「美味しかったですねぇ。お腹は一杯になりましたか?」

やがて食事が終わると、雛子は猫なで声で恭平にしなだれ掛かる。雛子が腕にまとわりつけば、「そうだな」と恭平は彼女の肩を抱く。

傍から見ればカップルにしか見えない。


皆が食事を終えたタイミングで見計らったかのように若女将の瀬山と仲居が数人やって来て、掛盤膳を下げると今度は速やかに布団の準備に入る。

「と、ところで鷹峯先生結局帰ってこないわね。どうしちゃったのかしら?」

人目も憚らない雛子と恭平の甘ったるい空気にいたたまれなくなり、夏帆は彼女達とは違う方向に目をやりながら未だ帰らない同僚の行方を思案する。

「本当にね。どこ行っちゃったのかしら? 恭平が電話を掛けても出ないみたいだし……」

卓袱台でお茶を飲みながらそんな話をし出す彼女達に、それまで黙々と布団を敷いていた若女将が手を止めた。

「お連れの方、まだお戻りにならないんですか?」

仲居に後を任せ、若女将は心配げに眉を寄せる。

「ええ、食事前に温泉に行ってそれっきり……あ、もしかしてどっかのお風呂で沈んでたりして!」

「……!」

「っ……?」

舞の戯言に、一瞬にして静まり返り青ざめる一同。

「有り得る……これだけ風呂の数が多かったら、どこかに沈んでても可笑しくないな……」

恭平の言葉に皆の不安も高まる。

「うわぁ……『大学病院勤務の医師が温泉で溺死!』ってニュースになりそう……そんなことになったらたちまちネットで話題に……」

「こ、こらっ! 入山っ!」

夏帆が慌てて止めるも、時すでに遅し。若女将はわなわなと震える手で青白い顔を押さえている。

「ジョ、ジョーダンですよ! まさかあの人に限ってそんなことは……」

悠貴は自分の失言を反省し弁解するも、依然として若女将の顔色は優れない。

「いえ……確かに皆さんの言う通りです……。わたくし共も館内を捜索させていただきますので……」

それだけ言うと、布団を敷き終わった仲居と共に若女将は足早に部屋をあとにした。

「……あーあ。あれ完全に若女将さん、気を悪くしたわよ」

夏帆の指摘に、悠貴はバツが悪そうに口をへの字に曲げる。

「な、何だよっ。元はと言えばこのモンペ女がっ……」

「なによっ、私のせいにするわけっ!?」

そう言う舞もまた、気まずそうな空気を隠せない。

「まぁまぁ、すぐ喧嘩しないの。私達も館内を回って探してみましょう。私と夏帆ちゃん、悠貴君と篠原さん、恭平と雛子ちゃんに分かれましょう」

間に割って入った真理亜の提案に、悠貴と舞は露骨に嫌そうな顔をする。

「何でそんな組み合わせなんですか!?」

「そうよ! 納得できないわよ!」

先程までいがみ合っていたわりに今度は息ぴったりだ。一方恭平は、相変わらず雛子にまとわりつかれながらも満更ではなさそうな顔をしている。それを見て、真理亜は人知れず小さく息をつく。

「……文句言ってるのはあなた達二人だけ。さ、行くわよ夏帆ちゃん」

「は、はいっ」

まとまりのない面子を置いて、真理亜はさっさと部屋を出る。外は相変わらず雪が吹雪いて身も凍る寒さだ。慌てて着いてきた夏帆と一緒に身体を丸め、二人は旧館の入口を目指す。

「意外です。真理亜さんが桜井さんと雛子を一緒にするなんて」

「意外?」

小走りしながらそう宣う夏帆に、真理亜は前を向いたまま疑問を呈す。旧館に入ると、二人は身体についた雪を手で振り払う。

「だって、その……真理亜さんは桜井さんのことが好きなんだと……」

言いにくそうに、けれど確信を持って告げられた言葉に、真理亜は一瞬面食らう。後輩に気付かれるほど露骨に態度に出ていたのだとしたら、何となく自分らしくない様な気がして体裁が悪い。

「……好きよ。だから分かるの」

しかし、バレているのなら仕方がない。真理亜は諦めの溜息を一つ吐き、そう白状した。

「恭平は雛子ちゃんを大切に思ってるってね。それがどういう意味の大切か、当の本人は気付いてなさそうだけど。今日は雛子ちゃんが妙に積極的だし、もしかしたら縁の間の言い伝え通り恋が成就しちゃうかも? なんてね」

冗談めかして、けれどそれなりに正直に本心を告げた。真理亜は笑ってみせる。

「ま、正直私はあの鷹峯先生がどうなろうと知ったこっちゃないわ。名医だか何だか知らないけど、嫌いなのよねぇあいつ」

そう言ってらしくもなく鼻を鳴らす真理亜に、夏帆は思わず苦笑いをした。

「さてと、あんなやつなんて探さずに、ちょっと売店でも見に行きましょー!」

「……良いのかなぁ」

夏帆は小さく呟き、けれど存外真理亜があの二人を応援していそうだということに少しだけ安心し、意気揚々と売店へ向かう真理亜を追いかけた。