「鷹峯先生、ありがとうございます」

皆が出ていくよう促してくれた鷹峯に、雛子はぺこりと頭を下げる。鷹峯は相変わらず飄々とした笑みを浮かべながら、いつも通り除菌シートと手指用アルコールで恒例の消毒作業を始める。

「いえいえ、どうやら貴女は他人に身体を見せるのが嫌みたいですからねぇ。そんなに自分の幼児体型を気にしてるんですか?」

「そ、そんなんじゃないです! 全くもうっ!」

憤慨する雛子に、鷹峯はやはりくつくつと笑みを零す。

「冗談ですよぉ、冗談。ところで皆さん忘れていらっしゃるようでしたが……確かこの部屋、専用露天風呂が付いてるんでしたよね? 今のうちにそちらに入ってきてはいかがですか?」

鷹峯が、本館と繋がる扉とは反対側にあるもう一つの扉を指し示す。そこにはラミネートされた張り紙で『(かげ)の湯はこちら』と表示されていた。

「あっ、私も忘れてました! 先生お先に行かれますか?」

一番風呂を遠慮する雛子に鷹峯は首を横に振ると、恭平がしていたように卓袱台の菓子へ手を伸ばす。

「いえ、長距離運転で疲れているのは本当なので遠慮しておきます。旅館によくあるこの『お着き菓子』、何のためにあるか知ってます? 入浴前に軽く血糖値を上げて、湯あたりを防ぐ役割があるらしいですよ」

もぐもぐと菓子を咀嚼しながら説明する鷹峯。恐らく雛子に気を遣わせないよう、彼なりに配慮してくれているのだろう。

「ありがとうございます。じゃあお先に使わせて頂きます」

「はい、行ってらっしゃい」

好意には素直に従おう。雛子はそう思い、手渡されたまま抱えていた浴衣とタオルなどを持ち奥の扉に手をかける。立て付けの悪い扉の向こうには、やはり暗い電球に照らされた廊下が続いていた。




雛子が扉の向こうに消えていったあと、鷹峯は暫くの間、何か考え込むように俯いていた。