「……まさか、本気で帰るの?」
「もちろん」
果たされることなく、俺の下で女の顔をしていた彼女の影は、数分後にはもうどこにもいなく。
関心するようなスピードで衣類を身につけていく姿に、なかったことにされる、という、虚しさを覚える。
「もうとっくに電車終わってるけど」
「電車に頼らなくたって、帰る方法はいくらでもあるでしょ?自分さえ見失わなければ、ね」
片手間に返事をしながら、髪をまとめて口紅を塗り直す彼女を引き留めることも、やり直すことも、無理だとはわかっていても。
切り替えて進む彼女の背中は、追いかけたくなるほどに、凛と真っ直ぐに伸びていて、美しかった。
玄関先まで歩みを進めたあと、アマリリスを拾い上げた彼女は、ふいに、忘れものでも思い出したかのように振り返って、スッキリとした顔で、にこりと笑う。
……その微笑みに、今になってやっと気づく。
先程塗り直していた口紅の赤が、彼女の一部といっても過言ではないほどに、似合っていたことを。
「私はあなたのこと、好きにもなれた。
いつか、あなたも、心から大切にしたい人に出会えることを願ってる」
最後に放たれた思いがけないコトバは、彼女が音を立てて扉の外へと消えていった後も、1人残された部屋に浮遊し続けた。
彼女の腕から、俺の元へ。
意図的に置いて行かれたアマリリスは、美しいまま、俺を見上げていて。
まるで彼女の、唇の色のようだった。
思い返して曇る想いは、吐き出して、すぐにでも忘れてしまいたい。
「……好きにもなれた、って。
好きではないくせに」
それでも音に出すことで感じてしまう、確かな傷みは、自分が犯した間違いを浮き彫りにさせた。
……これがもしも、恋だったとするならば。
彼女の残り香が色濃く残るこの部屋で、夜を超える気にはならずに、シャワーを浴びてから、すっかり呼び慣れてしまったタクシーを呼んだ。