「……大きくなってきたな。今日の診察ではなんて言われたんだ?」
 手はゆったりと動かしたまま、内緒話でもするみたいに景光さんが囁いた。耳をくすぐる、心地よい低音。オレンジ色の鈍い光の中では、その声音が一層甘く聞こえて、返す声音も自然と蕩けたように緩んでしまう。
「順調ですって言ってもらえました……再来週辺りには、胎盤も完成して落ち着くって」
「そうか……それなら良かった」
 安堵を閉じ込めたような吐息が、彼の唇から細く吐き出される。そして、穏やかで静謐な雰囲気を纏ったまま、彼の声は次の質問を音にした。
「……この子の父親は、どんな奴だ?」
「え、えと……そうですね、」
 いつか聞かれるかもしれないとは思っていたけれど、よりによって今か。私は浮かびそうになる苦笑を寸でのところで抑え込み、口の中だけで『貴方です』と言えない秘密を呟いてみる。当然その言葉は景光さんに伝わることもなく、私の舌の上で死んでいった。
「すごく、尊敬できる人です。優しくて、皆に頼りにされていて……忍耐強くて、こうと決めたら曲げない信念を持っていて……」
「……」
「私は弱い人間なので、彼のそういう強さに惹かれたのかもしれませんね」
 この子の父親に向けての愛の告白は、景光さんへの秘密の告白と同義だ。彼に彼自身のいいところを伝えるのは、少し恥ずかしくて、面映ゆい。
 私は十五歳の頃に母を病気で亡くしてから、家でだらけてばかりの父に代わってバイトで生活費を稼ぎ、高校を卒業してそのまま会社に就職した。父が再婚した相手ともあまり上手く行かず、会社がブラックだったのも相まって、十八歳から二十二歳までの間は人生で最悪の期間だった。死にそうになりながら働いて、そのお金のほとんどは父に取り上げられる。一ヶ月に一度あるかないかの休みには、義母の代わりに家事をして、料理がまずいと二時間も三時間も説教をされる、――――そんな私を救ってくれたのが、恵美子さんと景光さんだった。