梅雨の時期、通勤時間帯に雨が降るのは鬱陶しいものだ。

もっとも寮住まいの雛子はたった数十メートルの距離を小走りするだけで良いので、寮外から通っているスタッフと比べたら何倍もマシだ。

病棟での勤務もやっと二ヶ月近くが経ち、日勤での受け持ち患者も随分と増えていた。

今日からは夜勤業務が始まる。看護師三名体制でうち一人はリーダー業務と緊急入院対応、満床三十床と比較的こじんまりした病棟であるが、最大十五人程度の受け持ちは新人にとって些か過酷である。

本日は雛子が十人、恭平が五人を受け持ち、残りは原、真理亜がリーダー、新人は頭数に入らないため、四名体制での夜勤だ。

「日勤みたいに清潔ケアや検査がないから物理的にやる事は少ないかもしれないが、その分受け持ちも多くてスタッフは少ないから気を抜かないこと」

恭平がやはり何てことはないかのように、淡々と告げる。

この二ヶ月弱を彼と共に過ごし、(というと語弊があるが、プリセプターとプリセプティは基本的にシフトが一緒に組まれているのである)分かったことがある。

彼にとっては、ほぼ全ての仕事が何てことはないのだと。





「やること少ないとは言うけど……」

雛子はノートパソコンを乗せたワゴンを押し、部屋から部屋へと移動する。走るわけには行かないため、極力の大股だ。

(バイタルチェックに回るだけで時間かかりすぎ! 人数多くて回りきれないよぉー!)

恭平の「何てことはない」は、雛子にとっては時々至極難題である。そのせいかどうかは定かでないが、恭平は周りの同期達のプリセプターと比べてスパルタだ。

「ひなっち休憩入るぞー」

「へっ!? え、もうっ!?」

後ろから恭平に声をかけられ、雛子は驚いて時計を見る。時刻は十八時過ぎ。そろそろ栄養科から、食事を積んだワゴンが到着する頃だ。

「まだ夜勤始まって二時間しか経ってないのに……」

「俺達が先休憩だから早く行かないと真理亜と原が困るだろー」

恭平は至ってのんびりとした調子で、さっきからあくびを何度も噛み殺しつつそう(のたま)う。雛子のフォロー役とはいえ、恭平も受け持ちをしているというのに随分な余裕を見せていた。

「うう……すみません真理亜さん、休憩行ってきます……」

「はぁい。行ってらっしゃーい」

リーダー席でERの受診履歴を見ていた真理亜が、上品に手を振ってくれた。

(それにしても……)

雛子は考える。そしてあることに気付いてしまう。

検温しながら一人一人話していたら、あっという間に時間が過ぎる。とはいえ、夜勤の残り時間はまだまだあるということに。

(止めよう……考えるとゾッとする……)

恭平は既に休憩室のソファに座り、テレビを観ながら買ってきていた弁当に手をつけ始めていた。

雛子もそれに習いコンビニ弁当を広げるが、時間が気になりちらちらと時計を見る。

「……」

「……」

しばらくは会話もなく、テレビのバラエティ番組の音だけが響いていた。しかしあまりにも時計の方を振り向いている雛子に、恭平はついに大きく溜息を吐く。

「あのな……まだ開始二時間なのにそんなにそわそわしてたら持たない。あと十五時間勤務するんだぞ」

「わ、分かってますけどっ……終わりが見えません……先が長くて……」

改めて告げられると、絶望感で泣きそうになる。きゅっと唇を噛んで俯くと、不意に大きな手のひらが頭上に降ってくる。

(あ……また……)

子どものように頭をポンポンとされると、悔しいことに少しだけ心の緊張が緩むような気がする。

「今日は俺がフォローに入ってるんだから、大丈夫だろ」

そんな風に言われれば、確かにそうかもしれないと思えるから不思議だ。肩の力が抜けた雛子に、恭平は「よし」と掛け声をして一つ伸びをする。

「さて、んじゃそれ食ったら行くぞ」

「はいっ!」

雛子の満面の笑みに、恭平も釣られて少しだけ微笑んだ。










休憩から戻る頃にはすでに面会時間も終了し、面会者達の帰宅した病棟はしんと静まっていた。

交代で原と真理亜がそれぞれ休憩に入り、雛子は二十一時の消灯時刻までに何とか検温と夕食後の配薬をやり終えた。

「やっとひと段落着いたよぉぉぉ……」

先程よりも些か気の抜けた足取りでラウンドに向かう。

子どもの頃、雛子は入院したことがある。看護師はなかなか来ず心細い気持ちになったものだった。

彼女達は本当に仕事をしているのか、実はステーションでコーヒーでも飲みながら談笑しているのではないかと疑ったこともあったが、病室の外ではこれだけ忙しいことを身をもって知る。

心の中で当時の看護師達に謝りながら、雛子は病室の電気を一部屋ずつ消していく。

「では電気消しますね。おやすみなさい」

一番奥の病室まで電気を消した時、ちょうど廊下の電気も落ちて、辺りは非常口の緑色がぼんやりと光るだけになった。

ステーションで真理亜が病棟の明かりを落としたのだろう。

雛子はポケットからペンライトを取り出して辺りを照らす。

(ちょっと怖いかも……)

お化け屋敷の類は苦手な雛子である。霊感などまるでないが、こういう特殊な場所では何かが起こりそうな気がして胸がざわつく。

廊下の角を曲がればステーションがあり、ステーション内だけは電気が点灯しているはずだ。そこには真理亜達もいる。

とにかく早く戻ろう。雛子がそう思った時だった。

「っ……!?」

目の端に、何かが動くのが見えた気がした。

そこには個室へと続くドアがあり、ちょうどそのすぐ横にはサブステーションと呼ばれている簡易な収納場所がある。面会者用の折りたたみ椅子が、ラックに詰められて整頓され置かれていた。

そのラックの後ろに、何かが入って行ったような……。

(この部屋って……この前患者さんが亡くなったばかりの……)

怖いと思いながらも、確認せずにはいられない。

大丈夫、何もない。それを確認するだけだ。そう心に言い聞かせながら─────。

「ひっ……!」

動いた。

何かがラックの陰で動き、折りたたまれたパイプ椅子がカチャンと小さく音を立てた。

雛子は何とか悲鳴を堪えてステーションまで一目散に舞い戻る。

ステーションでは雛子以外全員揃っており、原と恭平が記録、真理亜が朝分の内服や点滴をチェックしていた。皆、青い顔で慌てて戻ってきた雛子にきょとんとしている。

「ど、どうした雨ちゃん? そんな血相変えちゃって」

「雛子ちゃん大丈夫?」

まさか急変? と原と真理亜は僅かに顔を強ばらせる。

恭平はいつも通り、感情の読めない無表情のまま。視線だけちらりと寄こし、キーボードを叩く手は止めない。

「い、い、今、サブステーションに、何かが……」

口をパクパクと魚のように動かしている雛子に、真理亜と原は一度顔を見合わせてから、揃って表情を緩めた。

「またまた〜気のせいだよ〜」

「そうよ。ここの病棟って特にそういう噂は聞いたことないわよ?」

女子二人は笑いながら、口々にそう宣う。そんな笑顔を見れば、物音ひとつで慌てふためいて帰ってきた自分が何だか恥ずかしくなる。

「で、ですよね! なんだぁ、やっぱり気のせい……」

「いや、それはどうかな」

「っ!!」

緩んだ空気の中に、冷水を浴びせるような冷たい声音が響いた。恭平は至極真面目な表情で、パソコンから顔を上げる事も無くそう宣う。

本気とも冗談ともつかない恭平に、雛子はごくりと唾を飲み込む。

「ちょっと桜井さん〜。まだ十二時間もあるんですからあんまり怖がらせたら駄目ですよ」

原が飽きれたように恭平を(たしな)める。これではどちらが先輩か分からない。真理亜も呆れたように、整った眉を八の字にしていた。

「さ、桜井さん……もしかして見えるんですか……? ま、まさかね……そんなことない……ですよ、ね……?」

恭平の発言の意図が分からず、雛子は恐る恐るそう訊ねる。その言葉に恭平はピタリと手を止め、ゆっくりと顔を上げる。

そして雛子の後ろを指さしながら─────。

「……今もほら、お前の後ろに」

「っ……!?」

雛子は反射的に振り返る。

ステーションの外には、非常口の緑以外に光はなく、ぽっかりと暗闇が広がるだけだった。

「な、何もいないじゃないですか……ビックリさせないで下さ」

かくっ。

「ひぁっ……!! むぐっ」

突如膝に衝撃を感じたかと思うと、雛子の世界はぐるんと回った。派手にバランスを崩し、視界が天井の蛍光灯でいっぱいになり目が眩む。

驚きのあまり反射的に上げかけた悲鳴は、誰かの大きな手によって口を塞がれ僅かに漏れただけだった。背中に感じるであろう痛みもなく、代わりに感じたのは広くて堅い胸に抱きとめられる感覚。

「む、むぐぐぐぅ〜……」

上を向くと、少し焦ったような顔の恭平と目が合った。「桜井さん〜」と言ったつもりが、きっちり口を塞がれているので喋ることもできない。

「はぁ……ったく、今時膝カックンでこんな盛大にコケるやつがあるかよ」

バックハグの形で抱き止められ、背中に熱を感じる。最後は塞がれていた口を片手で挟まれ、雛子は不服ながら唇を思い切り尖らせる事になった。

「あと夜間に悲鳴をあげるな。睡眠妨害」

「だ、誰のせいだとっ……!」

そこで雛子は、今が勤務中である事実にはっと気が付く。恭平を振りほどいて勢い良く振り向くと、そこには生温い表情を浮かべた真理亜と原。

「……じゃ、私ラウンドに行ってきま〜す」

ニヤニヤと原が口角を上げ、ステーションから去っていく。

「真理亜さぁん……」

「さて、私もラウンドしてこようかしら?」

いたたまれなくなって真理亜に助けを求めるも、するりと交わされてしまう。ステーションには恭平と雛子の二人が残された。

(気まずい……)

恭平はと言うと、既に涼しい顔でパソコンに向かっていた。

「ほら、今のうちに記録進めろよ。零時からまた休憩入るぞ」

「……ハーイ」

いつも通りの恭平に、雛子は少しだけ唇を尖らせながら返事をした。

(どうせ気まずいのは、私だけですよー)

心の中で、そんな悪態を着きながら。














刺激性のある薬品の独特な臭いが、無機質な室内に充満している。

(あれ……ここは……?)

目の前が白くぼやける原因は、天井に取り付けられた巨大なライトのせいだ。

(まるで蜘蛛の目みたい……怖い……)

逃げたい。

咄嗟にそう思うも、身体が言うことを聞かず指一本動かすことができない。叫ぼうにも、声を上げる事もできなかった。

(誰か……誰か助けて……)

僅かに動く視線だけで、助けを求める。その時初めて、仰向けに寝転がる自分の傍に、人が立っていることに気が付いた。

右と左に、一人ずつ。

『雨宮さん、雨宮雛子さーん、分かりますかー?』

(この声……)

最近聞いたことのある声。逆光で分かりにくいが、目を凝らすとグリーンのスクラブに身を包んでいることが分かる。

(鷹峯先生……?)

帽子とマスクの隙間から覗く鋭い眼光が、まるで蛇のように雛子を射抜く。

『はい、今から麻酔しますね〜』

続いて反対にいる人物が声をかける。この声はすぐに分かった。

(桜井さん……)

鷹峯と同じように緑色のスクラブに身を包んだ恭平は、何だか見慣れなくて新鮮だ。

(あ、オペ看姿の桜井さんも格好良いかも……)

助けを求めていたことも忘れ、雛子はぼんやりと恭平のスクラブ姿を眺める。

そして気付く。恭平の手に、注射器に見立てたボールペンが握られていることに。

(ひぃっ……!)

『では、刺しマース』

握りしめたボールペンが、雛子の無防備な腕に振り下ろされる。

(や、止めてーっ!!!)

雛子の悲鳴に呼応するように、けたたましいアラームの音が部屋に鳴り響く。

『まずい! VFだ!!』

『心マして! その間にDC準備!!』

突然、周りにたくさんの人の気配がして、辺りが慌ただしくなる。

鷹峯が両手にパドルを持ち、雛子の胸に近付ける。



『必ず助けますからね、雨宮さん』



ガタンッ。

夢の中でDCを受けた衝撃によってストレッチャーから転げ落ちた雛子は、勢いで強かに身体をぶつけ目を瞬かせた。

「いっ……たぁ……」

一瞬、自分がどこで何をしているのか考えた雛子だが、すぐに今が夜勤の休憩時間中であり、処置室で仮眠を取っていたのだと思い出した。

はっとして時計を見ると、時刻は深夜一時五十五分。深夜休憩の終了まであと五分だった。慌てて身支度を整え、雛子はステーションに戻る。

「休憩ありがとうございました。何かありましたか?」

ステーションで一台のパソコンに向かっていた二人が、雛子の声に顔を上げる。

「おかえりなさい雛子ちゃん。今のところ何もないわよ。ただ……」

そしてまた、二人同時にパソコンへ顔を下ろす。

「今ERに来てる人、入院になりそうなのよね。恭平起こしてきてくれる? あいつ休憩時間終わっても起きないから」

二人が休憩に入る場合、慣習的に先輩が休憩室、後輩が処置室のストレッチャーで休むことになっている。恭平はまだ休憩室にいるようだ。

「分かりました」

「お願いね」

一つ返事をして、雛子は休憩室に向かう。

ステーションから出ると、辺りはやはり闇に包まれていた。

「なんであんな夢見たんだろ……この前急変に遭遇しちゃったせいかな……」

せっかくの休憩だったのに、全く休んだ気がしなかった……。そんなことを思いながら、雛子は休憩室のドアをノックする。

「桜井さん、休憩終わりましたよ〜」

入ってすぐ、容赦なく真っ暗な部屋の明かりを点ける。ソファでタオルケットを被っていた恭平が、閉じたままの瞳をぎゅっと(しか)めた。

「ほら、起きてくださーい」

雛子がタオルケットを思い切り引き剥がすと、恭平が目を閉じたままむくりと身体を起こす。

「……今から麻酔しますね……では、刺しマース……」

恭平が手にボールペンを握ったと気づいた時にはすでに遅し。

「いっ……たぁぁぁぁっ!!!」

雛子はストレッチャーから落ちた時の比ではない悲鳴を上げた。テーブルに着いていた手の甲に、ボールペンを思い切り突き立てられたのだ。幸いにして芯は仕舞われていたものの、痛いことに変わりはない。

「びっくりした……ひなっち何してんの……?」

雛子の悲鳴でようやく目が覚めたらしい恭平が、欠伸をしつつ呑気な声で訊ねる。

「休憩が終わったので起こしに来ました……それより人の夢に入ってくるのやめて貰えませんか……」

「え、何の話……?」

雛子は引っ込めた手を擦りながら、涙目で訴える。しかし恭平相手に何を言ったところで無駄だろう。

「いえ……何でもないです……。真理亜さんが、入院になりそうだから桜井さんのこと起こしてきてって言ってました」

「まじか〜。何の人?」

「骨折です。夜中にトイレに起きて、転んだみたいで」

「ふーん。ところで今日の整形の当直医って誰?」

心底嫌そうな顔の恭平が、再び欠伸ををする。

「たしか、小暮先生です」

カルテに書かれていた名前を思い出しつつ答えると、恭平が納得したような顔を浮かべた。

「あー、やっぱり」

「??」

何がやっぱりなのか、雛子には分からず疑問符を浮かべる。恭平はテーブルに置かれていたペットボトルから水を数口飲み、空になったそれをゴミ箱に放った。

「あの人『引く』んだよ」

「引く?」

「入院」

「はぁ」

その人がいると病棟が荒れる、人が亡くなる、はたまた緊急入院がひっきりなしに来る、そんなスタッフがいることは、看護師の世界ではよく語られることだ。

偶然なのだろうが、そんなことを言われるスタッフも、その人と一緒にシフトに入る方も溜まったものではないだろうな、と雛子は他人事のように考えた。

願わくば自分はそちら側に入りたくない。

「とりあえず休憩後のラウンド行ってきて。あとで夜間の緊急対応教えるから」

「はい」

すっかり目の覚めたらしい恭平に返事を返し、雛子はラウンドへ向かう。先程の幽霊騒動でビクビクしながらも、何とか滞りなく受け持ち全部屋を回れた。

(丑三つ時かぁ〜。あと七時間! 頑張るぞ〜!)

それにしても、夜の病院とはやはり怖いものだ。雛子はふと子どもの頃のことを思い出す。

(昔入院した時は本当に夜中の病院が怖かったなぁ。子どもだったからだと思ってたけど、大人になっても怖い……)

雛子が入院したのは、この火野崎(ひのさき)病院の本院だ。ここよりもずっと古く、トイレは部屋ではなく廊下に出なければいけなかったことを覚えている。

(それがきっかけでここの病院の就職面接を受けたんだよね。まぁ、配属は本院じゃなくてこっちだったけど)

蓋を開けてみれば、病棟は違えど仲の良い同期もいて、恭平や真理亜に指導してもらえるこの日々が楽しいと感じている。

ここの病院で、病棟で良かった。

激務の8A病棟の噂に当初は怯えていたものの、今ではそんな風に思えていることに雛子は人知れず胸をなで下ろしていた。



そして夜は更け、あっという間に朝を迎え────。










「終わっ……た……」

夜勤者四名は、ステーションの隅に置かれた電子カルテ前で椅子に凭れて力尽きていた。

結局あの後、整形の急患だけで五件の入院が来た。恭平が三件、真理亜が二件を取り何とかなったものの、これで急変でも起きようものならどうなっていたか。考えただけでゾッとする。

8A病棟がこれだけ大変だったのだ。整形外科の病棟やERの苦労は想像に難くない。

さすがの恭平もぐったりと突っ伏しているし、いつも天使のように美しい真理亜ですらうんざりしたような表情で頬杖を着いている。原に至っては記録をしながら夢の中へと旅立っていた。

(やっと終わった……長い……)

忙しいとあっという間に時間が過ぎるが、それでも十七時間勤務が短く感じることはきっと無いだろう。情報収集のための前残業と、記録のための後残業を足すと実に二十時間ほどは働く計算である。

「……つばきちゃん、ほら、記録してるつもりかもしれないけどそれ夢よ」

「は……うぇ……? 今書いた記録がない……」

半開きのだらしない口から、間抜けな声を出す原。

「だから夢よ、夢。雛子ちゃんは? もう終わった?」

「あ、はい……何とか……」

雛子も若干眠りの世界に誘われつつあったが、真理亜の声掛けで何とか意識を保つ。記録が終わっているのは、半分ほど恭平のフォローがあったからに他ならないのだが。

「恭平……は、どうせ終わってるわよね?」

「おう……」

突っ伏したまま恭平が低い声で答える。真理亜はリーダーらしく全員の進捗状況を確認すると、よし、と一つ伸びをする。

「それじゃ、今日は解散ね〜。つばきちゃんは私が見るから、恭平と雛子ちゃんは先に上がって」

「うっす。お疲れ。行くぞひなっち」

恭平はその一声でのそりと立ち上がると、雛子の腕をぞんざいに引っ張り病棟を後にする。

「あ、えっ、お疲れ様です、真理亜さん、原さんっ」

引きずられていく雛子は、戸惑いながらも挨拶を忘れない。再び夢の世界へ旅立った原の代わりに、上品に胸の前で両手を振る真理亜に見送られた。

エレベーターホールに出たところで、雛子はようやく解放される。

「今日、よく動けてたんじゃない?」

「えっ?」

ぽつりと、恭平が独り言のように呟く。雛子は面食らって、それ以上の言葉が出てこない。あわあわと何か言おうとする雛子に、恭平はふと、口元に小さな笑みを浮かべた。

「頑張ったじゃん」

恭平の大きな手のひらが、ポンと一回、頭に乗る。

「あっ……」

また。

顔に熱が集まる。

「お疲れ様です。ご指導ありがとうございました」

「おう、ゆっくり休めよ」

「桜井さんも」

すぐにエレベーターが到着し、頭上の重みはなくなってしまった。エレベーターを降り、更衣室前で二人は分かれた。

更衣室で着替えながらも、雛子の頬の火照りはなかなか治まらなかった。