言いたくはないし、認めたくはない。
だが、帝国騎士団長としてのオルタンスは、そういう決断を下さなければならなかったのだろう。
多数決の原理、ってのがあるだろう?
世の中、そういうものなんだよ。
どうしても、大多数の人間に従わなければならない。
自分はBが良いと思っても、他の大勢がAの方が良いと主張するなら、Bを望む人々も、渋々Aを選ばなければならない。それで納得しなければならない。
それが社会ってもんだ。
もっと残酷な例えをするならば。
10人が乗っている船と、1000人が乗っている船が、同時に難波したとして。
救助に行けるのは、どちらか片方だとしたら。
さて、あなたなら、どちらを助ける?
どちらも見捨てるか?それは責任を放棄した、偽善者のやることだな。
責任のある者なら、苦渋の選択で、10人を見捨てるだろう?
10人の犠牲で1000人が救われるなら、そちらを選ぶだろう。
それが、世の中の摂理なのだ。
そして俺は、犠牲にされた10人のうちの一人なのだ。
ルティス帝国という大きな国を守る為、生贄に捧げられたのだ。
オルタンスもそう。
1000人を救う為に、俺を犠牲にした。
まぁ、これはあくまで例えであって、実際に俺の犠牲によって、何人救われたのか。
誰が救われたのかは知らないし、そんなことはどうでも良い。
でも、俺の言いたいことは伝わっただろう。
十人十色、という言葉があるが。
人は、一人一人、それぞれの主義主張がある。
何を正義と定義し、何を悪とするかは、その人の判断基準次第。
その判断基準は、人によって違う。
時には、天と地ほど違う場合もある。
実際俺にとっての正義は、恐らく他の大多数の人間にとっては、悪なのだろうし。
世の中には人によって違う正義があり、それでも国を一つにまとめる為に、「大多数の人間が考える正義」を、国が提供している。
それがルティス帝国の王制であり、帝国騎士団制度だ。
彼らを象徴として、国を一つにまとめている。
しかし、一つの意見を提示すれば、必ず賛同する者と、反対する者がいる。
大勢の人が賛成したとしても、反対する者は、少人数でも、必ずいる。
それが、さっきの例えだな。
Aの方が良いって皆思ってるみたいだから、国としてはAを選択するが。
中にはBの方が良いと思っている、少人数の反対派もいる。
そして、あの『ルティス帝国を考える会』のサークル。
あのサークルに所属するメンバーは、Bの集団なのだ。
国がAを選択したから、仕方なくAに従ってはいるけど。
本当はBの方が良いと思っているから、少人数でも手を取り合って、自分達の主張するBを議論の場にあげてもらおうと、必死に抵抗している。
サークルメンバーには悪いが、俺は、大多数のA派だ。
つまり、現体制に賛成派だ。
それでいて、スパイ活動の為に、反対派を演じなければならない。
そういう意味では、元々現体制賛成派で、自分の主張に嘘をつかなくて良いルーシッドの方が、スパイとしては楽なのかも。
ルーシッドは、そのまま自分の思ってることを言えば良いんだからな。
対する俺は、本当は現体制で良いと思ってるのに、わざとサークルの指針に従って、現体制に反対しなければならない。
うーん、難しい。
この論文を読んで、彼らの主義主張は分かったから、適当にそれに合わせるつもりだが。
折角、ルーシッドと二手に分かれたのだ。
ここは日和らず、エリアスくらいには、主張をハッキリさせておいた方が良いだろう。
明日からの自分の言動を考えながら、俺はそう思った。
…ともあれ。
俺は、計画通り『ルティス帝国を考える会』に入会した。
あとは、野となれ山となれだ。
――――――そして、翌日から。
本格的に、ルティス帝国総合大学での、講義が始まった。
さて、いよいよ始まった、大学の講義。
実は大学の講義なんて、人生で初めてなので。
どんな感じなのかな〜、と思っていたら。
何のことはない。
帝国騎士官学校で習った範囲を、復習させられているようなもの。
一番最初に受けた、一時間目の講義は、『論文作成法A』という授業。
成程、やはり大学だから、論文の書き方を学んでおくんだろうと思ったが。
ただの、作文の授業だった。
もっと分かりやすく言うと、国語の授業みたいなもん。
それも、帝国騎士官学校だったら、一時限50分で済ませられるような内容を。
何故か、わざわざ90分というアホみたいに長い時間をかけて、延々ダラダラ喋るだけ。
初回だったからということもあって、学生は何もやらされることなく、ただレジュメを配られて、それを眺めてるだけ。
教師も教師で…いや、教師じゃなくて教授か。
教授の方も、自分で用意してきた、恐らく毎年使い回しのスライドショーを、ポチポチ流しては、そこに書かれることを読んでるだけ。
お前要る?
レジュメに書いてあることしか喋らないんじゃ、レジュメだけで良いじゃん。教授要らねぇ。
でもまぁ、この科目の教授が、特別やる気のない教授だったというだけかもしれない。
俺は自分の研究をやりたいんだ、新入生共の相手なんてしてられねぇよ、と思ってるのかもしれない。
で、気を取り直して二限目。
次の講義は、教室を変えて『外国語基礎Ⅰ』。
あれ?俺、教育学部に入学したんだよね?
何で、中高と似たような授業やってんの?
いや待て。外国語と言っても、幅は広い。
もしかしたら、俺が知らない、世界各国の少数民族が使う言葉を習うのかも…と。
内心、ちょっと期待していたら。
見事に裏切られた。
全然そんなことはなかった。
中高を通して普通に授業を受けているはずの、オーソドックスでスタンダードな外国語…アシスファルト語…及び。
選択科目として、シェルドニア語の授業も受けられますよ、とのこと。
それだけ。
既にマスターしている外国語を習うことが、どれだけ苦痛だったことか。
そういや、ルーシッドは外国語学部に入学したんだっけ。
あいつ、何語勉強してるんだろう。
折角大学来たんだから、まだ知らない言語を学びたいよな。
そして、先程の教授もそうだったけど。
この外国語の教授もそう。
猿でも分かりそうなことを、延々とダラダラ説明しているだけ。
教え方も、「お前本当に、ルティス帝国最難関の大学の教授か?」と疑うほど。
俺に講義やらせた方が、余程分かりやすいと思うぞ。
ランドエルスのときも、同じこと思ったな。
とにかく一日の授業、全部そんな感じだった。
三時限目は歴史の講義で、これまたいちいち説明されなくても、普通に教育を受けてたら、常識的に知っているようなことのおさらい。
つーか、受験科目に歴史あったじゃん。学生達、受験時に散々歴史勉強してるじゃん。
入学してからも、まだやらせんの?
お次は、期待を込めて四時限目。
今度は着替えて、体育館に集合した。
体育館はここ一つだけではなくて、複数あるらしい。
無駄に設備が豪華だな。
で、体育館で何をするんだろう、「学校の先生を目指す学生なる者、体力と筋力を鍛えておけ!」と。
延々、走り込みとか腕立て伏せとか腹筋でもさせられるのかな、なんて。
帝国騎士官学校時代の、「体育の授業」を思い出していたら。
これまた、全然そんなことはなかった。
大学指定のダッサいジャージに着替えさせられ、体育館に集められ。
開口一番、体育を受け持つ教授に言われたことは。
「貴様ら走れ!」でも、「動きが鈍い!」でもなく。
「今日はバレーボールをしましょう!」だった。
俺、バレーボールする為に大学入ったんじゃないんだけど。
しかし、不思議なことに異論を唱える者は一人もおらず。
ここで俺が教授に口を挟んだら、俺が悪目立ちすると思い、仕方なく黙っていた。
そして、バレーボールをやらされた。
何が楽しくて。
俺はスポーツは好きだが、チームスポーツは嫌いなんだが?
しかも、チームの中にトロ臭いのがいて、そいつのせいで負けたしさ。
これだから、チームスポーツは嫌いだよ。
下手くそな奴が混ざってると、そいつが足を引っ張る。
…それで?
今のところ、全然教育学部っぽい講義、受けてないんだけど。
俺、何しにここに入学してきたんだっけ?
午前中の授業が終わったとき、俺はそう思った。
「ふー、やっと終わったな」
バレーボールを終えて、体育館から帰りながら、エリアスが話しかけてきて。
そして、ようやく思い出した。
そうだ。俺学校の先生になりに来たんじゃないんだった。
スパイしに来たんだった。
危ねー。危うく忘れるところだったよ。
「昼、どうする?弁当?」
「あ、いえ」
大学の敷地内で営業されている、コンビニかパン屋で買おうかなと。
すると、エリアスがこう提案してきた。
「だったら、一緒に学食行こうぜ」
学食。
成程、そういうものがあるのか。
大学の定番だな。
帝国騎士官学校時代も、学校側が提供してくれる食事を食べていたけれど。
あれは学食と言うより給食で、それ以外に食事出来る場所も、選択肢もなかった。
全寮制の挙げ句、休日でさえ許可なく外出は禁じられていたからな。
食事制限による体格作りも、あの学校の目的の一つだったから、仕方ないと言えば仕方ないが。
その点、大学は良い。
家から弁当を持ってきても良いし、構内にあるコンビニやパン屋で買っても良いし。
エリアスが言ったように、学食に言っても良いし。
何なら大学の外に出て、近所にある喫茶店やファミレスに入って、ランチをしてきても良い。
昼食の選択肢が実にフリーダムで、そこは良いところだと思う。
それに。
同じサークルで、同じ学部の仲間同士。
食事によって親交を深められるなら、悪くない。
更に、エリアスは。
「他にも何人か誘ったんだよ。良いだろ?」
「えぇ、良いですよ」
どうやら彼は、身近にいる人間なら、大抵誰でも声をかけるタイプらしいな。
友達作るのが上手いタイプ。
そんなエリアスを、最初に友人に出来たのは、スパイとしては上々。
エリアスを通して、横の繋がりが広がる訳だからな。
ましてや、食事時に、テーブルにつく人間が増えれば増えるほど。
少しでも、多くの情報を耳にすることが出来る。
これは僥倖。
やっぱり、俺の普段の行いかな。
内心ほくそ笑みながら、俺はエリアスとその仲間達についていった。
彼らも同じ学部の人間で、お互いに自己紹介をした。
いちいち名前を覚えるのが面倒臭いので、まぁ仮名としてABCとでも言っておこう。
本日一緒に昼食を摂るメンバーは、ABC三人と、俺とエリアス、この五人。
最初の情報収集としては、充分の出来。
そして。
いざ、辿り着いた学食では。
「おぉ…広いなぁ」
まず最初に、Aが感嘆の声をあげた。
俺も、同じ感想を抱いた。
どうしても俺は、比較対象が帝国騎士官学校のそれになってしまうのだが。
あの腐れ学校の食堂の、軽く三倍は広い建物だった。
しかも。
そんな広くて、たくさんのテーブルと椅子が所狭しと並べられているのに。
その中のほとんどのテーブルは、既に学生達で埋まっていた。
凄いな。大繁盛じゃん。
まぁ、この大学の規模を考えれば、驚くほどのことではないのかもしれないが。
「俺とルナニアで食券買ってくるよ。お前ら、空いてる席確保しておいてくれるか」
「了解」
エリアスがそう言い、ABCも賛同して、空いている席を探しに行った。
こんなに広かったら、お互いはぐれると迷子になりそうだが。
大丈夫なんだろうか。
それにしても。
「食券システムなんですね」
言うまでもなく、帝国騎士官学校では、食事のメニューに選択肢などなかった。
さすがに大学の学食はもう少しメニュー豊富で、多分三種類くらいはあるんだろうと思っていたが。
セットA、セットB、セットCみたいに。
カウンターでどのセットにするか、口頭で伝えるだけで良いのかと思ったら。
食券制度なんだ。
まぁ、これだけ人が多かったら、いちいちカウンターで金銭のやり取りしてる暇はないか。
「そ。ルナニア何にする?」
「何があるんですか?」
本日の日替わりランチとか?
「色々あるよ。唐揚げ定食、ハンバーグ定食、焼き鮭定食、ミックスフライ定食…」
え、そんなにあるの?
「あとは、うどんやラーメンなんかの麺類と…丼モノも種類多かったな。カツ丼親子丼天丼…」
「そんなに種類があるんですか?」
凄いな。
たかが学生共に、そんなに豊富なメニュー選ばせるとは。贅沢な。
「そりゃあ、ルティス帝国総合大学ともなれば、そこらの高校の学食とは訳が違うよ」
「…へぇ…」
「俺の高校の学食なんて、メニュー三種類しかなかったんだぜ?日替わりランチと、うどんと、カレー。これだけ。毎日三択しかなかったから、本当辛かったよ」
高校に学食があった時点で、選択肢少なくて辛い、なんて言葉を使うことが許せないのだが?
学食あるだけ幸せじゃないか。
俺なんて、食べたくても食べたくなくても、毎日決められた食事しか与えられなかったぞ。
まぁ、ルルシーに会うまでは、食欲なくてほとんど残してたけど。
「ルナニアの高校はどうだった?」
「…そもそも学生食堂がありませんでしたよ」
「えっ」
…そんなに驚かれることなの?
こればかりは、地域差があるとしか言えないが。
少なくとも、天下の帝国騎士官学校には、そんなものなかったよ。
そんな自由は。
「じゃ、毎日弁当?」
「まぁ…そんな感じです」
弁当でもないけどね。全寮制だから。
「そりゃ、つまんなかっただろうなぁ。せめて大学の学食で、好きな物食べろよ」
「そうしますよ…」
何と言うか。
格差社会を感じるね。
…それにしても。
「詳しいですね、エリアス」
「何が?」
「今日初日なのに、学食のメニューを把握してるなんて…」
余程学食が楽しみだったのか?そんなことはないと思うが。
「いや、オープンキャンパスで来たとき、学食使わせてもらったことがあるんだよ。オープンキャンパスに来た生徒だけ、特別に使わせてもらえてさ」
成程、そんな制度が。
それは知らなかった。
「ルナニアは、ここのオープンキャンパス来なかったのか?」
「…」
…不味い。
さすがに、オープンキャンパスのことまで聞かれるとは思ってなかった。
とはいえ、対処法はある。
「まさか受かると思ってなかったんで。記念受験感覚のつもりで受けたら、受かっちゃって」
「へ?」
「いやぁ…。世の中分かんないものですね」
良いことを教えてあげようか。
問い詰められて、窮地に陥ったときは。
大抵の場合、笑って誤魔化すことで解決出来る。
解決出来ないこともある。
しかし、今回は。
「ははっ!何だそれ!凄いなルナニア!強運だ!」
それが、上手い方に転がったようだ。
な?これで分かったろ?
笑って誤魔化すってのも手だぞ。
笑顔は世界を救う。
「でしょう?合格通知受け取ったときは、度肝抜かしましたよ…」
「だろうな〜」
むしろ、あの簡単な入試試験で、不合格通知が届いた方が度肝抜かしてただろうけどね。
などと、話していたら。
ようやく、俺達が食券を買う番になった。
「さて、ルナニアどれにする?」
俺は別に、何でも良いけど。
ルルシーやルリシヤ、ルーチェス、シュノさんの手料理以外は、どれも大概似たような味だよ。
ただし、病院食は別。
あれは不味かったよ。
あと、帝国騎士官学校時代、ルルシーが来る前に食べていたもの。
あれは、砂噛んでるみたいで味しなかった。
「じゃあ、日替わりランチで…」
「オッケー。…あ、あいつら三人の希望聞くの忘れてた」
思い出したのは今かよ。
席取りしている三人の希望、聞いてないけどどうするんだろうって思ってたら。
何も考えてなかったのか。
「じゃ、適当に選ぼ。三人共カレーうどんで良いや」
白い服着てたら惨劇が起こる奴だ。
俺が食べる訳じゃないし。しーらね。
ちなみにエリアスは、トンカツ定食を頼んでいた。
後でカレーうどん三人組に激怒されても、俺は知らないからな。
幸い。
席取りしてくれていたABCは、すぐに見つかった。
彼らの前にカレーうどんを運ぶと、三人共大激怒…ではなく。
「おいー!何でカレーうどんだよ!」
「適当かよ!」
「しかも、怒るに怒れない無難なメニューに落ち着いてんじゃねぇw」
と、三人共笑って済ませてくれた。
凄いね、君達。
俺だったら、こんな奴に勝手にメニュー決められたら、カレーうどん顔面にぶちまけてやるけど。
食べ物大切にしなくて悪かったですね。
でも、勝手に決めるのか悪いし。
そもそも俺は、そうなる前に自分の希望を伝えておくから。
それはともかく。
冒頭ちょっと草を生やしながらも、五人で楽しい(?)ランチタイムが始まった。
最初に口を開いたのは、相変わらずお喋りのエリアス。
「皆、午前の講義どうだった?なんつーか…めっちゃ本格的だったよな」
「分かる」
「外国語の講義とか、高校のときと違い過ぎてびびったよ」
「難しかったよな」
味噌汁噴き出すかと思った。
あの小学校低学年レベルの講義が、難しかった?
お前ら、本当にエリート大学の学生か?
つーか、この味噌汁まっず。インスタントだろこれ。
味濃過ぎだし、煮崩れて具材がドロドロ。
ゲロ食ってるみたいな味する。
しかも、今日の日替わりランチのメイン、野菜炒め。
ベチャベチャだし、こちらも味が濃くて、野菜炒めの癖に、やたらと野菜に対して肉比率が高い。
その肉も、硬くてゴムみたいだし。
学生は肉多めにぶち込んでおけば、喜んで食うだろうって?
そんな訳ないだろうが。調子乗るなよ。
まぁ、あの安い値段でこのクオリティなら、納得なのかもしれない。
学食の、糞不味い日替わりランチを食べながら。
俺は、適当に相槌を打ちながら、自分を除く四人の話を聞いていた。
四人共、これから本格的に始まる、大学生活への希望と期待を語っていた。
そして、早速課された大学生活初めての課題についても。
実は、座学の講義は三つ共、講義終わりに課題を出された。
次の講義の予習と、一限の論文作成の講義では、実際にテーマを一つ出され、短い小論文を書くよう指示されていた。
あの程度、15分ほどもあれば終わるから、どうということもないと思っていたのだが?
君ら、ちょっと温室育ち過ぎない?
そう思うと、若干俺の中で、苛立ちが芽生えてきたので。
仕方なく、自分から話題を変えることにした。
大体。
俺は、こんな下らない学生達の講義への愚痴を聞く為に、わざわざ愛するルルシーから離れて、ここまで来た訳じゃない。
「ところで、三人は、もうサークルには入ったんですか?」
ABC三人に向けて、俺はそう尋ねた。