拾った総長様がなんか溺愛してくる(泣)【完】




全てを知った俺は、けれどその状況をどうすることも出来なかった。出来ることと言えば、弟は本当に何も知らないのだと、関係ないのだと知り渡らせる為に、冷たく接することだけ。



それすらも間違いだとは気が付かなった。



気付けば弟とは一言も話さなくなり、仕事で忙しい母とも会わなくなった。家庭は目に見えるほど崩壊していた。


俺が中学三年の半ば頃を過ぎると、弟も家を空けるようになった。まるで今までの俺の間違いを辿るように、同じ行動をし始めたのだ。



皮肉にも、そのお陰で俺は間違いを思い知ることが出来たのだが。



壊れたものを修繕しようと思っても、それは既に手遅れで。どうにもならない現状を、湯水のように溢れる不安や後悔を、ただ持て余すだけだった。



開き直ったように家庭から目を背けば、途端に体は軽くなる。あれだけ重かった足取りも、同じように軽く。



逃避しては何も変わらないということは分かっていたけれど、俺は逃げたい。純粋に、逃げたいのだ。



自分の間違いを、それによって壊してしまった大切なものを、もうどうにも出来ないのではないかという不安を受け止めるのが怖くて。



余計拗れることは分かっていた筈なのに、俺はどうしてもANARCHYから離れることは出来なかった。帰る場所に迷っている俺の、唯一の居場所だったから。



共感だけが蔓延って、無条件な信頼を得られる場所。尊敬の眼差しを向けてくる後輩。余りにも居心地が良くて、ぬるま湯のように依存性があって。






俺は自分を守る為に、今も尚、そのぬるま湯から抜け出せないでいる。踏み出さなければならない一歩があることを知って、それでも目を逸らし続けている。


はっと我に返ったのは、彼女の言葉を聞いてからだ。




『何とかなるよ。生きてれば、いつだって話せるし。誤解があっても解けるし。本音を言いそびれたなら、また伝えられるし』




なんて事ないとでも言うように、彼女はあっけらかんと呟いた。何を悩むことがあるのかと、いっそ突き放すように、清々と。


"生きていれば"。なんて軽くて、重い言葉なんだろう。きっと普通に生きている人間には響かなくて、彼女だからこそ、重く語れる一言だ。



紫苑さんは、伝えることが出来なかったのだろうか。伝えそびれてしまったのだろうか。後悔、しているのだろうか。



だけど、どれだけ何かを思っても、どうすることも出来ない。どうにかしようと前を向いても、人の力では踏み出せない辛さ。




―――だけど俺は、どうだ。




どうにかしようと思えば、きっとどうとでもなる。修繕だって、修復だって出来る。どうにも出来ないと頭を抱えていたのは、一体誰だったろうか。


弟はいつだって、そこに居たのに。母はいつだって優しく笑って、待っていてくれたのに。それに見向きもせずに勝手に決めて諦めていたのは、俺だった。



この虚しさを、後悔を、俺なら何とか出来る。まだ遅くない。誰だって、話せる内は遅くないのだ。




「―――…あぁ」




紫苑さんをアパートに送り届けて、少し凝った肩を回して解す。さっきまで雲に隠れていた月は、いつの間にか現れて輝きを放っていた。






心做しか、月明かりがいつもより透き通っていて、綺麗だ。



「…帰ろう」



帰る場所。今日は昨日までと違って、迷わなかった。一瞬で頭に浮かんで決めたのは、ここ最近専らの寝場所だった倉庫じゃない。


拗れまくってぐちゃぐちゃになってしまったもの。すぐにその糸を解けるとは思っていない。けれどその糸に、指をかける勇気は抱いてみる。



玄関の扉を開けたら『ただいま』と言うべきだろうか。それとも『ごめん』と言うべきだろうか。



「………」



そんなことを考えて、僅かに苦笑しながら月明かりの下を歩き始めた。



その足取りは、軽いものだった。






休み明けの月曜日。


いつものように早起きして、弁当を作る。相変わらず余白だらけの弁当箱には、せめてもの抵抗としてもやしを詰め込んだ。


貧乏臭さを隠す為の苦肉の策だったが、更に安っぽい見た目になってしまったのは何故だろうか。



「……あ、もう来た」



ボロアパートだからか、お隣や外からの音が響きやすく聞こえやすい。今は外から、一人分の足音が近付いて来ていた。


言わずもがな、あの男だ。初日は渋ったものだが、今となっては足音だけで存在に気が付くようになってしまった。


コンコンッと扉が優しく叩かれる。ボロアパートなのでインターホンなんてものは無い。




「―――…おはよ、獅貴」




ガチャ…と開けた先には、見慣れた美形。朝から眩しいものを見たなぁと半ば目を細めながら呼び掛ける。



因みに今の時刻は6時ジャストだ。日に日に来る時間が早まっているのは気の所為だと思いたい。




「おはよう紫苑。今日も可愛いな」




キラキラッとエフェクトが舞う幻覚を見ながら、いつもの光景をはいはいと躱す。


流石にまだ準備が終わっていない…というか起きたばかりなので、仕方なく獅貴を部屋の中に上げた。靴をきちんと揃えて入ってくる獅貴を見て、意外な行動に目を瞬く。



「ん、どうした?」


「いや…不良でも靴、ちゃんと揃えるんだね」



何だそんなこと、と当然のように肩を竦める獅貴。


確かに人として当然の行いなのだが、いつもこの男の傲慢さを間近で見ている所為か、室内に土足で踏み入る獅貴の図がありありと浮かんでしまうのだ。




「紫苑の部屋を汚す訳にはいかないだろう」


「あぁ…そういう…」



単に常識だからとかそんな理由ではないのね…。



呆れると同時に、少し安堵する。獅貴の優先順位の一番上はきっとまだ私なのだ。そう考えると、何故だかほっとして、そう考えてしまった自分に動揺した。


私はどうして、獅貴の答えに満足しているんだろう。



「…そういえば、初めてここに来た時は靴揃えなかったな…悪い」



「……え?」



言われて気付く。確かに初めて獅貴を部屋に入れた時はしなかった。けどあんなに怪我をしていたんだから、そこまで手が回らなくて当然だ。


しゅんと肩を落とす獅貴に、何だかおかしくなって笑い声を上げる。変なところで真面目なのだ、この男は。



「いいよ、状況が状況だったんだから。
細かいことは気にしなくて大丈夫」



言いながらキッチンへ戻る。キッチンと言っても、居間や玄関から丸見えで、辛うじて小さなシンクがある程度のもの。


こじんまりした冷蔵庫は、たくさん物を入れられるわけではないけれど、そもそもたくさん食材を買うお金が無いので問題無い。



「………」



キッチンに立つ私に、獅貴は無言で着いてくる。邪魔をしてくるわけでは無さそうなので何も言わずに弁当作りを再開した。


再開と言うが、もうほとんど完成しているようなものだ。だがこの安っぽさはどうにか出来ないものだろうか。



六割の余白がもやしの白で埋まってしまっている。ほんの気持ち程度に詰めたふたくち分くらいの白米も、白が強調されてとても残念な見た目になっている。



緑が何も無い。そして肉も無い。果たしてこれが弁当と呼べるのか。






「……それは何だ?」



きょとんと問い掛けてくる紫苑。見ての通り…とは言えないが、普通にJKのお弁当である。



「それが…弁当…?」



何かおかしいかと問うと、途端に獅貴の顔が曇る。憐憫の篭もった眼差しが向けられたかと思うと、使命感を宿した瞳でガッと両肩を掴まれた。


その衝撃で思わず後退り、視界がチカチカと点滅する。



「紫苑、我慢する必要は無い。
お前がそんな量で満足できるわけないだろう?」



少し馬鹿にされたような感じがしたのは気の所為だろうか。何だよ『出来るわけないだろう?』って。喧嘩売ってんのか。


少なくとも年頃の女子高生に吐く言葉じゃない。自分が人より大食いだということは痛いほど分かっている。が、人に思い知らされるのは恥ずかしい。



「…う、うるさいな。
いいんだよ別に。ダイエットしてるの」




勿論ダイエットなんてしていない。寧ろ金欠でろくにご飯が食べられないのでダイエットする必要が無い。毎日がダイエットDayである。


分かりやすく顔を逸らした私に何を思ったのか、獅貴は視線を伏せてワナワナと震え始める。怒ってるのかと身構えたが、どうやらそうでは無いらしい。


バッ!!と顔を上げた獅貴が、決意を込めた爛々とした瞳で私を射抜いてくる。




「俺が養ってやる!!一緒に暮らそ―――」


「お断りします」




私がヒモみたいなプロポーズやめろ。ちょっと揺れた心はシカトするとして、その申し出は受け入れる訳にいかない。


揶揄っているのは分かるが、本当に金欠で困っている女子にそれは無いんじゃないか。


全く、冗談にしても程がある。






正直『養ってやる』には心動かされてしまうところだった。流石獅貴だ、私の弱みをよく理解している。


私のタイプは『高収入』で養ってくれる人。結婚するなら敏腕リーマンの方がいい。顔はぶっちゃけ二の次である。と言ってもイケメンに惚れるのは惚れる。イケメンだし。


その点を鑑みた上で、正に獅貴は理想の男性像と言えるだろう。どうやら獅貴は何処ぞの大企業の御曹司だとか、老舗旅館の跡取り息子だとか、校内外関わらずたくさんの噂が流れているそうな。



私としては獅貴が上流階級の人間だったとしても『まぁそうだろうな』としか思わないので何かが変わる訳でもない。



何せ所作は上品、傲慢な性格の中にある庶民では有り得ない金銭感覚。普通の男子高校生と思えという方が無理である。




「紫苑…俺なら一生養ってやれるぞ?」




これもう確定だろ。確定で上流階級だろ。



やたら不思議そうな顔で首を傾げる獅貴。私の一生を総額しても端金(はしたがね)と言わんばかりである。



「毎日美味い飯食わせてやれるぞ?
ふわふわのオムライス食べれるんだぞ?」



やめっ…やめてくれ…!!



豆腐の如く揺れる心を鋼にするので一苦労だ。獅貴め…ふわふわのオムライスを掲げてくるのは卑怯だぞ…私がどれだけオムライス好きか知ってるくせに。



ぐぬぬ…と拳を握り締めながら誘惑に耐える。もやしで埋められた弁当に蓋をして、さっとその場から離れ鞄の傍にしゃがみ込んだ。



「………駄目か」



背後からボソッと聞こえた声は聞こえないふりをする。残念そうな声だ、本当に何がしたいんだこの男は。まさか本気でプロポーズしてるわけでもあるまいし。






「…そういうの、やめた方がいいよ」


少しばかり冷たい声音になってしまった。自分でも驚くと同時に、獅貴がピクッと肩を揺らしたのが気配で分かった。



「そういうの、って何だ」



心底分からないというような声に振り返る。獅貴は真っ直ぐに此方を見つめていて、その瞳には迷いがない。


だからこそ、勘違いしてしまいそうになる。


「……」


私はしゃがみ込んだまま、少し顔を伏せて唇を引き結んだ。何故か苦しい胸と、熱い目頭を隠す為に。



どうして私は今、こんなにも苦しいんだろう。獅貴がプロポーズ紛いのことをしてからだ。嘘だと分かって聞いていたはずなのに、何故か苦しい、傷付いている。




「そういう…人の心弄ぶようなこと、やめた方がいいよ、って言ってるの」




硬い印象の強い獅貴だからこそ、そう感じるのだと思う。


きっと惚れれば獅貴は一途だから、揶揄いが辛い。これでももう入学当日からの付き合いなのだ、獅貴のことは何となく、分かっているつもりだから。



でもたかがこれしきの冗談に、自分が動揺しているという事実に驚愕する。獅貴にとってはなんて事ない言葉のはずなのに、どうして私はこんなにも―――



「弄ぶって、何だ。俺が紫苑を?」



「…そう、だよ」



ザッ…と床の擦れる音が鳴って、獅貴が隣に膝を着く。顔を覗き込まれそうになったから、慌てて反対方向に顔を逸らした。このみっともない情けない表情を見られるわけにいかない。



けど獅貴は、そんな甘いこと許してくれない。



グイッと腕を引っ張られて、頬に添えられた大きな手が強制的に逸らした顔を戻す。切れ長の鋭利で整った瞳が、丸く大きく見張られた。






「泣いてる、のか…?」



その言葉で初めて、頬を伝う雫の感触に気付く。それは一筋だけのものだったが、獅貴の瞳に映る私の表情は酷く沈んでいた。


その自分の姿に驚いて、けれど何も言えない。どうしてこんなにも、苦しいのだろう。



「…泣いて、ない」


「嘘だ、泣いてる」



引き寄せられたかのように伸ばされた獅貴の腕が、私の方に一直線に向かってくる。涙の跡を下から上に指で辿って、瞼にまで到達した後、そこに溜まった雫を掬い取る。



あろうことか掬った雫を、獅貴は熱の籠った視線で見下ろし、舌で舐めとった。



「な、はっ、何して…!!」



反射的に獅貴の手首を掴む。もう涙は舐められてしまったので手遅れだが、そんなことを考える余裕も無く狼狽した。


獅貴の舌が乾いた唇をなぞる。その獰猛な色気に頭がクラリとして倒れそうになったが、寸前で堪えた。



「…泣くな、何が悲しい?
紫苑の涙は美味いが、紫苑が悲しむのは嫌だ」



歯の浮くようなセリフとはこのことだろう。そう思ってしまうほどキザったらしくて、甘い言葉。けれど表情は無い、全くの無表情だから違和感が凄まじい。


一応瞳に熱は籠っているから随分甘い目をしているのだが、他人がパッと見れば恐怖しか感じない。



「なにが、って…」



分かってるくせに、という言葉は飲み込む。どうして誤魔化すんだろう。まさか本当に分かっていないのか。



「弄んでる。さっきも言ったよ。流石に冗談でも、そういうこと軽々しく言われるのは傷付く、から…」



改めて言葉にするとかなり恥ずかしい。これじゃまるで、まるで…。




―――私が獅貴のこと、好きみたいじゃないか。