拾った総長様がなんか溺愛してくる(泣)【完】



「両親が死んだの、事故で。それですぐに祖父母に引き取ってもらう予定だったんだけど、勘当した息子の子供なんて育てたくないって、嫌がって」


「…っ」



足首に添えられた手が、少し震えている。怒っているのだろうか、私の為に。だとしたら、何だか嬉しい、そう思う。


息を呑んだ彼にまた苦笑して、幼い日のことを思い出した。今思い出しても、苦い記憶でしかないが。



「祖父母が折れるまで、ずっと施設にいた。やっと引き取られた後も無視されるし、中学入った途端厄介払い。まだ施設に居た時の方が、幸せだったかも」



ふふっと笑うと、彼は一瞬、瞳に悲しそうな情を映した。嫌いな私の為に悲しんでくれるなんて、本当に優しい人なのだろうなとぼんやり思う。


やがて流川くんは、そっと私の足首から手を離す。足を優しく床に下ろされる感覚に微笑んだ。何処までも、最後まで、彼は気が利いてとても優しい。



「…だから分かれとは言わない。でも私は、レッテル貼りがどれだけ不快なものかってこと、理解してるつもりだよ。親が同時に死んだってだけで、可哀想だとか、酷い時は嘲笑ってくる奴だって居たから」



らしくもなく感情的になっている自分に驚く。こんなのは駄目だ、いつだって冷静で居ないと。他人に弱みを、見せないように。


私は全然、苦しくなんてないから。



「…私は君に、君みたいな人に、本当に感謝してる」


「それは、どうして」



心做しか彼から放たれる声は穏やかだ。そんなことは無いと牽制してみても、柔らかいものに聞こえてしまう。都合のいい考え方が、都合のいい夢を見させているのだろうか。





「施設にいる時は、一人じゃなかった。特に年上のお兄さんなんかは、すごく優しくて面倒見が良くて、頼り甲斐があった。そういう人に、救われてたから」


だから、と言葉を区切ると、流川くんは静かに視線を合わせた。初めて彼と、真正面から堂々と向き合ったかもしれない。



「だから、ありがとう。君みたいな"お兄ちゃん"が居たから、きっとみんな『独り』だって感じなかったんだと思う」



親のいない子供にとって、頼れる家族のような存在がどれだけ救いだったか。


きっと流川くんはみんなの"お兄ちゃん"で、誰より頼れる『大人』だったんだろう。大人を信頼するのは、訳ありの子供たちにとっては難しいことだから。



「………そう、か?」



ぎこちなく笑う彼の表情は、懐かしさと慈愛に満ちて、本当に兄のようだと思った。この笑顔に救われた子達が、確かにいるのだろう。


「…悪かったな、紫苑」


「っ…名前、覚えててくれたんだ」


はにかんで言うと、少し照れくさそうに視線を逸らした流川くんが反論する。



「初めて会った時、名前覚えたっつったろ」



そうだった、と小さく声を上げて笑う。やっぱり彼は、正直で素直な人だ。そして誰よりも優しくて、辛い時期の辛いという感情を、知り尽くしている。


だからこそ、他人を思いやれる。


「…お前、その流川くんっての、やめろよ」


「…え?」


ふいっと顔を逸らした流川くんだが、灰色の髪から覗いた耳が僅かに赤く染まっているのが見えた。まだ、照れているのだろうか。



「律、でいい。お前のこと誤解してた。何も知らないのに馬鹿みてぇなこと言っちまって、ほんと、悪かったな…」





心底申し訳なさそうな声音だ。どこまでいっても彼は本音しか吐かないのだと思い知って、なんだか笑いが溢れてしまった。


嫌いも好きも、極端な感情を何一つ隠さず、誤魔化さない姿勢。真っ直ぐで純粋で、少し憧れてしまう気もするが。



「私も、君のことちょっと誤解してた、ごめん。
これから改めてってことで…よろしく、律」



ふわりと微笑むと、安心したように息を吐く律。


誤解を解いて向き合ってみると、彼はとても良い人だということが分かった。怪我をした右足で立ち上がろうとすると慌てたように手を貸してくるし、あまつさえ教室まで送ると言ってくる始末。


身内に甘いタイプなのかな、と苦笑して時計を見ると、既に授業終了の5分前だった。



「…あとの時間ここでサボれよ。
俺も付き合ってやるからさ」



時計を見て、律はすかさず私をベッドへ押し戻してくる。確かに今からじゃ戻っても意味無いか、と腰掛けた。



その後、私の怪我のことを聞いた獅貴が物凄い形相で保健室に乗り込んでくるのは、今から5分後の話である。






「あっちぃぃ〜……」



学校内でエアコンが取り付けられている数少ない教室の一つ、視聴覚室の中。その室内に溜まる六人の生徒。


言わずもがな、獅貴と私、涼くん、倉崎くん、陽葵、未星くんの六人である。


そして今日は、いつものサボりではない。本格的に夏へ突入し暑さが最高潮になったこの日。



―――体育祭である。





突然の体育祭に私自身困惑気味だ。がしかし、普通に授業に出て学校生活を正しく謳歌している生徒たちには突然のことではない。


実はこの面々、サボりすぎて体育祭があることも知らず、その種目決めの時間にも教室へ行かなかったのだ。余りにも馬鹿だ、自業自得だ。


当日になり初めて体育祭が今日であることを知った。そういえば以前からクラスがザワついていたような気もする。今思い出したところで後の祭りだが。



「あぁ〜あっちぃ!!」



さっきから暑さへの文句を垂れ流し駄々を捏ねている彼、涼くんだ。実は今こんな状況に陥っている主な原因は彼だったりする。



「全然涼しくねぇし!!エアコン付いてんのか!?」


「今付けたばかりなんです、涼しくなるには時間が掛かるんですよ」


「おい涼也、お前暑くなるとキャラ変わる癖をどうにかしろ、お前が一番暑苦しいぞ」



少しでも涼しさを求めているのか、涼くんは表面が冷たい長机に抱き着くように席に着いている。そんな涼くんを無視することなく返事をする未星くんと、本当に鬱陶しそうに吐き捨てる倉崎くん。


ちなみに私はきちんとお行儀良く椅子に座っている。さっきまで獅貴の膝の上に拘束されていたのだが、余りの暑さに怒ったらしょんぼり肩を落として解放してくれた。


今は獅貴もちゃんと、椅子に座る私の横、つまり床に胡座を掻いて座っている。それはそれでどうなんだ。



「…とける。暑すぎ」


「陽葵、暑いのは分かるけど床で寝ちゃだめだよ。ジャージ汚れちゃうよ」



床にぺたりと張り付くように、大の字、そしてうつ伏せで寝そべる陽葵。正直その姿勢が一番涼しそうな気もしなくもないが、流石にそれをやる勇気は無い。





「…こら獅貴、寄っかからないで、暑い」


「………」



こいつ、聞いちゃいねぇ…。



私を抱き締めるのは諦めたものの、くっ付くことは諦めていなかったらしい。床にぺたりと座り込んだ姿勢で上体を傾け、私の膝に頭を乗せる獅貴に溜め息を吐く。


短パンの所為で、少しだけ獅貴の髪が素肌に当たって擽ったい。


万一外に出た時、紫外線やらの問題があるのでジャージの上着を持ってきたが、この調子だと出番は無さそうだ。今は椅子の背もたれに掛けている。



余談だが、ファスナー式の上着なので掛けるのがとても楽だ。中学の時の上着はパーカータイプだったから椅子に掛けるには向かなかった。



「…紫苑、撫でて」


「っ……」



上目遣いの流し目。息をするように色気を撒き散らす獅貴に内心悶絶する。ただでさえ最近は態度に困ってるのに、何故この男は以前と同じ距離感で近づいて来るのか。


自分が告白(?)したこと忘れてるのかな…。



「…っ、はぁ…分かった分かった」



言われても撫でない私に悶々としたのか、獅貴は自分の頬を私の膝に擦り付けてくる。変な感じするからそれやめろ。


「…ん、もっと」


「………」


観念してサラサラの黒髪を撫でると、獅貴は気持ち良さそうに目を細める。というか、彼は私にくっ付いて暑くないのだろうか。





「おいそこぉ!!甘いよ甘すぎる!!見てるだけで暑苦しい!!」


「だからてめぇが一番暑苦しいっつってんだろ!!」



限界が来たのか、倉崎くんが叫ぶ涼くんの頭に拳骨を落とす。どうやら冷静に見えて、倉崎くんもかなり暑がっている様子だ。金髪が汗に濡れて更に輝いている。


ふと陽葵に視線を向けるが、彼はさっきと変わらない。相変わらずうつ伏せで倒れている。死んでないよね?



「…はぁ…紫苑、好き」


「っ…不意打ちやめてよ、びっくりするでしょ」



どうやら告白の件は忘れていなかったらしい。暑さで頭がやられている所為でもあるのか、獅貴は半ば朦朧とした表情で「好き」と囁く。


大分小声なので私にしか聞こえていないが、こんなところ、特に学校内では言わないで欲しい。普通に恥ずかしいし。


「…ていうか、体育祭全部サボっちゃって本当に良いのかな…」


見てるだけで暑苦しい、というのは正味的を得ているものはある。涼しさを求めて窓の外に視線を向けたが、見えるのは青い空とグラウンドで騒ぐ全校生徒たちだけ。


涼しさは微塵も感じない。むしろこの光景はサボっているという事実と現状を思い知らせてくるのみだ。



「別にいいだろ、俺らに文句言える奴居ねぇし」



携帯を弄って倉崎くんが言葉を返す。いやそんなこと…と前なら言っていたが、今は確かにとしか思わない。


未だよく分かっていないのだが、彼らは生徒のみならず教師にも恐れられているような感じがするのだ。




「…つーか、今更だろ」


「………」


下から聞こえてきた小さな低音に何も言い返せない。確かに今更だ。普段の授業サボってるんだから行事もサボったところで…って話だよね。


ていうか獅貴、話聞いてたんだ。



「…のど、かわいた…」



死にそうな枯れた声でそう呟いたのは、体勢がもう瀕死の陽葵だ。彼の背景だけオアシスの無い砂漠のように見える。セリフも姿も完璧にマッチしてしまっていた。


陽葵の言葉に誰一人動く気配が無い。こういうところは薄情なんだよなこの人たち…。



「…私、飲み物買ってこようか。陽葵は何が飲みたい?」


「おい加賀谷、あんまチビのこと甘やかすな、駄目になるぞ」



苦言を呈すのは手で風を扇ぐ倉崎くんだ。言ってることはごもっともなのだが、今の彼の一言で陽葵の限界に気が付いた。何故なら陽葵は今、倉崎くんに反論していない。


チビという禁句を漏らされたのに、だ。これはかなり重症らしい。



「…俺も行、」


「だめ。獅貴はここに居て」



ガーンと落ち込んだ獅貴には悪いが、ここは丁重にお断りさせて頂く。完全に私の問題なのだが、獅貴と2人きりになるのは避けたい。


今も尚、ほんの少しだが動揺しているのだ。獅貴が間近にくっ付いているこの瞬間が酷く疲れる。無駄に体に力が入ってしまう。





「あ、なら俺一緒に行きますよ」



黒マスクを指で摘んでパタパタと前後させる未星くん。彼が片手を軽く上げて名乗りを上げた。それはいいんだけど、意地でもマスクを外さないその姿勢が気になる。


額にはかなりの汗が滲んでいるが、マスクそのものを取り払う気配はないようだ。



「…オレンジ、ジュース…」



くぐもった声が聞こえる。その先に居るのは陽葵だ。状況が状況なだけに遺言にしか聞こえない。でも良かった、さっきの私の質問聞こえてたんだ。


「わかった、オレンジジュースね」


「あ、俺お茶な」


「俺もお茶で〜」


獅貴の肩を柔く押して退かし立ち上がる。陽葵の言葉に微笑んで返事をすると、ここぞとばかりに倉崎くんが手を上げる。


お茶という言葉に『じゃあ俺も』という風に涼くんが続き、その横に居た未星くんが呆れたように溜め息を吐いた。



「…すみません、紫苑さん」


「ま、まぁ、皆の分も買ってくるつもりだったし…」



苦笑して宥め、未星くんの後を追うように扉へ向かうと、獅貴が名残惜しそうに私のジャージを掴んだ。半袖シャツの裾を摘んで見上げてくる獅貴に思わず立ち止まる。


そういえば獅貴の飲み物を聞いてなかった、だから止めたのだろうか。


「獅貴は何が飲みたい?」


さっきから辛辣な態度で接していた自覚があるので、今度は柔らかく問いかける。私の穏やかな声に安堵したのか、獅貴はほっと息を吐いた。



「…何でもいい、早く戻って来い」



獅貴らしい答えに笑いが溢れて、無意識に靡く黒髪を撫でてしまった。



獅貴はやっぱり、気持ち良さそうに目を細めた。