ラジカセからは祭囃子がBGMとして流され、楽しげな雰囲気を助長している。

デイルームでは輪投げやくじ引きなどの催しがささやかながら施され、小児科の患児達をメインに賑わっていた。

池野医師の愛娘である池野幸子も例のごとく入院中であり、黙々とヨーヨー釣りに勤しんでいた。

「へぇ、結構賑わってるのねぇ。みんな楽しそうで良かったわぁ」

「佐々木先生」

佐々木医師は小児科の若きエースと呼ばれている女医だ。忙しいだろうに毎日きっちりと髪を巻きメイクも怠らない。溌剌とした雰囲気で子どもや保護者達にも人気がある。

「あっ、佐々木先生と雨宮さん、いつも幸子がお世話になってます〜」

この人畜無害そうな男性医師こそ池野医師である。彼は人の良さそうな笑みを浮かべながらポリポリと頭をかき、ヨーヨー釣りをしている娘を眺めていた。

「先生方も、良かったらどうぞ」

雛子はイベントで患者の体調や進行状況に気を配りつつ、一人一人に作ったうちわを渡して歩いていた。

ふと輪投げコーナーを見ると、真剣な眼差しで手をめいいっぱい伸ばしてリングを投げている翔太がいた。彼の投げたリングは、三十点と書かれたポールにクルクルと回りながら落ちる。

「おっ、翔太くん上手!」

「げっ、み、見てたのかよ……」

何となくバツの悪そうな顔をする翔太に雛子は吹き出しそうになるのを堪える。

「輪投げ楽しい?」

「べっつに? こんなん子ども向けだし簡単過ぎだし」

ぽいっと適当に放たれたリングは、五十点のポールに当たったものの弾かれて場外へと転がった。

「あ、も、もう一回っ!」

「ふふっ……」

堪えきれず笑いを零す雛子をぎろりと睨む翔太。雛子はごめんごめんと謝りながらうちわを一つ差し出す。

「これか? お前が作るって言ってたやつ。意外とセンス良いじゃん」

不意打ちの褒め言葉に、雛子はポカンと口を開ける。

「えぇ! 翔太くんに褒められた。嬉しい〜!」

「こんなことで喜べんのかよ……おめでたいやつだな……」

飽きれられた。

すでに翔太は手持ちの残り三本のリングを投げるため、ポールへと意識を向けている。




「雛子ちゃん」


後方から声をかけられ、振り返る。


「ちょっと来て。ここ代わるわ」




後ろから控えめな声で呼ぶのは真理亜だった。

「真理亜さん? 何かありました?」

手招きに従い側に寄ると、うちわの入った紙袋を受け取りつつ真理亜が雛子の耳元に顔を近づける。

「今のうちに翔太君の御家族に病状説明(ムンテラ)があるの。恭平と一緒に雛子ちゃんも同席してきて」

「っ……はい」

チラリと翔太を見る。彼はまだ輪投げに集中していた。雛子は頭を下げ速やかに病棟内の面談室に向かう。



「失礼します」

軽くノックをして面談室に入ると、すでに翔太の両親と恭平が着席していた。雛子に遅れてすぐ、血液内科の医師も入室し病状説明が行われる。

「結論から言いますと」

医師はなるべく冷静を務めるような口調で切り出した。

「現在投薬している薬ですが、十分な効果は得られていません。前にもお話しましたが、この治療が有効でないとなると他にできる治療法がありません」

事前に薬効判定の検査結果は目にしていた。それでも、医師からの言葉に雛子はガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。

それを悟られないように、手元のクリップボードへ説明の内容を必死にメモしていく。

「今後、どうされるかということなんですが」

医師が言葉を切る。向かいに座る両親に目をやると、父親は俯き、母親は目を大きく見開いて固まっていた。

「……あと、どれくらい生きられるんですか」

暫くの沈黙の後、父親がポツリと尋ねた。

この質問は想定済みとはいえ、答える側にも言葉の重みがのしかかる。

「……近日中に急変ということも大いに有り得ます。長くとも年を越すのは難しいかと」

何も感じないように心に蓋をしながら、雛子はやり取りを記録するためペンを走らせる。ふと隣を見ると、恭平も同じようにメモを取っている。

その表情からは、何の感情も読み取ることができなかった。

「そう、ですか」

父親が、深く息を吐き出しながら呟いた。

「本人への告知は待ってもらっても良いですか。私達も夫婦で話し合いますので」

「もちろんです。他に質問がなければこれで」

両親は立ち上がると、深々と頭を下げて面談室を後にした。両親がいなくなると、医師はやっと人間らしい表情になって机に手を付いた。

「はぁ……嫌だよね、若い人のこういう話するのって」

遠くからは祭囃子の楽しげな音色と人々の話し声が微かに聞こえてくる。今はそれがノイズのように煩わしく感じた。

「どんなに苦しい治療にもあの子は文句言わずに耐えてたんだよね。本当ならサッカーのスポーツ推薦で高校も決まってたはずなのに、それも諦めてさ」

下唇を噛みながら、医師もまた悔しさに打ちひしがれていた。

「……クリスマスプレゼント、楽しみにしてるって翔太くん言ってました」

雛子は楽しそうにスマホをスクロールする様子を思い出していた。

「クリスマスに、スニーカーを買ってもらうって、今日っ……」

楽しみにしているクリスマスは、もう彼には永遠に訪れないかもしれない。

「っ……すみませっ……」

唐突に、悲しみの感情が濁流となって抑えていたものを押し流した。

「……やり切れないよね、本当。ムンテラの件は病棟スタッフも交えてあとでカンファレンスしようか。外来終わったら連絡するから師長にも伝えといてよ」

医師はそう告げると、暗い顔をしながら面談室を後にした。




「うっ……ぐすっ……ああ〜もぅ〜止まらなっ……」

せっかく納涼祭で楽しい気持ちだったのに。真剣な顔をして輪投げを楽しんでいる翔太の顔が浮かぶ。

感情の落差が余計に心を軋ませ、雛子は溢れる涙を中々抑えることができなくなっていた。

そんな雛子を、恭平は先程とは違い困ったような、柔らかな瞳で暫く見つめていた。

「……どう過ごしてもな、やっぱり若い人ほど、後悔は残る」

ぽつりと呟かれたその言葉に、恭平が亡くした彼女のことを想っているのだろうと悟った。

「とにかく本人へ説明するまでは勘づかれるな。ひなっちは関わる頻度も高いし何せ顔に出やすい。翔太がなるべく後悔を残さず過ごせるよう、皆で考えよう」

「は、はいっ……分かり、ましたっ……」

落ち着いたら納涼祭に戻るように伝え、恭平は病棟に戻っていった。


(私にできることって、何があるの……? 翔太くんにできること……翔太くんが今、したい事……)

一人になった面談室で、雛子はそう自分に問うた。

「……よし」

いつまでもここで考えているわけにはいかない。納涼祭も、病棟にいる他の患者のこともやることはたくさんある。

雛子は両頬をピシャリと叩いて気合を入れると、面談室を出てデイルームへ向かった。