手を合わせていたつばきが顔を上げた。波が寄せては引いてを繰り返す。太陽が溶けたみたいに、水面に反射している。その波を、つばきは眩しそうに目を細めて見ている。

「泳いでみたかったよね。」

つばきがふいに口にした言葉に、俺は「え?」と咄嗟に答えた。

「浮き輪なんかつけないでさ。体一つで海に浮かべたら、どんなに気持ちいいんだろうね。」

「そうだな。」

つばきが立ち上がって、海の方へ歩いて行く。

「つばき!」

呼び止めた俺の声に振り返って、つばきは微かに笑って言った。

「試してみようか?」

「何?」

「試してみようよ、出来るかどうか。」

「馬鹿なこと言うなよ。」

俺は慌てて後を追いかけて、つばきの腕を掴んだ。打ち寄せる波はすぐそこにあって、サンダルを履いているつばきの足は、もう海の中に少し入っていて、濡れている。
浅瀬は誰だって余裕で歩いていけるけど、この海岸は防波堤で船着場と隔てられているだけだから、浅瀬を五メートルも進まないうちに、突然深くなる。
足の裏全体で海の中の砂利を踏んでいたはずなのに、急に爪先立ちになる。

試すも何も、できっこ無い。つばきは泳げない。溺れられても俺だって泳げない。つばきが何を考えているのか本当に分からなかった。

「無茶なこと言うなよ。死にたいのか?」

「だって…金魚を殺しちゃったのは私だもん。三匹で幸せそうに泳いでたのに。小さな世界でも…一緒なら窮屈なんかじゃなかったんだよ。」

つばきは金魚の姿に、俺達三人を反映させているのかもしれないと思った。
窮屈な田舎の町が嫌いだった。どこにも行けなくて、決められた、限りのあるこの小さな世界でしか、俺達は生きていけないんだと思い込んでいた。だけど高校生になると、見ていた世界が少しだけ広くなった。カンナと恋人になって、自分で変えられることもあるんだって知った。

つばきはどうだったんだろう。同じ様に街の高校に飛び出しても、つばきを取り巻く世界は変わっていなかったのかもしれない。同じ世界で生きているのに、自分だけが違う方向を向いて泳ぎ続けていると思っていたのかもしれない。

「つばきのせいじゃない。」

つばきの腕を掴む手に、ちょっとだけ力を込めて言った。つばきは眉をハの字にして俺を見ている。

「金魚が死んでしまったのはつばきのせいじゃない。俺達も無責任だった。つばきだけに押し付けてごめん。金魚が死んで悲しかったのはつばきだよな。」

つばきは首を振った。それから俺の手のひらを、掴まれていない方の手でそっと離して、海の方に向き直って、言った。

「あのまま、水を移し替えたりしなければ。あの小さい袋のままの方が、今日も生きていられたのかな。」