どの女と付き合っても大して長続きはしなかった。
それは自分の性格が原因の一つとわかっていたし、自分が選ぶ女がことごとく中身のない女だとも自覚していた。
適当に言い寄ってきた中から顔とスタイルが好みのやつを選んだ。大体はいずれ会社を継ぐというステータスや顔だけを見て言い寄ってきたため、長続きもせず喧嘩別ればかりだ。
今まで心から自分を好いてくれた人間などいただろうか。
そうぼんやり考えている時にいつも思うのは、幼き頃自分に手紙を渡してくれた小さな女の子の顔だった。
そこそこ長く生きてきたのに、ちゃんと自分を好きでいただろうと確信できるのが子供の頃の思い出とは。俺もつくづく寂しい男だと思う。失笑。
ただこの人生、一番後悔しているのは紛れもなくあの手紙を彼女の目の前で破り捨てた事だ。謝ることもできず、弁解することもできず、いい年になってしまった。
「藤ヶ谷様！ ご足労いただきありがとうございます」
小太りのハゲがペコペコと頭を下げた。自分もしっかりと首をたれる。
「本日は父の代わりに私が。よろしくお願いします」
「噂には聞いてましたが流石の美男子ですな！ ははは！ こちらへどうぞ！」
随分腰の低い様子だが、彼は部下などには威張り散らす厄介な親父だとは知っていた。立場上こちらの会社の方が上なので随分と気を遣われているようだ。
案内されるがまま社長室へ入る。ふわりとした感触のソファに腰掛けた。
「いつもお父様にはお世話になっておりまして……自慢の息子さんだと伺っております」
「いえとんでもない」
「あとは結婚相手だけ見つければ完璧だとおっしゃっていましたよ！ ははは！」
世間話をゆっくりするつもりはなかった。愛想笑いだけ浮かべて持っていた鞄から書類を取り出す。時間は有限だ、もったいない。
父があちこちに息子がなかなか結婚してくれない、と嘆き散らかしているのは知っていた。会社のことを考えて早く身を固めろと言われ続け耳ダコだ。だがここでもそんな話をしていたとは。後で文句の一つでも言ってやろうと思った。
「早速ですが、この件について」
そう本題に取り掛かった時だった。部屋をノックする音が聞こえ、部屋の扉が開く音がした。
「失礼します」
凛とした女の声が響いた。タイミング的にお茶でも持ってきたのだろうと特に振り返ることもしない。
案の定思っていた通り、入ってきた女社員は私たちに静かな足音で近づいた。カチャカチャと陶器の音がする。
「ああ高杉くん、今日は藤ヶ谷社長じゃなく息子さんの方だから。お茶よりコーヒーを」
「お持ちしています」
「ああ、さすがだね君は」
高杉、の名前を聞いた途端反射的に顔を上げた。これまでの人生、自分が一番反応してしまう名前だった。
だがもちろんそこそこありふれた名前だし、今まで全て空振りに終わってきた。まるで知らない『高杉』という女を見ては一人でガッカリし苛立ったものだ。
だから今回も期待はしていない。ただ体が反射してしまっただけなのだ。
「藤ヶ谷社長はコーヒーお嫌いですものね」
そう微笑んだ彼女を見て、自分の周りだけ時が止まったのかと思った。
俺が引き裂いた手紙を見て、目から大粒の涙をポロポロこぼした子。
謝ろうとした時にはすでに走り出してしまい、追いかけることすらできなかった子。
無惨になった手紙たちの残骸を持ち帰り中身を見た時初めて引っ越すのだと知り、翌日慌てて謝りに行ったがもう引っ越しが完了していた子。
随分と大人びてイメージはまるで変わっていたが、紛れもなく高杉杏奈だった。
「では失礼します」
唖然としてる俺を置いて、彼女はすぐにいなくなってしまった。まるでこちらを見なかった。俺に気づいていないらしかった。
「どうされました？」
言葉もなく彼女に見惚れていた私に、キョトンとハゲが話しかける。
「あ、いえ……お綺麗な秘書の方ですね」
「ははは、仕事もそこそこ出来るのですよ、お気に召しましたか？」
お気に召したも何もない、と心で呟いた。
柄にもなく胸が熱くなり、大変滑稽だが運命かもしれない、だなんて思った。普段の俺を知ってる人間が聞いたら卒倒するかもしれない。藤ヶ谷巧が運命、だなどと。
とりあえず気持ちを落ち着かせるために目の前に出されたコーヒーを飲む。すぐに仕事を終わらせて杏奈に話しかけよう、と思った。昔のあの出来事を覚えているだろうか。
だがしかし、目の前に座る男が困ったような顔でいう。なかなか世間話が好きなタイプらしい。
「いやあ、藤ヶ谷様がうちの社員と結婚されればこんなめでたいことはないですが、高杉はどうもねえ……」
「いや、別にそんなつもりで言ったわけではないですが……
もうご結婚されてるんですか」
「いや、異性に興味がないらしいんですわ。もったいないことに」
つい目を見開いて停止した。
異性に興味がない、つまりは同性に興味があると？
「ははは、社内で有名すぎて私の耳にまで入ってきましたよ。まあ彼女は仕事もできるから寿退社の予定がないことは安心ですがね！」
「まあ……今時同性愛も珍しくないですね」
「それにしても勿体無いですなあ、藤ヶ谷副社長の目に留まるほどなのに」
まさか、男に興味がない？？
では昔くれたあの手紙は、と自問してすぐ自答した。思えばあんなの二十年近く前の事。人が変わるのは無理ないし、何より思えば内容は決してラブレターというわけではなかった。勝手に自分がそう思い込んでいただけだ。一緒に勉強できて楽しかったよ、引っ越ししても元気でね、などというありきたりな別れの手紙だった。
愕然として目の前のコーヒーを見つめた。先ほど盛り上がった気分が一気に降下し絶望を覚える。
「ああ、えっとすみません、仕事の話でしたな」
ようやく始まった仕事の話は、これまでの人生の中で最も集中できない時間となってしまった。
仕事が終わり、見送りを断って自社に戻ろうとした時、再び杏奈の姿が目に入った。
彼女は他の仕事の最中だったのか、電話を片手に懸命に話をしていた。だがすぐ私にも気づき、目が合った瞬間優しく微笑み丁寧に頭を下げてくれた。
その姿を目にした瞬間、なぜかは分からないが自分はもうこれを逃したら一生独り身だと確信した。この再会を逃しては、彼女を逃してはならないと強く心に誓った。
未だ電話で話し続けている彼女を横目で見つめ、決意を固めるとその場から歩き出す。
昔から手段は選ばない方だ。それで今まで反感を買ったり恨まれたりもしたことがあったが、今回ばかりはそんな自分の性格が役立ちそうだった。
家に未だとってある水玉模様の便箋を思い出しながら、私は一人強く頷いた。
