店を出ると、道路を挟んで向かい側に長蛇の列を作っているパティスリーが目に付いた。ガラス越しに見える店内のイートインスペースも、全て客で埋め尽くされている。

「なにあれ、超人気店?」

雛子の問いに、あとから着いてきていた2人は当然のように頷く。

「ああ、たしか老舗のケーキ屋だろ?」

悠貴の答えに、夏帆も頷く。

「そうよー。元々人気店だったけど、最近芸能人がSNSに上げだしてから予約が半年待ちになってるみたい」

「なにそれ、食べてみたい!」

甘いものにも流行りのものにも人と人並みに興味のある雛子である。せめてどのようなケーキがショーケースに並んでいるのかだけでも見てみたくなり、道を渡って行列の隙間から店内を覗く。

「うわぁ〜美味しそう! デコレーションも凝ってて綺麗〜」

「ていうかこんなクソ暑い時期に大繁盛のケーキ屋ってすげぇよな」

「夏仕様でゼリーやムースみたいな軽めのものも多そうよ?」

店内も行列もほとんどが女性客で、時々いる男性もカップルばかりだった。

その女性客に混じって、頭一つ飛び抜けた長身の男性が一人。

「ねぇ、あの男の人彼女連れてる?」

「いや、いないっぽい。男一人でとか、俺なら絶対無理だわ……」

レジでホールケーキを受け取っている男性。どうやら一人でケーキを買いに来たらしい。

たしかに悠貴の言う通り、ここに男性一人で来るのは目立つしなかなかハードルが高そうだ。周りの女性客達も男性の方をチラチラと見ながら小声で何か話している者もいる。

そんな視線も意に介さずといった様子で男性はレジで支払いを済ませていた。

(んー……あの後ろ姿、堂々とした立ち居振る舞い……なぁんか見覚えが……)

どこか既視感を覚え考え込み始めた雛子に対し、残りの二人は振り返った男性の姿に「あっ」と声を上げていた。

「ひ、雛子! あれ、あれ!」

「えっ? 急になに……っ」

肩にかけていたバッグを引っ張られ我に返った雛子は、その視線の先に現れた人物に目を瞬かせた。

「さっ……!!」

「ん? あれ? ひなっちじゃん」

そこにいたのは紛れもなく桜井恭平その人だった。片手には目の前のパティスリーのロゴが印字されたショッパーを下げている。

(そうだよっ! あの髪型、物怖じしない雰囲気、桜井さんだった……! 私服だったから気付かなかったよぉ!)

雛子はドキドキと音を立てる胸に手を当て、しかし何故自分は緊張しているのだろうと首を傾げる。

冷静に考えれば恭平も寮住まいであり、その付近で買い物していれば遭遇することも不思議ではない。

「ヤッホーひなっち。と、二人は友達?」

「は、はい。同期の市ヶ谷と入山です」

一方の恭平は特に普段と変わりなく、女性客だらけのパティスリーから出てきたところを見られたからと言って動揺する様子もない。

夏帆と悠貴は少し緊張した様子で自己紹介をしていた。

「はじめまして。雛子からよくお話は伺っています。同期の市ヶ谷夏帆です」

「同じく、入山です」

「へぇ……」

そう挨拶すると、恭平はマジマジと夏帆と雛子の顔を見比べる。そしておもむろに二人の肩にぽんと手を置くと、大真面目な顔で頷く。

「……やっぱり可愛い子の友達って可愛いんだな」

「……」

「は、えっ……?」

こう言ったお巫山戯(ふざけ)には慣れている。雛子は何と返していいか分からず辟易していたが、夏帆は見事に顔を朱に染め上げた。

「噂通りのタラシだな……」

真っ赤になった夏帆に飽きれている悠貴。今度はそんな彼の肩に恭平の手が置かれる。

「そして美女二人を侍らせている君は千年に一度のイケメンだ」

「さ、桜井さん……」

恭平のキメ顔は男をも落とすようだ。

ぽっと顔を赤らめた悠貴に、今度は女子二人が冷ややかな視線を送った。

「と、ところで桜井さんはこれからどこか行かれるんですか?」

流れを変えようと、雛子は恭平の持っているショッパーを指差す。

「それ、ホールケーキですよね? しかも予約半年待ちの!」

先程二人に教えてもらった知識でドヤ顔をしておく。

「もしかして彼女にですか?」

明日の天気はなんですか? というレベルの、会話に困った時に定番な質問をしたつもりだった。



「ああ、まぁな。今日は彼女の誕生日なんだ」



恭平の淡々とした返答を聞いて、雛子は何故か聞いたことを後悔していた。

「っ……」

その返答に、雛子より動揺したのが何故か同期の2人だった。

「へ、へぇ〜! 桜井さんの彼女さんなんてきっと美人なんだろうな〜。お仕事何してる人ですかっ?」

「あ、もしかして院内の人とか!? 聞かない方が良いのかなぁ〜っ?」

今日初めて会ったばかりの二人が何故恭平の彼女に興味があるんだ。

(しかも距離感がなんか失礼だし……)

あまり詳しく聞きたくない。できればはぐらかしてほしい。雛子はそう思った。

「いや、もう何年も前に亡くなってる。毎年誕生日と命日にはここのケーキ買って墓参り行くんだよ。そん時に次の予約してくの」

雛子の思惑とは裏腹に、恭平はこともなげにそう告げた。



『家族のような人を亡くしたことがあるんだ』


『病気で一年くらい療養していたから覚悟する時間はあったはずなんだが、やっぱりいざとなると谷底に突き落とされたような気分だった。柄にもなく、立ち直るのに時間がかかったな』



(これ……まさかっ……)

何も言えないでいる一同を気にすることもなく、恭平は腕時計で時間を確認するとさっさと歩き出す。

「じゃ、ちょっと遠いから行ってくるわ」

恭平は近くに停めてあった中型のバイクに跨るとハンドルに器用にショッパーを吊り下げ、フルフェイスのヘルメットを被り走り去っていった。

(あれって彼女のことだったんだ……)

恭平が走り去っていった方を見つめながら、雛子は思った。そして彼と数ヶ月一緒にいる雛子は、普段通りの態度の中にも僅かながら存在する恭平の感情を読み取っていた。

(あれは、まだ大切に想ってる目だった……)

恭平の好みかもしれないだなんて考えながら服を選んでいた自分が、何だか酷く滑稽で恥ずかしく思えた。

「あー、えーっと、このあとどうするっ?」

「そ、そーだな、とりあえずカラオケ行くか、カラオケ!」

すっかり黙ってしまった雛子に、同期二人が両側から引きずるようにして歩き出す。

「あ、うん、カラオケね? そんな引っ張らなくても自分で歩くから大丈夫だよ?」

思考の海から引き戻された雛子は、何故かおかしなテンションで話し出す二人に首を捻る。

「……どうしたの二人とも? 何か変」

何だかよく分からないが変な気を回されているようだと一瞬遅れて気が付き、思わず苦い顔になる。

「いや、あんたが何とも思ってないなら別にいいけどさ……」

夏帆が遠慮がちに顔色を伺ってくる。

「別に大丈夫だって。ついこの前桜井さんから近い人を看取ったって話を聞いてて……それ、彼女のことだったんだなーって、思っただけ」

本当にそれだけだ。それなのに。

(何でこんなに、モヤモヤするんだろ? 変なの)