗めの『MIHARU』を開店していて、弟子の数は数十人を超えていた。


その弟子たちに美味しいケーキの作り方を教える。


一番弟子だった男性は今は立派に独立していて、暖簾分けした『MIHARU』で働いている。


それから女料理人にもなった。


綺麗で、だけど敷居は低い和食料理店で、男性でも満足できるように量も選べるようになっている。


子供連れの人でも入って来やすいように、キッズスペースを設けた。


静かに食べたい人は2階で、にぎやかな宴会などを兼ねている人は1階で。


そのやり方はダイヒットしてみるみる内にお店は繁盛し始めた。


ミハルは厨房の中でひっきりなしに動き回っていた。
モデルになったミハルはスラリと背が高くてスタイルが良く、どんな衣装でも似合った。


新作のミニスカートだって臆すること無く着ることができる。


街を歩けば「ミハルさんですか?」と声をかけられて、サインをする機会も増えてきた。


有名なファションショーにも呼ばれ、雑誌の表紙は6ヶ月連続でミハルが担当した。


「すごいわミハルちゃん。この調子で頑張ってね」


雑誌の編集長はミハルが来るととてもご機嫌で、終始にこにこしている。


「はぁい」


ミハルは元気に返事をして、仕事へ向かうのだった。