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夢から覚めたミハルはまたぼーっとした気分だった。
今日のミハルは夢の中で憧れのパティシエになっていた。
しかも弟子を3人も連れて、自分のお店も持っていた。
「素敵」
起きて開口一番そんなことを呟いた。
自分の店を持つなんて考えたこともなかったけれど、パティシエを選べばそういう未来のあり得るんだ。
もちろん、ペットショップだって自分の店として構えることはできる。
だけどミハルの頭にはすでにケーキ屋の『MIHARU』のイメージが出来上がってしまっていた。
『MIHARU』は連日大賑わいて、長蛇の列ができている。
雑誌やテレビでも紹介されて、ミハルは天才パティシエとして有名になるのだ。
「やっぱり夢を叶えるならパティシエだよね」
ミハルはそう呟いたのだった。
部屋の壁に張っている時間割を確認すると4時間目が家庭科だった。
生徒が自分たちで持ってきた食材を使い、お昼ごはんを作るのだ。
「今日は家庭科でお味噌汁を作るんでしょう?」
ダイニングへ下りていった時お母さんが袋をもたせてくれた。
中を確認すると豆腐やお味噌やネギが入れられている。
お味噌汁ならみんなで食べられるし簡単だからと選んだ食材だった。
「フルーツとか、小麦粉にする」
ミハルはそう言うと袋をテーブルに置いて冷蔵庫を開けた。
「フルーツ? ミハル何を作る気なの?」
「おかずはみんなが作るから、私はデザートを作りたいの」
「それはいいと思うけど、デザートでなにを作るの?」
「ケーキ!」
ミハルが元気いっぱいに返事をするとお母さんは目を見開き、まばたきをした。
「ケーキを作るのは大変よ? 時間もかかるし、もっと簡単なものにしたらどう?」
そう言って、冷蔵庫から白玉粉とフルーツの缶詰を取り出す。
「ほら、これなら簡単にフルーツポンチができるわよ?」
そんなお母さんへ向けてミハルは盛大なため息を吐き出した。
お母さんは夢の中の出来事をなにも知らない。
だから私がケーキが作れないと思っているんだ。
「大丈夫だよお母さん。私はケーキ作りの天才なんだから」
ミハルはそう言い、冷蔵庫から小麦粉を取り出したのだった。
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朝から4時間目の家庭科の授業が楽しみで仕方なかった。
数学の授業をしていても全然先生の説明が耳に入ってこなくて、ぼーっとしてしまう。
「次の答えを、大野さん」
先生が自分の名字を呼んでいることにも気が付かなかった。
「ミハル、先生に当てられてるよ」
隣の席の子がミハルの肩をつつき、ようやく我に返った。
だけどそのときミハルは頭の中でケーキ屋『MIHARU』にいて、注文された誕生日ケーキをつくっていた。
チョコレートケーキに名前入りのプレートを乗せて、ちょうど完成したときだったのだ。
「おまたせしました!」
隣のクラスメートに突かれた瞬間、反射的に立ち上がってそう言っていた。
一瞬教室内は静まりかえり、それから大きな笑い声が湧き上がる。
ミハルは顔を真っ赤にしてゆるゆると椅子に座って顔を伏せた。
「大野さん、なんの夢を見ていたの?」
数学の先生も呆れ顔だ。
「すみません」
消え入りそうな声で謝って、教科書で顔を覆ったのだった。
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数学の時間には大失敗をしてしまったが、ミハルの胸の中にはまだまだパティシエへの熱い気持ちが残っていた。
夢の中で自分のお店を構えていたことが、一番大きな要因だ。
「ミハルったら、本当にどんな夢を見ていたの?」
休憩時間になり、マイコとチアキがやってきて笑いながらそう聞いた。
ミハルは唇を突き出して仏頂面になり「パティシエになってケーキを作る夢」と、答えた。
その答えにはマイコとチアキは目を丸くしている。
「パティシエって、ミハルの夢はペットショップの店員になることだよね?」
マイコに言われてミハルは曖昧に頷いた。
やっぱりパティシエにするなんてさすがに言えない。
だけど2人共なんとなく感じ取ったものがあるようで呆れ顔になった。
「昨日夢はひとつに決めたって言ってたのに」
「本当だよ。ミハルのことだから、また変わるとは思ってたけど、こんなに早く変わるなんて」
マイコもチアキも、ミハルのことを見下しているように見えた。
バカにされたと感じたミハルは2人を睨みつける。
「私はもう2度も自分の夢を叶えてるんだから!」
つい怒鳴ってしまい、ハッとして口をつぐむ。
2人はキョトンとした表情でミハルを見つめた。
夢の中でペットショップの店員になったことも、パティシエになったことも、2人は知らない。
それに夢に見たことを現実のこととして話してしまったことを、2人はきっと笑うだろう。
ミハルは唇を引き結んで、教室から逃げ出したのだった。
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夢の中でできたことなんだから、現実でだってできるはずだ。
4時間目の授業が始まって、ミハルはピンク色のエプロンを付けて調理台の前に立った。
「ミハルは何を作るの?」
同じ班のマイコに聞かれて自信満々に「ケーキだよ」と、答える。
「ケーキ!?」
「うん。だって、私の夢はパティシエだよ?」
そう答えて小麦粉や砂糖の準備をすすめる。
夢で見たとおりにやれば美味しいケーキができるはずだ。
まるで魔法のようだとみんなびっくりするに違いない。
夢を沢山持ちすぎていると呆れているマイコとチアキだって、きっと私のことを見直すはずだ。
そう考えると嬉しくて、ミハルはアイドルの歌をハミングしながらケーキ作りを開始したのだった。
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……どうしてうまく行かないんだろう。
目の前に置かれたスポンジケーキはペタンコで、全然膨らんでいなかった。
今から作り直すにしても、もう時間がない。
他のみんなはおかずをどんどんつくって、調理実習室には美味しそうな匂いが立ち込めている。
「どうしたのミハル、大丈夫?」
卵焼きを上手に焼いたマイコが上機嫌で声をかけてくる。
ミハルは咄嗟にスポンジを隠そうとしたけれど、隠せられるような大きさではなかった。
「スポンジケーキ、少し失敗したの?」
「す、少しだけだよ。大丈夫だからほっておいて!」
ミハルはマイコを突き放して包丁を手に取った。
真ん中を横に切って間にクリームとフルーツを入れれば高さがでる。
それでどうにかごまかすしかなかった。
横にした包丁を優しくスポンジに入れる。
けれどなかなか切れなくて苦戦している間にスポンジはボロボロになってしまった。
どうにか横半分にカットできたときにはミハルの手にはじっとりと汗が滲んでいた。
カットした断面を見て愕然とする。
薄い部分があったり、分厚い部分があったり、厚さがバラバラだ。
夢の中ではあんなに簡単にできたのに……!
下唇を噛み締めて、真ん中にクリームを塗っていく。
綺麗に塗りたかったけれどこれもムラができて、見た目は悪くなってしまった。
全体に塗ったクリームも、上のトッピングも夢で見たものとは全然違う。
出来上がったケーキは不格好で、自分でも信じられなかった。
「あら、大野さんすごいじゃない。ケーキを作ったの?」
家庭科の先生が驚いた調子で言う。
しかし、ミハルは嬉しくなかった。
こんなに不格好なケーキ、全然美味しそうじゃない。
「なんだよそれ、きったねぇ!」
クラスで一番やんちゃな男子がミハルのケーキを指差して笑う。
その子と仲のいい男子たちが一斉に笑い始めて、ミハルは拳を握りしめた。
「笑わないの! 何事も挑戦することはいいことよ。大野さんは今回始めてケーキを作ったのよね? 練習すれば今よりもずっと上手になれるわよ」