「高杉さん、ではまた明日! 今度こそ飲みましょうね!」

「あ、河野さん……!」

 まるで聞いてはいない彼女は、スキップでもしそうな勢いでそこから去っていった。嵐のように一瞬の流れだった。樹くんはポケットに手を入れたまま立って私に笑いかける。

「突然ごめんね?」

 私は呆れの感情を隠さずに彼を見上げた。樹くんもそれを見て笑う。

「あはは、うんざりって顔してる!」

「ええと、私帰るので、すみません」

「大丈夫、もうキスしようとしたりしないからさー」

「ちょ、声、大きい!」

 慌てて周辺を見渡す。人々は忙しそうに足を運んですれ違っていく。誰かに聞かれたら勘違いされそうな発言やめてほしい、私も巧も困ってしまう。

 私は軽く彼を睨むと、足早にそこを移動する。巧の言うようにタクシーでも捕まえて帰ろうかと思った。この子なら電車の中までついてきそうだ。

「あ、待って杏奈ちゃん。ちょっとご飯でも行こうよ」

「行きません」

「スッパリ! ごめんね、この前ちょっと調子に乗っちゃって」

 ほとんど走るような形で急ぐも、彼は後ろから平然とついてきた。そしてこんな時に限りタクシーは通らない。

 困ったなと思い一瞬巧に連絡しようとした。が、思いとどまる。

……最近全く会話もしてないし、こんな時だけ連絡するのもな……。

 顔すらゆっくり見ていない。

 私はなんとか自分で対応しようと心を決め、とにかく人通りの多い道を歩きながらタクシーを探した。

「ちょっと杏奈ちゃんとご飯食べたいだけだってー」

「なら巧もいる時にして」

「やだよあんな堅い顔したやつとご飯食べるの」

「ねえ、この前私たちのことは信じてくれたんじゃないの? 何でこんなに執着してるの?」

 やや苛立ちを感じながら言葉に出す。一応、あのおにぎりTシャツで夫婦である証拠は示したはずだ。(マヌケな証拠だけど)人の仕事終わりを待ち伏せする目的はなんだと言うのか。

 樹くんは突然私の前に立ちはだかった。つい足を止める。

 彼の耳にひかる銀色のピアスが綺麗だと思った。

「杏奈ちゃんが気に入ったって言ったじゃん」

「すんごい嘘くさい」

「辛辣ー! 俺今回は結構まじなんだけど。二人の偽装結婚疑惑もまだ完璧に晴れてないし、そうなら俺と付き合っても問題ないし」

「問題まみれ」

 私は彼を交わしてさらに足を進める。樹くんはなおついてきた。

 3次元に興味ない私だってわかる。彼はかなりモテるタイプだし、女に不自由は絶対にしていない。少ししか会っていない私を気にいるだなんて絶対に嘘で、なんとかして巧の弱みを握るためにこの契約結婚を明かしてやりたいのだ。

 普通の女なら揺れるかもしれない。それほど彼は顔は綺麗だし人懐こい。だがしかし今の私は足元に子犬が戯れついているようにしか思えない。