集まった人達は、港の同じ方角を眺めながら思い思いに喋ったり、ふざけ合ったり、シートを敷いて出店から買ってきた物を食べたりして過ごしていた。

そんな喧騒の中、シュっと、一筋の光が走り、消えたかと思うと、パッと空に花が咲いた。
騒がしかった港がシン、と静まり返って、そしてワッと歓声が上がった。

その一発の花火を合図にドンッ…ドンッ…っと次々に花火が打ち上がっていく。星の形、ニコニコマーク、いくつもの色が混ざった大輪や、枝垂れ桜の様な花火。数えきれないくらいの花火がいくつも上がり、眩しいくらいに海に反射した。
打ち上がる花火に合わせて、BGMが鳴り響く。

花火が打ち上がるたびに、大きい歓声が辺りを包み込んだ。
隣のカンナも空を見上げて、目をキラキラさせている。

「きれい…。」

呟いたカンナを見ながら「うん。綺麗だね。」と呟いた。

二千発の花火はあっという間に終わってしまった。花火の打ち上げが終わっても、みんなが余韻に浸っていて、そこから動こうとしない。
登下校中によく見る港が、全然違う場所に見えた。

「すっごく…すっごく良かったね!」

興奮しているカンナが可愛かった。花火よりもカンナばかりを見ていた様な気がする。
花火よりも、打ち上がる花火に照らされたり、花火が消えてカンナの顔に影を作ったり。そればかりが目に焼き付いている。

そんなことはカンナに言えるわけも無いから、「うん。すごく、良かった。」って答えるのが精一杯だった。
周りがなかなか帰ろうとしない中、名残惜しかったけれど、俺達は帰らなければいけない。
二一時になろうとしている。この港から一番近いバス停は、歩いて十分くらい。

もしかしたら…と思っていたけれど、小走りでバス停に着いた時には案の定、僕達の地元に帰る最終バスは終わっていた。

「カンナ、足痛くない?」

カンナは下駄を履いていたから心配だったけれど、大丈夫だよと笑ってくれた。

「ごめん。バス、終わっちゃったな。」

「うん。お父さんに迎えに来てもらえないか電話してくるね。」

そう言って、カンナは少し離れたところで電話をかけに行った。カンナのおじさん、迎えに来た時に怒られるかなぁなんて思って、急に緊張してきた。小さい時から家族ぐるみでお世話になってきたけれど、やっぱりこの状況って、今までとは違う気がする。
なんて言うか、結婚前の試験みたいな感じだ。…考え過ぎかもしれないけれど。

「お父さん、来てくれるって。良かった。お酒呑んでなくて。」

カンナのお父さんはお酒が好きだ。夏祭りの時もお好み焼きを売りながら呑んでたなぁって思い出した。

「う…、うん。ありがとう。」

結婚の挨拶でもするのかってくらい、急に緊張してきた俺をよそに、ちょっと座ろうよって、カンナはバス停のベンチに座った。まだ最終バスが残っている人達が、少しずつバス停に集まってきていた。

二一時を過ぎていても、繁華街の夜はやっぱり明るい。お店も街灯も沢山あるし、こんな時間にこんなに人が出歩いているなんて不思議だ。
この人達にはきっと、「限られた世界」なんて無い。どこにだって行けるし、どこに行っても自由だ。そんな人達が、眩しく見えた。

ベンチに座ったカンナが、「ちょっと蒸すね。」と言いながら、浴衣の衿のところを少しパタパタとする仕草をした。

同じ市内なのに、山を越えた俺達の地元とは夏の夜の気温も全然違う。八月も中旬から下旬頃になれば、窓を開けていれば夜は十分涼しい。
ここはまだ少し、夜でも蒸していて、それがいくつもそびえ立つビルや、集まる人の熱気のせいなのかどうか、俺には分からない。

花火大会の会場で貰ったうちわで、カンナをパタパタと煽いだ。カンナはふふ、と笑って、ありがとうと言った。
「来年はつばきも来れるといいね。」

つばきが空を見上げながら言った。ビルや街灯の灯りが多くて、星はあまり見えない。

バスが一本やってきて、そのバスを待っていた人達が乗り込んでいく。その光景を俺も、カンナも羨ましげに見ていた。

「透華くん。」

「ん?」

「いつかさ、一緒に大きい街で暮らそうね。できればバスなんて使わない。電車だけで暮らしていけるような場所がいいな。つばきも一緒に。」

どんなに今の暮らしの中にも良いところを見つけようとしたって、街で生きている同級生や大人達との差は埋まらない。

あの金魚は、あんなに小さかったからビニール袋の中でも綺麗に泳げていたのだろう。あのすくい上げた時よりも大きくなれば、その世界は次第に窮屈になって、三匹の金魚は互いに潰し合っていたかもしれない。

「そうだな。駅から徒歩十分圏内。庭付き一戸建てを建てて、広い庭に花壇もいっぱい作ろう。」

カンナは気が早いよ、と言って笑った。

沢山の人がバスに乗り込んで、バス停にはまた静寂が訪れた。カンナが俺の小指にそっと触れてくる。夏らしい熱を感じた。

「カンナ。」

「なぁに。」

「…浴衣、すごく似合ってる。」

「ありがとう。」

たったそれだけのことを伝えるのに、もうこんな時間になってしまっていて、本当に言いたかったことは浴衣のことなんかじゃなくて。
だけど、それだけのことを伝えるのが今の俺には精一杯だった。
それでも笑って聞いてくれるカンナが隣に居る。どんなに窮屈な世界だとしてもカンナが居る。それだけでこんなにも幸せになれた。

三十分くらいして、カンナのおじさんの車がバス停に到着した。バスと違っていちいちバス停に停まったりしないし、ルートだって違うから、同じ場所でも随分と早い。

「すみません。遅くなっちゃって。」

車のドアを開けて最初に言った俺に、おじさんは「そうやって大人になっていくんだ。」って言って笑った。
翌日、昼過ぎに目が覚めた。ようやくリビングにおりてきた俺に、母さんが「もうすぐ夏休みも終わるのに。」と小言を言っている。

そんな小言はそっちのけであくびをしながらソファに座ったのと同時に手に持っていたスマホが震えた。スクリーンに「カンナ」の文字。
寝起きの俺は繰り返し出るあくびを噛み殺して、電話に出た。

「もしもし?」

「透華くん、やっと起きたの?」

スマホ越しからいつもよりフィルターがかかった様なカンナの声が届く。

「ごめん。よく分かったな。」

「寝起きの声してる。」

「どうした?何かあった?」

電話が終わったら顔洗わなきゃなとか考えながら、ソファに深めに背中を預けた。そんな俺にカンナは「今から出て来られる?」と言った。

「今から?」

だらしなくソファに座っていた俺は、背筋を伸ばして座り直した。

「うん。昨日のりんご飴、つばきに渡しに行こうと思って。」

「あー。そうだったな。」

「もう。眠気覚ましにもなるでしょ。神社で待ってるね。」

「分かった。すぐ行く。」

神社とは、つばきの家の目の前の神社のことだ。カンナの家からも五分くらいで着いてしまう。
俺は急いで洗面台に向かって、顔を洗って歯を磨いた。
背中越しに「毎朝カンナちゃんに起こしてもらおうかしら。」とかなんとか冷やかしてきたけれど、俺は何も言わなかった。

急いで着替えて家を出る。相変わらず陽射しが強くて、夏休みはあと少しで終わってしまうのに、夏はまだまだ終わらなそうだった。
玄関の外で空を見上げていた俺の背中越しに、玄関のドアが空いて母さんが顔を覗かせた。

「透華。海には入っちゃ駄目だからね。」

「入んないけど。なんで。」

振り返って母さんの顔を見た。逆光で眩しい。

「お盆過ぎの海は引っ張られるわよ。」

母さんは不気味な言葉と意味深な笑顔を残して家の中に入っていった。

海の近い町だとそういう言い伝えも残っている。お盆過ぎの海に入っちゃいけないなんて理由は他にもあるだろうけれど、ちょっとホラーに伝えてくるところが田舎の町らしいなと思った。
急いで神社に向かった俺に、境内の石階段に座っていたカンナが手を振った。木々の影になっていて、あまり暑そうには見えない。

「ごめん。待った?」

「ちょっとね。」

カンナは悪戯っ子みたいに笑った。

「ごめん。行こっか。つばきの家?」

「ううん。そう思って待ち合わせここにしたけど、つばき、家に居ないんだって。」

「ふーん。どこに居るって?」

「海。」

「海…。」

「そう。」

母さんの「引っ張られるわよ。」と言った声が脳内に蘇る。そんなこと、本当に信じているわけじゃない。ただタイムリー過ぎて背筋が冷えた。
俺ってホラーが苦手なのかもしれないなんてどうでもいいことを考えた。

カンナは既に歩き出している。

「泳いだりしないよなー!?」

カンナの背中に向かって声を投げた俺に、カンナは振り返りもせずに「泳げないでしょ!」と声を投げ返してきた。

小走りで隣に駆け寄った俺に、カンナが「迷信、信じてるの?」って笑った。
そんなわけない、って言って笑って、カンナの手を取った。昨日の夜よりも少し冷んやりしていた。夏にはちょっと似つかわしくない温度だ。

どの季節もこうやってカンナの温度を感じていたい。何歳になっても、どこに行ってもカンナの隣で。

カンナやつばきが隣に居ることが当たり前だった。この町から出て行く日のことなんて、十六歳の俺達にはまだ到底想像できない。
それでも、いつかそんな日が来ても隣にはカンナとつばきが居て、いつもと違う夏を過ごしたこと、壊れてしまいそうになった三人のことも笑い話になっていくんだろうと思った。
畑の道、個人経営の商店、公園からグラウンドに続く道を抜けて歩いていく。船着場の目の前は坂道になっていて、太陽の熱を受けて、陽炎が立っている。

坂道を下っていくと、船着場が見えてきた。そこにつばきの姿は無い。

「海岸の方かな。」

言いながらカンナは石階段を登る。その後ろから続いて俺も階段を登った。防波堤の上から海岸も、船着場も、少し遠くの川やテトラポットも見渡せる。風は生ぬるいけれど、不快だとは思わなかった。

「居た!つばきー!」

カンナがつばきを見つけて大声で呼んだ。つばきは浅瀬から少しだけ奥の方、膝の辺りまで海に浸かっていた。離れていても青い空と揺れる水面に映える、真っ白のワンピース。
裾が濡れることも気にしないで、つばきは腕を上げて、俺達に手を振っている。

「あいつ…何やってんだよ。あぶねーな。」

俺は海岸の方へ石階段をくだって、ゴロゴロとした石の上を走った。ビーチサンダル越しにゴツゴツとした石の感触が伝わってくる。

「透華くーん!転ばないでねー!」

防波堤の上からカンナが叫んでくる。振り返って手を振ることで返事をした。
女優が被るみたいな、ツバ広のサマーハットがよく似合っている、なんて思いながら。

浅瀬まで来て、足の甲くらいまで水に浸かる。ちゃぷん、ちゃぷんと波が触れては返っていく。
冷んやりしていて気持ちがいい。

「おい、つばき!何やってんだよ、危ないだろ。」

つばきは海から何かをすくう様な仕草をしながら、俺の方へ近づいてきた。
と、同時にボールを投げる時みたいに腕を振りかぶって、俺に向かって何かを投げた。

「うわっ。」

投げられた物の正体はよく見えなかったけれど、俺は咄嗟に体を右へ逸らした。

ちゃぷん、と小さく音を立てて、傍に落ちた物。透明でゼリー状。ふよふよと水面に浮いている。
くらげだ。金魚と同じ。泳いでいるんじゃない。死んでいる。

つばきの方を見ると、クスクスとおかしそうに笑っている。

「何だよ、これ。」

「くらげだよ。」

「素手で触ったりするなよ。何でそんな危ないことばっかりするかなぁ…。」

「大丈夫だよ。死んでるもん。」

「大丈夫なんて保証は無い。それにお盆過ぎの海に入るなよ。ただでさえ泳げないくせに。」

つばきに文句を言いながら、水面によく目を凝らして見た。
透明のふよふよしたクラゲが浮いているのが分かる。
専門家じゃないから詳しいことは分からないけれど、お盆が過ぎるとくらげが増える。死んだくらげが浮いている様子も、俺達には珍しいことじゃなかった。くらげが増えて危険だから、お盆過ぎに海に入っちゃ駄目って教えもあるんだと思う。

「海だろうが川だろうがビニール袋だろうが、どこで産まれてどこで生きても、死んじゃうんだね。」

目の前まで来たカンナのワンピースは、裾がほとんど濡れている。そのワンピースに負けないくらい、白くて透けそうな肌は、夏とは結びつかない。

「つばきー!透華くん!上がっておいでよ!」

カンナが浅瀬の方から俺達を呼んだ。俺もつばきも、素直にその声に従った。

「一枚しか無いから順番ね。」

カンナがつばきにタオル生地のハンカチを差し出した。

つばきが受け取って、足をサッとだけ拭いて俺に渡してくる。

「俺はいいよ。すぐ渇きそうだし。」

そう言ってカンナにハンカチを返した。ふわっと、カンナの洋服と同じ香りがした。
「何やってたの?」

「生態系の観察。」

「夏休みの自由研究?」

「違うよ。興味本位。」

「何か分かった?」

「生き物はどこで生きてても、結局死んじゃうってこと。」

カンナはつばきの答えにきょとんとしている。正しい反応だと思う。

「そんなの当たり前だろ。生きてるものはいつか死ぬ。絶対に。」

呆れた顔で言う俺を、カンナが「言い方が乱暴よ。」と嗜めた。つばきは何も言わずに、ただ一言、俺の顔を見て「無くなってたよ。」と言った。

「何が?」

足の裏やくるぶしについた砂が気持ち悪くて、もう一回波で洗い流そうかと思っていた。やっぱりカンナのハンカチを借りれば良かった。

もう一度海の方へ向かおうとしている俺の腕を、つばきが掴んだ。振り向いた俺に、つばきは無表情な顔で言った。

「金魚のお墓。」

「…あぁ。」

やっぱり、満ち潮になって流されてしまったのだろう。波に攫われていく山型の砂のお墓。海の中で離ればなれになってしまった金魚の死骸を想像して、すぐにやめた。

「お墓…って?」

カンナが戸惑いの声を上げる。

「あぁ。カンナちゃん、知らなかったっけ。まぁ、カンナちゃんは知らないままでいいよ。」

「どういうこと?話してよ。」

「ううん。いいの。知る必要が無いから。」

「ちょっとつばき…!」

つばきが急に走り出して、石階段を登って行ってしまった。追いかけようとした俺の腕を、今度はカンナが掴んだ。

「つばきは、何を言っていたの?」

カンナの表情から戸惑いの色は消えない。俺の腕を掴んだ指が微かに震えている。
掴まれていない方の手で、カンナのもう片方の手を握り返した。掴んでいた俺の腕を、カンナは離した。

そのままカンナの手を引いて、あの日つばきが作った金魚の墓があった場所に連れていく。
その場所には、小さく開いた穴が祠の様になっている崖があったから、目印としてよく憶えていた。

つばきが言った通り、金魚の墓は綺麗に無くなっている。
「ここに、つばきが金魚の墓を作ったんだ。」

「金魚って…。」

「夏祭りの日にオマケで貰った、三匹の金魚。」

「もう…死んじゃったの?」

「次の日に。お墓を作りに行こうって、つばきが俺の家に来たんだ。カンナも誘ったけど家に居なかったって。それで二人で…。」

「私…誘われてない。スマホに連絡も来てないし、夏祭りの次の日は…ずっと家に居たもの。」

戸惑いの表情のまま言うカンナに、俺も動揺した。つばきは嘘をついた。本当は最初からカンナのことは誘っていなかったんだ。何の為に…。
理由があるとすれば…。

「カンナには…、知られたくなかったのかも。」

「え…?」

「つばき、あの三匹の金魚のことはたぶん…本当に喜んでたと思う。金魚が死んでしまったのはつばきだけのせいじゃない。俺と…カンナも…、つばきが金魚を飼育する知識があるかどうかも確かめないでつばきに押し付けた形になってしまった。つばき、元気が無くなっていく金魚を一晩中見てたって言ってたんだ。死んでしまって悲しかったのは本当だと思う。カンナのことも悲しませたくなくて黙ってたんじゃないかな…。」

理由があるとすれば、これが本当だと思う。つばきがずっと、生きていく環境だとか、結局死んでしまうんだとか、くらげのこととか…やけに気にしていたのは、あの三匹の金魚に俺達三人を重ねていたからだ。

夏祭りの夜、三人で一緒に居たいと声を震わせたつばきの願いが、たった一晩で終わってしまったような気がして、怖かったんだと思う。

カンナの球根のことは言わなかった。それは本当に、カンナが知る必要は無いし、知ってはいけない気がした。

「そうだったんだね…。じゃあ私達…つばきに酷いことしちゃったかもしれないね。」

「また来年、一緒に金魚すくいをしよう。今度はちゃんと水槽とか餌とか酸素送るやつとかも揃えてさ。」

「うん。つばき、きっと喜ぶよ。」

カンナは握っていた手を離して、金魚の墓があったであろう場所、跡形も無いけれど、そこで両手を合わせた。俺もカンナの真似をして手を合わせた。

「あ。」

「どうした?」

カンナが持っていたビニールの手提げ袋を顔の高さまで持ち上げた。

「りんご飴、忘れてた。」
次の日の早朝。
けたたましく部屋のドアを叩かれて目が覚めた。
視界はハッキリしないし、頭もぼんやりとしている。置き時計の針は、まだ五時になったばっかりだった。

「カンナちゃんが亡くなった。」

そう言ったっきり、俺の部屋の前で泣き崩れる母さんと、その後ろでどうすることも出来ずに立ちすくんでいる父さん。

カンナちゃんが亡くなった。

その言葉の意味が、俺には分からなかった。