「紫苑!!褒めろ!!リレー1位獲ったんだ!!」
ガバッと抱き着いてきた律を、半ば遠い目で受け止める。初めに抱いた印象は間違っていなかったようだ、彼はやはり獅貴に似ている。
スキンシップが激しいところとか、人の言うこと聞かないところとか。
「おい律…てめぇ…」
「あ、総長、おはようございます!!」
キラッキラの笑顔で獅貴に挨拶する律。相変わらず獅貴への忠誠心と憧れは持ち合わせているようだが、前より態度が軽くなった。
なんと言うか、雲の上の存在から、手の届く存在に接するような、そんな変化。
「リレーも借り物競争も50メートル走も全部1位獲ったんだぜ!!」
「わ、わぁ…たくさん種目出たんだね…」
怒涛のスケジュールじゃないか。まさか全部の種目に出るなんて言わないよね?
笑顔で褒めるはずが、少し苦味のこもった微笑になってしまった。ちょっと軽くドン引きである。彼はどうやら勝負事への執念が凄まじいらしい。
「おめでとう律。疲れたでしょ、水飲む?」
せめてものご褒美…とまでは行かないが、持っていた水を差し出す。私が律と話している間に未星くんが皆に飲み物を配ってくれていた。本当に出来る男だ。
この水は私のものなのだが、まぁ仕方ない。ていうか何もしてないし。水はたくさん走って頑張った律が飲むべきだろう。
「良いのか?ありがとう紫苑」
ふにゃあ、と笑った律に私も笑みを返していると、周囲の様子がおかしいことに気が付いた。さっきまで騒がしかった室内が異様に静かだ。
未星くんがギョッとしたように目を見張っているし、陽葵と涼くんはぽかんと首を傾げている。倉崎くんはよく分からない表情だ。複雑そうな表情。
獅貴は鬼の形相だ、とても怖い。
「あの…お二人共、いつの間にそこまで仲良く…?」
未星くんの問いに納得して頷いた。確かに傍から見ればこの光景はカオスだろう。
律は獅貴にしか懐いていなかったから、私、それも女にベッタリくっ付いている姿が異様に映ったのかもしれない。
「あぁ…それは…―――」
「俺と紫苑の秘密だ、邪魔するな」
答えようとすると、それより先に律が言葉を遮った。冷たく凍てついた、氷のような声で。
思わずビクッと揺らした私の肩を見下ろして、律は慌てたように目を見開いて口を噤んだ。ペットボトルを片手にあたふたする姿は正直少し面白い。
「し、紫苑、悪い、怖がらせたか?ごめんな?」
こういうところも獅貴そっくりだな、と不意に。反応が本当に獅貴に似ていて既視感が凄まじい。そんなことを考えて、何でも全て獅貴と比べている自分に気が付き困惑が過ぎった。
どうしてこんなにも、獅貴のことを考えてしまうのか。
「紫苑?」
「…ぁ、うん、なに?」
心配そうに呼びかけられてはっとする。困ったように微笑んだ律が、私を近くの椅子に誘導して座らせた。
「暑いから疲れたか?少し休んだ方がいい」
言いながら律がペットボトルの蓋を開けて私に差し出す。私が熱中症を起こしたとでも思っているらしい。結局手元に戻ってきた水に苦笑する。
律の言葉を聞いて、怖い顔をしていた獅貴が焦ったように駆け寄ってきた。
「紫苑、具合悪いのか?大丈夫か…?」
余りにも不安そうな顔をするので、母性本能が擽られて手を伸ばす。頭をポン、と軽く撫でて触り心地の良い髪を梳くと、獅貴は柔らかく目を細めた。
「…つーか、エアコン付いてなくね?」
「「………え?」」
弱った私を見て怪訝に首を傾げた倉崎くんが、ふと何かに気が付いたように声を上げる。興味無さげな獅貴と律以外の全員の声が見事に被った。
「…ほんとだ」
エアコンの傍に近付いて、両手を万歳の形に上げた陽葵が呟く。それをボーッと見ていた律が何かを思い出したのか「あ」と固まる。
「そういえば、サボり防止でエアコン全部止めてるって言ってたな」
開会式で言ってた、と呆気なく言い放った律。直後視聴覚室に「はあぁぁあ!?!?」という絶叫が響き渡った。
体育祭も終わり、漸く落ち着いた日々が続いてきた頃。
私は今、バイト終わりの帰路に着いていた。例の年齢詐称でやっていたバイトじゃない。ちゃんとしたまともな所だ。以前のバイト先は店長のセクハラが激しくなってきていたので速攻辞めた。
ただそこはネオン街の近くで、治安が悪く帰る時は物騒だ。何せ終わる頃には深夜間近なので、酔っ払いや不良との遭遇率が高かった。
ちなみに獅貴にはバイトのことを伝えていない。言ったら絶対乗り込んでくるし。
今日も今日とて、物騒な路地も危険な通りも通らず、遠回りしてアパートへ向かっていた。いた、のだが…。
「―――君可愛いね!この後時間ある?」
「―――俺らと遊ばなーい?」
The・チャラ男の看板を掲げたような男が二人、さっきから絡んでくるのだ。赤髪と青髪、対照的で面白いが、黄色が居たらもっと面白かった。信号みたいでシュールなのに。
「………はぁ」
どう答えればいいのか分からず、曖昧に首を傾げるだけに留める。私みたいな凡人女をナンパするなんて悪趣味だなぁ…と不意に考え、空を見て納得した。
暗いから顔がよく見えないのだ、だから私を美少女だと勘違いしてしまったのだろう。
「あの、すみません…もう帰るので…」
なんとか進もうとするが、進行方向は男たちに塞がれて通れない。なんだお前ら、壁かっつーの。
「そんな冷たいこと言わないでさぁ」
「っ…!!」
後退った瞬間、赤髪の男にガシッと腕を掴まれる。慌てて振り払おうとするが、男の力には敵わず為す術が無い。
「は、離して…!」
焦りを表情に浮かべる私に、二人は興奮したように拘束する手を強めてくる。
恐怖が体を支配して動くことが出来ない。震える体をどうにかしようと力を込めるが、足は固まったまま進まない。
助けてと心の中で叫んだ瞬間、目を見開く。
―――私は今、誰の姿を思い浮かべた…?
「おい」
男達の背後から聞こえた低い声。目の前は二人に塞がれて見えないし、私は恐怖で俯いてしまっていた。その声に既視感を覚えたと同時に、二人の男が目の前から消え去った。
何かが折れるような鈍い音と共に、苦痛に喘ぐ呻き声が響き渡る。
「は……?」
男が視界の端に吹き飛んだ衝撃で、その場にふわりと風音が轟く。髪が靡いて慌てて手で押さえた。
「紫苑ちゃん、大丈夫ですか?」
カツ…と靴音を鳴らして目の前に立ったのは、マッシュウルフの柔らかい茶髪を揺らした鴻上さんだった。何か凄く良い笑顔だけど、今何したの…?
白目を剥いて倒れる二人の男を凝視する。交互に鴻上さんを見て何とか状況を把握しようとするが、如何せん脳が全く追い付かない。
「鴻上、さん?」
「はい、鴻上です」
ふふ、と微笑んだ鴻上さんに理解が全くついていかない。硬そうな革靴は少し汚れていて、それが今の惨状を引き起こしたせいだと直ぐに分かった。
まさか二人の男は、あの鉄みたいな靴で蹴り飛ばされたのだろうか。だとしたらとんでもない激痛だったに違いない。
半ばドン引きで鴻上さんを見つめると、彼はその視線の意味に気付いているのかいないのか、私に一歩近付いて手を差し出してきた。
「"汚物"に触れられて気味が悪かったでしょう。怪我はありませんか?」
「は、はい…」
何故だろうか、さっきから鴻上さんの様子が何だかおかしい。背後に禍々しいオーラを感じるし、何より目が笑っていない。
あの聖人のような純粋な笑顔は何処へ…。
「…それで、紫苑ちゃんはどうしてこんな所に?」
ピクッと肩を揺らす。なるほど彼の怒りの原因はそれか。優しい彼のことだからきっと『女子高生がこんな所歩いちゃ駄目だよ』という意味なのだろうが、勘違いだったらとても恥ずかしい。
若しくは『こんな時間にこんな所歩くってことは、お前さてはビッチだな』と思われているのだろうか。誤解だ、私は処―――いや、この先は言わないでおこう…。
「あの、バイトの、帰りで…」
「バイト?獅貴君のお迎えは?」
やっぱりそこだよなぁ…。普段の私たちの姿を見たら、最早私と獅貴で一つみたいな扱いになっているのだろう。確かに最近は獅貴が居ないと違和感を覚えるようになった。
フルフルと首を横に振ると、鴻上さんは複雑そうに表情を歪めて息を吐く。取り敢えずBARで話しましょうと促す彼に大人しく頷いた。
周囲を見渡してはっとしたが、ここからBARへの距離はかなり近い。鴻上さんが私を偶然見つけて助けてくれたのも、そのお陰ということもあるのだろう。
「この人たちは…?」
未だピクリとも動かない彼らを見下ろし問い掛けると、鴻上さんはあたかも今気付いたかのように「あぁ…」と振り返る。
興味無さげな緩慢なその動きに、また違和感を覚えた。
「まぁ、放っておけば勝手に消えるでしょう」
またもや良い笑顔だ。キラッキラの表情のところ申し訳ないが、さっきから鴻上さんへの印象が段々と変わりつつある。
最早心優しい聖人の面影はどこにも無い。
「そう、ですね…」
はは…と苦く微笑んで、大人しく彼の後を着いていくことにした。
――――――――――――
――――――
―――
カタ…と目の前のテーブルに置かれたのは、氷の音が涼しげに鳴るアイスココアだ。夜にも関わらずジメジメとした暑さで汗をかいていたので、冷たい飲み物はとても助かる。
一口手早く飲んでソーサーに戻す。向かいの席に座った鴻上さんに視線を向けた。
「何で、って顔してますね」
ふふっと笑って言う彼に曖昧に微笑む。その通りだ、どうして鴻上さんは私をBARに連れて来たのだろう。
彼処で助けてくれた時点で別れれば良かったはずだ、若しくは彼なら、途中まで私を送るという判断を下したかもしれない。
態々ここまで私を呼んだ理由は、一体何なのか。
「…大した意味は無いんです、ただ少し、紫苑ちゃんとお話がしたくて」
カップの持ち手に指を通して、そっと飲み口を口元に持って行く。彼のその仕草がやけに上品で、無意識に見蕩れてしまった。
ほんの少し覗いて見えた色合いを見るに、飲んでいるのはコーヒーだろう。
「話って…獅貴達のことですか?」
「っ…はは…。
…そこまで察していてくれたんですね…」
驚いたように一瞬ピクッと肩を揺らした鴻上さんだが、直ぐに落ち着いた穏やかな笑みに戻る。
正直、この人とは獅貴たちを間に挟まなければ余り交流が無い。彼と話をするとなれば、必然的に彼らが話の内容に関わってくるのだ。
「そうです。さっきのことで確信しました、貴女は彼らの境遇を、全く知らないのではないかと」
「境遇…?」
こくり、と一つ頷いて、彼はまた一口コーヒーを含む。置いたカップの中はユラユラと水面で揺れていて、その動きをなぞるように、彼の瞳も揺れていた。
私に視線を戻した彼は、酷く真剣そうな顔をしている。
「紫苑さん、貴女は"ANARCHY"を知っていますか?」
「っ…!」
―――ANARCHY
それは今まで何度か、彼らの口からも漏れて、そして周囲の雑音からも聞こえていたもの。私も最近、特に気になっていた単語だ。
そして律が獅貴に対して呼んでいた『総長』という言葉の意味も。世の中のことに疎い私でも、何となくの考えはついている。
「…"暴走族"、ですか」
微かに答えた私に、鴻上さんは困ったように微笑んだ。
「知ってたんですね」
「…知ってた、というより、予測です。ANARCHYが何なのかは、本当に知りません。けどその反応だと、当たってたみたいですね」
私も苦笑を返す。どちらも曖昧な微笑を浮かべている所為で、何だかおかしな空気が場を包む。続けた私の答えにも、彼は何とも言えない微笑を向けた。
「…では、ANARCHY自体は良く知らない、と?」
「そう、ですね。
いつも皆と居るのに、情けないですけど…」
唯一とも言える友達は彼らだけだ。彼らが私を友達だと思っているかどうかは置いといて。けれど私は、彼らのことを何も知らない。