「ごちそうさま」
「お粗末様でした」
 ぱちんと手が合わさる音がして、食卓に静寂が訪れる。一拍置いて椅子を引く音がして、立ち上がった景光さんが空いたお皿を回収し始めた。反射的に腰を浮かせると、彼は苦笑混じりに私の肩を押し戻す。
「紗世はもう少しゆっくり食べててくれ」
「す、すみません……」
「いいよ。……今日は本当に調子がいいんだな。久しぶりに普通の料理を食べてる紗世を見て、安心した」
 私を甘やかす彼の声音は相変わらず蕩けていて、聞いているだけで私の心臓の輪郭を曖昧にしていく。先ほどまでは調子よく飲み込めていた親子丼、――――と言ってもお茶碗に半分ほどだけど、それがもう喉を通らないような気がした。
 ちらりと景光さんのほうを見遣り、私は先ほどの彼との会話、もとい攻防を思い出す。
 『泊まっていけばいい』と事もなげに言う景光さんに、当然私は遠慮をした。お世話になるのは申し訳なさすぎるし、何よりも好きな人の家に泊まるなんて緊張どころの騒ぎではない。それにクレンジングとか、着替えとか、そういうこまごまとしたものもないし。
 しかし、そうやって固辞しようとする私に対して、景光さんは私の手を優しく捕まえたまま、こう言ったのだ。
 ――――『俺が車で送っていってもいいが、雨だけならいざ知らず、雷が苦手な君を独りの家に帰すわけにはいかない。停電するかもしれないしな。俺が送らないと言えば君は歩いてでも帰ろうとするだろうが、豪雨で電車も遅れ、タクシーもほとんど出払っていた。そんな状態で身重の君を帰すぐらいだったら、いっそどこかの部屋にでも閉じ込めたほうがマシだ』と。
 どこまでも真摯なのに、ほんのりと危うい熱を孕んだ瞳を思い出すと、改めてきゅんと胸が疼く。最後の言葉はちょっぴり怖いけれど、それだけ私の身体のことを考えてくれているのだと思うと、ついときめいてしまう。確かに雨に濡れてお腹を冷やせば赤ちゃんに良くないだろうし、妊娠初期で特に注意散漫になっている私が、もし停電した家に一人でいたら危険なのも事実で、彼の提案はひどく妥当だった。
 まあ、それと緊張とは話がまるで別なのだけれど。