「雛子ー! 何してるのー? 迷子になるよー!」



少し向こうの廊下の角から、夏帆に呼び掛けられる。



「ちょっと待って! 今……あれ?」




一度振り返ると、既に謎の少年の姿は何処にもいなくなっていた。


「もうー! ほんっと鈍臭いんだから! みんな待ってるでしょ!」

「ご、ごめんなさいっ!」


舞に窘められ、雛子は慌てて皆の元に戻る。











やがて一行が案内されたのは、旧館の裏手から更に一度外に出た所にぽつんと立つ茅葺きの離れだった。一瞬雪の降る屋外に出ただけで、一気に身体が冷えきる。

「こちらが当館自慢、『(えにし)()』でございます。当館はこの一戸の家屋から旅籠として始まったと言われております。こちらの離れにご宿泊されたお客様は、ここに住む福の神に幸運をもたらされることでしょう。特に良縁に恵まれることで有名でございますよ」

室内は土間からの上がり框と天井の高い茅葺き屋根で、昔ながらの古民家といった風情だ。他の部屋とは違い、ここは完全にコテージのように独立している。

一応電気は引かれているようで、部屋の隅に置かれた電気ポットと取り付けられたエアコンが妙に浮いている。

部屋の真ん中には大きめの卓袱台が据えられ、周りを囲うように人数分の座椅子が用意されていた。

「なんか雰囲気あるね……」

「そ、そうね……」

雛子の精一杯のフォローに、真理亜と夏帆は苦笑いしながらも頷いてくれた。

それもそのはず、雰囲気と言えば聞こえはいいが、実際は古めかしい上に照明は暗く、どこか陰鬱とした空気さえ漂っている。

室内には最初に旅館の玄関でも感じた花の香が、さらに濃く焚かれている。せっかくの良い香りも、何故かまるで線香のように感じてしまう。

「雰囲気ぃ!? ジョーダンでしょっ、何なのよこの暗い部屋! いくら格安でも私は嫌よ!」

仲居が部屋を後にした瞬間、舞が文句を言い始める。

「な、なんだよっ! 嫌なら勝手に帰れよなっ!」

一方、宿探しから予約まで仕切っていた幹事の悠貴もタジタジだ。舞に不満をぶつけられ、気まずそうにしながらも言い返す。

「屋根と布団があれば俺は別に構わないけどな」

言い争う二人とは対照的に、恭平がのほほんとした調子で座椅子に座り、卓袱台に置かれたお着き菓子を口へと運ぶ。鷹峯も同じように彼の向かいに腰を下ろしながら天井を見上げた。

「私も桜井君と同意見です。メインの浴場があるのは本館ですしね。それに見たところ、この建物は古民家『風』に作ってあるだけで実際はそこまで古い建築ではありません。案外快適だと思いますよ」

「見ただけで分かるんですか?」

鷹峯の言葉に、夏帆が首を傾げる。

「そこまで詳しいわけではありませんが、本当の茅葺き屋根でしたら天井が一部吹き抜けになっているんです。そうしないと囲炉裏で火を炊いた時に一酸化炭素中毒になりますからね」

ほら、と鷹峯が指を指し、釣られて皆顔を上げる。

「吹き抜けの茅葺き屋根は暖気が全て逃げてしまうので真冬は凍えるほど寒いんですよ。でもこの建物は屋根が完全に塞がっていて暖かいですし、囲炉裏もあとから塞いだ訳ではなく最初から作られていない。恐らく江戸時代の伝統建築物を模して近代に建てられたものです」

喧嘩していた二人も、いつの間にか感心した顔付きで鷹峯の話を聞いている。タイミングを見計らい、真理亜がぽんと軽く手を叩く。

「それじゃあまだ夕飯まで時間もあるし、せっかくなら本館の温泉巡りしましょうよ」

その提案に、夏帆と舞は乗り気になって準備を始める。桐箪笥の中にあった浴衣と丹前、半纏、それからタオルなどを片手に、各々のバッグから必要なものを取り出している。

恭平と悠貴も行くことに決めたようで、真理亜から浴衣のセットを受け取っている。

「ほら、行くわよ雛子ちゃん」

モタモタとしている雛子に真理亜が声を掛ける。当然のように女子四人は一緒に温泉をハシゴする流れだ。

「あ、私は疲れちゃったからもう少し休んでから行きます!」

雛子は渡された浴衣一式を胸に抱え込みながら、困ったようにそう宣う。

「もう、何言ってるのよ。温泉なんだから皆で入るのが醍醐味ってもんでしょう? 私、雛子と初めての温泉旅行楽しみにしてたのよ?」

それを聞いた夏帆が、不満げに唇を尖らせた。

「分かった、あんた胸小さいからこの私と温泉に入るのが嫌なのね? 気にしてるんでしょ〜貧乳! 海の時も一人だけ頑なに水着になりたがらなかったし!」

「別に気にしてませんでしたけど!? そこまで言われると逆に気になってきます!」

舞の明後日な方向の指摘に、思わずツッコミを入れる。

「まぁまぁ、皆さんその辺にしておきましょう。私も長距離の運転で些か疲れましたので、雨宮さんと一緒に暫く休んでから行くことにします」

結局雛子と鷹峯が部屋に残り、他の五人は連れ立って本館へと向かっていった。

部屋を出る間際、恭平が後ろ髪を引かれるように何度か振り返ったことに鷹峯だけが気付き、一人口角を吊り上げたのを雛子は知らない。