潮風とコーヒーの香りで、雛子は目を覚ました。
「ん……何時……?」
レースカーテンのみを引いた開放的な窓からは、爽やかな陽の光が差し込んでいる。スマホの画面を見ると時刻はam7:30と表示されていた。
同じベッドには夏帆、隣のベッドには悠貴がまだ寝息を立てている。雛子は二人を起こさないよう、そっと布団から出た。
「おはようございます、早起きですねぇ」
リビングへのドアを開けると、コーヒーの香りが濃くなった。マグカップにインスタントのドリップコーヒーを作っていた鷹峯が、平素の調子で声を掛けた。
「おはようございます。先生こそ早いですね、昨日あんなに飲んでたのに」
昨夜は結局、残った四人で余りの酒を酌み交わしつつトランプに興じていた。
とは言っても、雛子が一缶をチビチビと飲んでいる間に残りは酒好きの三人が飲み干してしまっていたのだが。
「ちなみに女性二人も既に起きていますよ。先程篠原さんを診察してきましたが、すっかり元気になっているみたいですね」
桜井君はそちらに、と鷹峯の視線の先に目をやると、ゆったりとした広めのソファで窮屈そうに身を屈めながらタオルケットを被っている長身痩躯の男が眠っていた。
「ん……あったま痛てぇ……」
雛子と鷹峯の会話にモゾモゾと起き上がった恭平が、嗄れた声で呟きローテーブルの上にあるスポーツドリンクを口にした。
「あ、おはようございます桜井さん」
「んー……」
恭平は二日酔いに顔を顰めながらも、雛子の声掛けに片手を上げて反応する。しかしスポーツドリンクを飲み終わると、再びソファへと沈んでいった。
(あ、朝分の薬、皆が起きてくる前に飲んどこ……)
恭平が二度寝に入ったのを横目に、雛子は荷物をまとめて置いてある出窓へと向かう。
「あ、あれ?」
雛子は普段持ち歩いているハンドバッグの内ポケットに手を入れ、首を傾げた。
いつもの所に目当てのピルケースが見当たらない。
「おかしいな、確かここに……」
「どした?」
「ここに入れたはずの……って桜井さん!?」
先程二度寝したはずの恭平が、ソファから起き上がり声を掛けた。驚いて大きな声を出した雛子に、彼はしかめっ面のまま耳を塞ぐ。
「あ、すみません……」
「……いや、んで、何探してるの?」
「えっと……」
何と答えようか考えあぐねていると、リビングのドアが開きふわりと花のような香りがコーヒーの香りと混ざった。
シャワーを浴びたらしい真理亜が、長い髪をタオルで押さえながらやってくる。その姿が何とも色っぽい。
「あら、おはよう雛子ちゃん。ごめんなさいね、さっき雛子ちゃんのバッグにぶつかって落としてしまって……何かなくなってるものあるかしら?」
何だ、そういうことか。
よく見れば普段とは別の内ポケットに、愛用しているピルケースの柄が見えた。
「あ、いえ、大丈夫です」
「そう? 良かったわ」
真理亜はほっとしたように微笑み、舞と一緒に使っている部屋へと入っていった。雛子はミネラルウォーターの封を切り、慣れた手つきで数種類の錠剤を喉に流し込む。
「体調悪いのか?」
「っ……」
恭平がまた不意打ちで話しかけてくる。悪いことをしているわけではないのに、何故か胸がドキドキと騒がしくなった。
「……頭痛持ちなんです」
恭平の方を振り向かないまま、雛子は言った。
「特にお酒飲んだ次の日とか、頭痛くなっちゃって」
「……あの量の酒で二日酔いかよ」
飽きれたようにそう呟いた恭平に、鷹峯は笑いながらマグカップをローテーブルへと置いた。
「私からしたら、桜井君も大した量飲んでませんでしたけどねぇ?」
「おめーはザル過ぎるんだよ」
悪態をつく恭平に、鷹峯は余裕の笑みだ。そんな二人のやり取りに苦笑しながら、雛子もソファに腰を下ろす。
「……んで? 頭痛以外は大丈夫なのか?」
「あ、はい、大丈夫、ですよ?」
恭平の腕が伸びてきて、大きな手のひらが雛子の頭の上に乗る。ポンポンと軽く撫でられ、雛子はぎこちなく返事をした。
やがて各々シャワーを浴びたりコンビニへ食事を買いに行ったりと十二時のチェックアウトまでのんびり過ごし、その後は再び海へ遊びに行くことになった。
恭平と、チェックアウトギリギリまで寝ていた悠貴は酷い二日酔いだったようだが、遊びに行く頃にはすっかり体調は戻っていたようだ。
「はい、雨宮アウトー」
「ええっ、また雛子なの? 雛子狙うの禁止にしましょう」
「いや市ヶ谷さん、それだと試合になりませんから。三対三ですし」
「うふふ、女の子だもの、運動できなくたって雛子ちゃんは十分可愛いわ」
「よし、そっちチームあと一人だな」
自分以外は皆スポーツ万能。そのメンバーでドッヂボールなど、狙ってくれと言っているようなものだ。
「皆本気で投げ過ぎで怖い……」
ビーチドッヂボールに闘志を燃やす面々の熱気に耐えられず、雛子は一度戦線離脱した。
「はぁ〜疲れたぁ」
雛子は舞のいるパラソルの元へと向かう。
彼女は念の為大人しくしているよう恭平から釘を刺され、不服そうにしながらも素直に言いつけに従っていた。
「……あんたほんっとに運動音痴なのね」
つまらなそうな顔をしながら試合観戦していた舞が飽きれた口調で呟くようにそう言った。雛子はクーラーボックスからアイスティーを取り出して水分補給しながら恥ずかしそうに頭をかく。
「あ、あはは、まぁ人には向き不向きがありますので……」
「あんたに向いてることって何よ」
「うっ、そう言われると特には……」
雛子の予想通りの返答に、舞はやはりつまらなそうにしながら溜息を吐いた。
「……ねぇ、散歩。暇だからちょっと付き合いなさいよ」
「えっ、でも……」
雛子はちらりとまだゲームに熱中している五人を見やる。舞は大人しくするように言われているとはいえ、確かに目の前でこれだけ楽しそうにされたらじっとしているだけでは物足りないだろう。
(少しだけなら、まぁいっか?)
元々軽い熱中症とのことだし、今は元気そうにしているし少し歩くくらいなら問題ないだろう。
「良いですよ。その代わりちょっとだけですからね?」
念を押して、雛子は歩き出した舞のあとを着いていく。
「あーあ、せっかく遊びに来たのにここでも患者扱い……本当嫌になっちゃうわ」
砂浜からだいぶ離れ、防波堤をブラブラと歩きながら舞が独り言のようにゴチる。
「そりゃそうですよ。篠原さんに何かあったら叱られる所の話じゃないんですから」
雛子は舞の言葉に苦笑いで答える。
「……私ね、嬉しかったのよ。恭平達と一緒に泊まりで遊べて」
舞は憎たらしいくらいに晴れた空を見上げた。
「こんな変な病気のせいで何度も入退院を繰り返してて、でも命に別状ない病気だって分かると皆言うのよ『なぁんだ、じゃあ休めてラッキーじゃん』って」
「そんなこと……」
舞の悲しげな表情に、雛子は何も言えなくなる。
「この病気を発症したのは社会人になってからだけど……。入院するとね、思い出すの。小さい頃熱を出すと、亡くなったお母さんが看病してくれたこと」
舞は空を仰ぎながら続ける。
「お母さんだけは、心から心配してくれてた……熱なんかなくたって、私がちょっと風邪っぽいって言うだけでとっても心配して……あの時は気付かなかったわ、お母さんの愛って凄いのね」
舞は立ち止まり、片耳のピアスを外して手のひらに乗せた。それは陽光を反射してキラリと小さく光った。
「……お母さんの形見なの」
「篠原さん……」
舞は小さく笑う。
「私、いつの間にかお母さんの代わりを探して、お母さんみたいに優しくしてくれる人を求めて……入院するたびにどんどん我儘になっていったのかなぁ」
雛子は舞の悲しげな笑みを見て、目の奥が熱くなったのを感じた。
「優しくしますよ、いつだって」
雛子は押さえた声でそう告げた。
「そりゃ全部の我儘は聞けないけど……でも桜井さんだって篠原さんのことすごく心配してるから今日だって休んでろって言ったわけで……だから……」
いくら考えても、何も気の利いた言葉など出てこない。雛子はそれでも、精一杯の伝えたい気持ちを口にした。
「一人じゃないですよ、篠原さんは」
「っ……」
一瞬、舞が目を見開き、泣きそうな顔をしたように見えた。
強い風が吹く。雛子は目を細め、舞はめくれそうになったワンピースの裾を慌てて押さえようとした、その時。
「あっ───── ……」
手を下ろした反動で、右手に握られていた片側のピアスが飛んでいった。
それは防波堤を超え、消波ブロックの隙間へと吸い込まれて消えていく。
「ピアスがっ……!」
雛子は咄嗟に防波堤の下を覗き込む。小さなものだ。海に落としてまず見つかるはずがない。振り返ると、舞が顔を青くして目に涙をためながら震えていた。
「ど、どうしよう……お母さんのピアスがっ……」
そのまま下に降りようとする舞を、雛子は慌てて止める。
「無理ですよっ! 降りるのは危険です!!」
「ダメよっ……! あれは大切なものなのっ……!」
今にも飛び込みそうな勢いの舞を、雛子はその場に押しとどめることで精一杯だ。皆の元へ引き返そうにも、舞はテコでもこの場を動こうとしない。
「分かりました! じゃあ私が行きますからっ……篠原さんはここから動かないでくださいっ!!」
患者を危険な目に合わせるわけにはいかない。無謀だと思いながらも、雛子は意を決して消波ブロックの隙間から海へと降りていく。
「あ……ありがとう……」
やがて雛子の姿が完全に見えなくなった時、舞は口元に冷ややかな笑みを浮かべていた。
「ほーんと、お馬鹿さんよねぇ……」
「ん……何時……?」
レースカーテンのみを引いた開放的な窓からは、爽やかな陽の光が差し込んでいる。スマホの画面を見ると時刻はam7:30と表示されていた。
同じベッドには夏帆、隣のベッドには悠貴がまだ寝息を立てている。雛子は二人を起こさないよう、そっと布団から出た。
「おはようございます、早起きですねぇ」
リビングへのドアを開けると、コーヒーの香りが濃くなった。マグカップにインスタントのドリップコーヒーを作っていた鷹峯が、平素の調子で声を掛けた。
「おはようございます。先生こそ早いですね、昨日あんなに飲んでたのに」
昨夜は結局、残った四人で余りの酒を酌み交わしつつトランプに興じていた。
とは言っても、雛子が一缶をチビチビと飲んでいる間に残りは酒好きの三人が飲み干してしまっていたのだが。
「ちなみに女性二人も既に起きていますよ。先程篠原さんを診察してきましたが、すっかり元気になっているみたいですね」
桜井君はそちらに、と鷹峯の視線の先に目をやると、ゆったりとした広めのソファで窮屈そうに身を屈めながらタオルケットを被っている長身痩躯の男が眠っていた。
「ん……あったま痛てぇ……」
雛子と鷹峯の会話にモゾモゾと起き上がった恭平が、嗄れた声で呟きローテーブルの上にあるスポーツドリンクを口にした。
「あ、おはようございます桜井さん」
「んー……」
恭平は二日酔いに顔を顰めながらも、雛子の声掛けに片手を上げて反応する。しかしスポーツドリンクを飲み終わると、再びソファへと沈んでいった。
(あ、朝分の薬、皆が起きてくる前に飲んどこ……)
恭平が二度寝に入ったのを横目に、雛子は荷物をまとめて置いてある出窓へと向かう。
「あ、あれ?」
雛子は普段持ち歩いているハンドバッグの内ポケットに手を入れ、首を傾げた。
いつもの所に目当てのピルケースが見当たらない。
「おかしいな、確かここに……」
「どした?」
「ここに入れたはずの……って桜井さん!?」
先程二度寝したはずの恭平が、ソファから起き上がり声を掛けた。驚いて大きな声を出した雛子に、彼はしかめっ面のまま耳を塞ぐ。
「あ、すみません……」
「……いや、んで、何探してるの?」
「えっと……」
何と答えようか考えあぐねていると、リビングのドアが開きふわりと花のような香りがコーヒーの香りと混ざった。
シャワーを浴びたらしい真理亜が、長い髪をタオルで押さえながらやってくる。その姿が何とも色っぽい。
「あら、おはよう雛子ちゃん。ごめんなさいね、さっき雛子ちゃんのバッグにぶつかって落としてしまって……何かなくなってるものあるかしら?」
何だ、そういうことか。
よく見れば普段とは別の内ポケットに、愛用しているピルケースの柄が見えた。
「あ、いえ、大丈夫です」
「そう? 良かったわ」
真理亜はほっとしたように微笑み、舞と一緒に使っている部屋へと入っていった。雛子はミネラルウォーターの封を切り、慣れた手つきで数種類の錠剤を喉に流し込む。
「体調悪いのか?」
「っ……」
恭平がまた不意打ちで話しかけてくる。悪いことをしているわけではないのに、何故か胸がドキドキと騒がしくなった。
「……頭痛持ちなんです」
恭平の方を振り向かないまま、雛子は言った。
「特にお酒飲んだ次の日とか、頭痛くなっちゃって」
「……あの量の酒で二日酔いかよ」
飽きれたようにそう呟いた恭平に、鷹峯は笑いながらマグカップをローテーブルへと置いた。
「私からしたら、桜井君も大した量飲んでませんでしたけどねぇ?」
「おめーはザル過ぎるんだよ」
悪態をつく恭平に、鷹峯は余裕の笑みだ。そんな二人のやり取りに苦笑しながら、雛子もソファに腰を下ろす。
「……んで? 頭痛以外は大丈夫なのか?」
「あ、はい、大丈夫、ですよ?」
恭平の腕が伸びてきて、大きな手のひらが雛子の頭の上に乗る。ポンポンと軽く撫でられ、雛子はぎこちなく返事をした。
やがて各々シャワーを浴びたりコンビニへ食事を買いに行ったりと十二時のチェックアウトまでのんびり過ごし、その後は再び海へ遊びに行くことになった。
恭平と、チェックアウトギリギリまで寝ていた悠貴は酷い二日酔いだったようだが、遊びに行く頃にはすっかり体調は戻っていたようだ。
「はい、雨宮アウトー」
「ええっ、また雛子なの? 雛子狙うの禁止にしましょう」
「いや市ヶ谷さん、それだと試合になりませんから。三対三ですし」
「うふふ、女の子だもの、運動できなくたって雛子ちゃんは十分可愛いわ」
「よし、そっちチームあと一人だな」
自分以外は皆スポーツ万能。そのメンバーでドッヂボールなど、狙ってくれと言っているようなものだ。
「皆本気で投げ過ぎで怖い……」
ビーチドッヂボールに闘志を燃やす面々の熱気に耐えられず、雛子は一度戦線離脱した。
「はぁ〜疲れたぁ」
雛子は舞のいるパラソルの元へと向かう。
彼女は念の為大人しくしているよう恭平から釘を刺され、不服そうにしながらも素直に言いつけに従っていた。
「……あんたほんっとに運動音痴なのね」
つまらなそうな顔をしながら試合観戦していた舞が飽きれた口調で呟くようにそう言った。雛子はクーラーボックスからアイスティーを取り出して水分補給しながら恥ずかしそうに頭をかく。
「あ、あはは、まぁ人には向き不向きがありますので……」
「あんたに向いてることって何よ」
「うっ、そう言われると特には……」
雛子の予想通りの返答に、舞はやはりつまらなそうにしながら溜息を吐いた。
「……ねぇ、散歩。暇だからちょっと付き合いなさいよ」
「えっ、でも……」
雛子はちらりとまだゲームに熱中している五人を見やる。舞は大人しくするように言われているとはいえ、確かに目の前でこれだけ楽しそうにされたらじっとしているだけでは物足りないだろう。
(少しだけなら、まぁいっか?)
元々軽い熱中症とのことだし、今は元気そうにしているし少し歩くくらいなら問題ないだろう。
「良いですよ。その代わりちょっとだけですからね?」
念を押して、雛子は歩き出した舞のあとを着いていく。
「あーあ、せっかく遊びに来たのにここでも患者扱い……本当嫌になっちゃうわ」
砂浜からだいぶ離れ、防波堤をブラブラと歩きながら舞が独り言のようにゴチる。
「そりゃそうですよ。篠原さんに何かあったら叱られる所の話じゃないんですから」
雛子は舞の言葉に苦笑いで答える。
「……私ね、嬉しかったのよ。恭平達と一緒に泊まりで遊べて」
舞は憎たらしいくらいに晴れた空を見上げた。
「こんな変な病気のせいで何度も入退院を繰り返してて、でも命に別状ない病気だって分かると皆言うのよ『なぁんだ、じゃあ休めてラッキーじゃん』って」
「そんなこと……」
舞の悲しげな表情に、雛子は何も言えなくなる。
「この病気を発症したのは社会人になってからだけど……。入院するとね、思い出すの。小さい頃熱を出すと、亡くなったお母さんが看病してくれたこと」
舞は空を仰ぎながら続ける。
「お母さんだけは、心から心配してくれてた……熱なんかなくたって、私がちょっと風邪っぽいって言うだけでとっても心配して……あの時は気付かなかったわ、お母さんの愛って凄いのね」
舞は立ち止まり、片耳のピアスを外して手のひらに乗せた。それは陽光を反射してキラリと小さく光った。
「……お母さんの形見なの」
「篠原さん……」
舞は小さく笑う。
「私、いつの間にかお母さんの代わりを探して、お母さんみたいに優しくしてくれる人を求めて……入院するたびにどんどん我儘になっていったのかなぁ」
雛子は舞の悲しげな笑みを見て、目の奥が熱くなったのを感じた。
「優しくしますよ、いつだって」
雛子は押さえた声でそう告げた。
「そりゃ全部の我儘は聞けないけど……でも桜井さんだって篠原さんのことすごく心配してるから今日だって休んでろって言ったわけで……だから……」
いくら考えても、何も気の利いた言葉など出てこない。雛子はそれでも、精一杯の伝えたい気持ちを口にした。
「一人じゃないですよ、篠原さんは」
「っ……」
一瞬、舞が目を見開き、泣きそうな顔をしたように見えた。
強い風が吹く。雛子は目を細め、舞はめくれそうになったワンピースの裾を慌てて押さえようとした、その時。
「あっ───── ……」
手を下ろした反動で、右手に握られていた片側のピアスが飛んでいった。
それは防波堤を超え、消波ブロックの隙間へと吸い込まれて消えていく。
「ピアスがっ……!」
雛子は咄嗟に防波堤の下を覗き込む。小さなものだ。海に落としてまず見つかるはずがない。振り返ると、舞が顔を青くして目に涙をためながら震えていた。
「ど、どうしよう……お母さんのピアスがっ……」
そのまま下に降りようとする舞を、雛子は慌てて止める。
「無理ですよっ! 降りるのは危険です!!」
「ダメよっ……! あれは大切なものなのっ……!」
今にも飛び込みそうな勢いの舞を、雛子はその場に押しとどめることで精一杯だ。皆の元へ引き返そうにも、舞はテコでもこの場を動こうとしない。
「分かりました! じゃあ私が行きますからっ……篠原さんはここから動かないでくださいっ!!」
患者を危険な目に合わせるわけにはいかない。無謀だと思いながらも、雛子は意を決して消波ブロックの隙間から海へと降りていく。
「あ……ありがとう……」
やがて雛子の姿が完全に見えなくなった時、舞は口元に冷ややかな笑みを浮かべていた。
「ほーんと、お馬鹿さんよねぇ……」