「本当に二人がラブラブ新婚ならこんなことしないよ? 俺不倫反対派だし」
「どの口がいうの」
「この前だって本当にするつもりじゃなかったよ。押し倒しても無反応な杏奈ちゃんの慌てる様子が見たくて」
「だから声! 大きい!」
思わず振り返って注意してしまった。だがそこにいたのは、なぜか嬉しそうに笑う少年のような樹くん。
「あ、やっとこっち見た」
…………あっぶな、ほだされそうだった。
悔しいけど可愛い。この子は可愛すぎる。やることも言うこともめちゃくちゃなのにどこか憎めない天性のものがある。つい笑って許してしまいそうになった。
なんとか自分を戒める。この子犬は飼えません。
再び早足で歩き続ける。未だタクシーは通らない。用がないときは連続で走っているのを見かけたりするくせに、必要な時はこれだ。
駅とはまるで違う方向に進み続け、もはや知らない場所へと辿り着いていく。それでもやっぱり彼は付いてきた。
「ねえ、飲もうとは言わないからさ、コーヒーぐらい行こうよ」
「急いでるから」
「じゃあ連絡先教えて」
「じゃあでなんでそうなるのよ」
「いいじゃん弟だもん」
「何かあれば巧に連絡すればい———」
言いかけた私の言葉が止まる。同時に、歩き疲れた両足も停止した。私が突然立ち止まったもんだから、後ろにいた樹くんが軽くぶつかる。
「わっと、ごめん、ぶつかっちゃった」
「…………」
そんな言葉も耳に入らないほど、私は目の前の景色に夢中になっていた。
日本でも有名な高級ホテルが聳え立つ。名前なら誰しもが知る場所で、海外から来た有名アーティストや政治家も利用すると噂されるホテルだった。樹くんを避けるために歩き続け、こんなところまで来てしまった。
その玄関に見覚えのある姿が目に入った。
巧だった。
「どうしたの杏奈ちゃ」
私が凝視する先を彼も見つめ、言葉を失くす。ホテルに入っていく彼の隣には、一人女性がいたからだ。
ロングヘアを綺麗に巻いた妖艶な女性だった。高級そうなワンピースに身を包み、巧の隣で笑っている。そんな彼女をエスコートするように巧は足を歩んでいる。
巧はとても楽しそうに笑っていた。家じゃ口も悪くて膨れっ面をすることだってよくあるくせに、今は穏やかな笑みを浮かべている。
二人は楽しそうにホテルの中へと入っていく。
「……はあ? あいつ何してんだ……!」
隣にいた樹くんが怒りを込めた言葉でそう言い、駆け出そうとするのを慌ててその腕を掴んで止めた。彼は驚いたように私を見る。
「い、樹くんいいから……!」
「いやよくないから! てか杏奈ちゃんが飛び出していかなきゃ!」
「いいの、本当にいいから……!」
隣の女性が誰かを私は知っていた。巧がずっと忘れられないと言っていたシングルマザーだ。なるほど確かに、とても綺麗な女の人だった。
樹くんは苛立ったように私にいう。
「あんま信じらんないかもしれないけど、俺本当に浮気とかそういうの許せないタイプなんだって! いやほんとどの口が言ってんだよって感じだろうけど。行って殴った方がいいって!」
「本当にいいから! あの、家でちゃんと巧と話すから……!」
必死に樹くんの腕をつかんで止める。今樹くんが突入してはごちゃごちゃになる。いやそもそも、突入する理由がない。私はあの二人を容認しているのだから。
……そう、容認している。
契約だった。巧に他に好きな人がいるのを分かった上での結婚。私たちは夫婦でもなんでもない、ただのルームメイト。
ああ それなのに、
なんでこんなに胸が痛い
「どの口がいうの」
「この前だって本当にするつもりじゃなかったよ。押し倒しても無反応な杏奈ちゃんの慌てる様子が見たくて」
「だから声! 大きい!」
思わず振り返って注意してしまった。だがそこにいたのは、なぜか嬉しそうに笑う少年のような樹くん。
「あ、やっとこっち見た」
…………あっぶな、ほだされそうだった。
悔しいけど可愛い。この子は可愛すぎる。やることも言うこともめちゃくちゃなのにどこか憎めない天性のものがある。つい笑って許してしまいそうになった。
なんとか自分を戒める。この子犬は飼えません。
再び早足で歩き続ける。未だタクシーは通らない。用がないときは連続で走っているのを見かけたりするくせに、必要な時はこれだ。
駅とはまるで違う方向に進み続け、もはや知らない場所へと辿り着いていく。それでもやっぱり彼は付いてきた。
「ねえ、飲もうとは言わないからさ、コーヒーぐらい行こうよ」
「急いでるから」
「じゃあ連絡先教えて」
「じゃあでなんでそうなるのよ」
「いいじゃん弟だもん」
「何かあれば巧に連絡すればい———」
言いかけた私の言葉が止まる。同時に、歩き疲れた両足も停止した。私が突然立ち止まったもんだから、後ろにいた樹くんが軽くぶつかる。
「わっと、ごめん、ぶつかっちゃった」
「…………」
そんな言葉も耳に入らないほど、私は目の前の景色に夢中になっていた。
日本でも有名な高級ホテルが聳え立つ。名前なら誰しもが知る場所で、海外から来た有名アーティストや政治家も利用すると噂されるホテルだった。樹くんを避けるために歩き続け、こんなところまで来てしまった。
その玄関に見覚えのある姿が目に入った。
巧だった。
「どうしたの杏奈ちゃ」
私が凝視する先を彼も見つめ、言葉を失くす。ホテルに入っていく彼の隣には、一人女性がいたからだ。
ロングヘアを綺麗に巻いた妖艶な女性だった。高級そうなワンピースに身を包み、巧の隣で笑っている。そんな彼女をエスコートするように巧は足を歩んでいる。
巧はとても楽しそうに笑っていた。家じゃ口も悪くて膨れっ面をすることだってよくあるくせに、今は穏やかな笑みを浮かべている。
二人は楽しそうにホテルの中へと入っていく。
「……はあ? あいつ何してんだ……!」
隣にいた樹くんが怒りを込めた言葉でそう言い、駆け出そうとするのを慌ててその腕を掴んで止めた。彼は驚いたように私を見る。
「い、樹くんいいから……!」
「いやよくないから! てか杏奈ちゃんが飛び出していかなきゃ!」
「いいの、本当にいいから……!」
隣の女性が誰かを私は知っていた。巧がずっと忘れられないと言っていたシングルマザーだ。なるほど確かに、とても綺麗な女の人だった。
樹くんは苛立ったように私にいう。
「あんま信じらんないかもしれないけど、俺本当に浮気とかそういうの許せないタイプなんだって! いやほんとどの口が言ってんだよって感じだろうけど。行って殴った方がいいって!」
「本当にいいから! あの、家でちゃんと巧と話すから……!」
必死に樹くんの腕をつかんで止める。今樹くんが突入してはごちゃごちゃになる。いやそもそも、突入する理由がない。私はあの二人を容認しているのだから。
……そう、容認している。
契約だった。巧に他に好きな人がいるのを分かった上での結婚。私たちは夫婦でもなんでもない、ただのルームメイト。
ああ それなのに、
なんでこんなに胸が痛い