「ううっ……怖かったよぉー……」

思い出しただけで青ざめる雛子を、夏帆は同情の眼差しで見つめた。

「お疲れ雛子、あんたはよくやった。それに桜井さんが一緒だったから頑張れたってのもあるんでしょ?」

「え、う、ん……まぁ、ね?」

恭平の名前を出した瞬間、雛子がそれまで青かった頬をほのかに赤くしたのを夏帆は見逃さない。

「ほほう。さては恋だな?」

夏帆の指摘に、雛子は大きな目をくりくりと見開く。

「いやまさか! 確かに仕事できるし見た目はちょっと格好良いかもしれないけど、先輩だよ? それに私じゃ絶対釣り合わないし。あ、ほら最初の研修の時迎えに来てくれた綺麗な人いたでしょ。真理亜さんって言うんだけど、ああいう人がお似合いだと思うんだよね〜」

あっさりと否定しつつ、雛子はグラスに半分残っていたアイスティーを一気に飲み干した。

「ん〜! 夜勤明けの開放感って最高〜! 天気も良いし、久々に夏帆とショッピングも行けるし!」

雛子のグラスが空になったのを合図に、二人は席を立ちレジで会計を済ませて店を出た。

店内と違い、うだるような熱風が二人の身体を包む。コンクリートジャングルなのに蝉の声は煩いから不思議だ。

「たしかに、ここ最近の休みは寮か図書室で勉強漬けだったもんね」

「そうそう。たまには気晴らしに街へ繰り出そうぜ〜」

突然のよく知った声に、雛子と夏帆は驚いて振り返った。

「悠貴!」

「なぁんであんたがここにいんのよ」

そこにいたのは同期の入山悠貴(いりやま ゆうき)だった。

「たまたま通りかかったらお前たちが二階席に座ってんのが見えたんだよ。俺もちょうど服でも見に行こうと思ってたとこ。どうせなら一緒に行こうぜ」

寮から目と鼻の先にあるこの一体は、洒落たカフェテリアやセレクトショップが建ち並ぶ若者に人気のショッピングエリアだ。

「良いけど、私達の買い物にちゃんと付き合いなさいよねー」

「へいへい」

「ふふっ、それじゃ行こっか」

夏帆は体良く荷物持ちでもさせようとしているのが透けて見えるが、何だかんだ言っても仲の良い三人である。

他愛もない話をしながら、どの店に入るか目星を付ける。

本日は平日だが、流石は東京都心のど真ん中にあるショッピングエリアだけあって多くの人で賑わっていた。これが休日ともなると倍以上の人の数でどこも混みあっており、楽しさより疲労の方が勝ってしまう。

平日に行動できるのは、シフト勤務のメリットの一つだ。

「ねぇ、あれ! あの服雛子に似合いそう!」

とある店舗のショーウィンドウで着飾っている何体かのマネキンを指さし、夏帆が店に入っていく。

「あっ、ちょっと!」

雛子と悠貴も慌てて追いかける。店名を確認して、誰もが知る有名なファストブランドであるのが分かりひとまずほっとする。

「ほらこれ! 試着してきて!」

マネキンとお揃いの服をハンガーごと差し出され、受け取るとそのままフィッティングルームに押し込まれた。

「え、似合うかなこれ? 着たことないよぉこんなの」

渡された服を身体に当て、鏡に映る自分を改めて見つめる。

「良いから良いから〜」

カーテンの向こうから聞こえる夏帆の返答に飽きれつつ、言われるがまま服を着替える。

それは、夏らしいアイスブルーのシフォンワンピースだった。七分の袖は繊細なレースになっていて、露出を抑えつつ涼し気な印象も演出していた。

「お、いんじゃね?」

フィッティングルームから出てきた雛子を見て、悠貴が適当に褒める。

「うん、雛子の白い肌にベストマッチだよ。買いだなこれは」

「ちょっと、勝手に決めないでよ」

口では抗議しつつ、褒められれば悪い気はしない。

(桜井さん、こういうの好きかな?)

膝丈で軽やかに揺れるスカートを見つめながら、何となく恭平のことを思い浮かべる。

「ってなんで!? 何考えてるの私!?」

「うわっ、独り言こわっ」

何故自分は今恭平のことを考えたのか。雛子はわけが分からず、そそくさとフィッティングルームに戻りワンピースを脱ぐ。

「雛子? 買わないの?」

ハンガーにワンピースを掛け元の場所に戻した雛子に、夏帆は首を傾げる。

「う、うん、やっぱりやめとく。せっかく来たんだし他の店も見に行こうよ」

何となく気恥ずかしくなり、雛子は店をあとにした。