「…何だ、これ」
「痛バッグだ」
ドヤ、みたいな顔で言うな。
俺はさっき、キモいと言ったが。
あれは、別にこのバッグがキモいと言った訳じゃない。
このバッグを作成している、オルタンスがキモい。
「何だそれは」
「これだ」
見たら分かるわ。
「痛バッグを知らないのか、アドルファス…。時代に置いていかれてるな」
殴るぞ。
「痛バッグとは、自分の推しのキャラクターや人物への愛とリスペクトを、周囲に示す為の…謂わば、自分はこの人物が好きで好きで堪らないのだ、という意思表明なんだ」
「…ふーん…」
今のところ、今年一番どうでも良い知識だったな。
何なら、一生知らなくても充分生きていけそうだったよ。
「そして俺の推しは、俄然『frontier』のルトリアだ」
それは見たら分かる。
その缶バッチも、ストラップも、全部。
オルタンスが贔屓にしている、『frontier』とかいう五人組アーティストのボーカルの男だから。
ちょっとルレイアに似てる、という理由でハマり。
ポスターを部屋に貼ったり(今も貼ってる)、CDを買い集めたり、ライブに参加したり、グッズを収集していることは知っていたが。
とうとう、こんな末恐ろしいものを作成するまでに至ったか。
このルトリアという人物も、まさか天下の帝国騎士団長が、自分にハマって、まさか痛バッグなるものまで作成されているとは、思ってないだろうな。
大体こいつ、男だし。
ファンは、圧倒的に女性の方が多いらしい。当たり前だが。
「丁度完成したところなんだ。よく見てくれ」
そんな、ほれぼれと言われても。
悪いが、俺は別に、ルトリアとかいうボーカルに、大して興味もない。
そんなことより。
「オルタンス、仕事だ。『青薔薇連合会』から電話が、」
「推ししか勝たん!」
「アホなこと言ってないで仕事だ!『青薔薇連合会』から電話が来てるから、さっさと出ろ!」
俺はオルタンスに、スマートフォンを押し付けた。
『…そろそろ喋っても良い?』
スマートフォンの向こうから、冷たい次期首領幹部の声が聞こえた。
相手はマフィアだが、何だかもう、菓子折り持ってお詫びに行きたい気分。
『ごめんね。何やら楽しそうにお喋りしてるときに。悪いけど、こっちはそんなに呑気なことはしていられなくてね』
めちゃくちゃ嫌味言われてるし。
俺が悪いんじゃないぞ。
しかし、オルタンスの奴は、めちゃくちゃ嫌味を言われているにも関わらず。
「何か進展があったか?そろそろ最終段階だと思ってたが」
何事もなかったかのように、仕事の話を始めた。
こいつ…出来る。
『その最終段階についての話だよ』
「いつだ?」
『明日だ』
!
そろそろだとは思っていたが…まさか、そんな急に。
「分かった」
いやオルタンス、分かったじゃねぇだろ。
俺達だって、部隊を動かす用意ってものがある。
勝手に了承して良いのか?
いや、決定権はオルタンスにあるんだから、オルタンスが決めるのは結構なんだが。
それにしたって、いきなり明日とは。
「今日、今からです」と言われなかっただけ、猶予を与えてもらったと思うべきか?
「計画に変更は?」
『ないよ。そのままだ。『青薔薇連合会』が主導する。帝国騎士団は、予定通り道化を演じてくれれば良い』
…そうかい。
結局、お前が立てた計画通りって訳だな。アイズレンシア・ルーレヴァンツァ。
つくづく、敵に回したくない男だ。
元々敵なんだが。
『それと、一つ確認しておきたいことがあるんだけど』
「何だ?」
『ヒイラ・ディートハットの処分について』
…ヒイラ・ディートハットの処分。
…「処分」なんて言葉を使ってる時点で、『青薔薇連合会』はやる気満々のようだが…。
「こちらとしては、生け捕りにしたいところだな。ルチカ・ブランシェット同様、ルティス帝国の法律のもとに裁く」
『私は賛成しないね。彼は始末するべきだ』
そう言うだろうと思っていた。
『青薔薇連合会』なら。
別に、マフィアだからって人殺しに固執している訳ではない。
『あの男は、ルチカ・ブランシェットとは違う。ヒイラ・ディートハットには野望がある。彼には、明確に国家に反逆しようという強い意志がある』
その通りだ。
『天の光教』のルチカ・ブランシェットの目的は、革命ではなかった。
彼女が望んだのは、自分の信じる『天の光教』を広めたかっただけ。
その結果国政が変わるなら良し、それこそ神の御心のままに、という主義だった。
それに、何より…。
『そしてヒイラ・ディートハットは、シェルドニア王国の秘密を…『白亜の塔』の情報を知っている』
…そう。その点だ。
さすが、よく分かっていらっしゃる。
『あの研究に手を出している。あれは危険だ。私達以外で『白亜の塔』の存在を知る者を、決してルティス帝国に残してはいけない』
…実に、マフィア的な考えだ。
少しでも不穏分子になり得る人物がいたら、すぐさま切り捨てる。
その火種が、大きな火事になる前に。
そもそも、ヒイラ・ディートハットを逮捕し、裁判にかけたところで、それほど大きな罪にはならないのだ。
勿論、武器を所有していたという事実、党員を監視したり、拷問にかけたりしていた点は、法律に引っ掛かる。
国家反逆罪で問い詰めることも、出来ない訳ではないが。
しかし、決定的なことはしていない。
ルチカのように、自分を信じる信者ごと自爆しようとした訳でもなし。
彼のしたことは、あくまで政治活動の一環。
『帝国の光』を作ったことも、その為に金を巻き上げたことも…悪質ではあるが、罪としては、それほど重いものではない。
それに、ヒイラを裁くに当たって、俺達は『白亜の塔』に関する情報を、一切明らかにしてはいけないのだ。
『白亜の塔』に関しては、ヒイラを裁くことは出来ない。
本来『白亜の塔』などという代物は、ルティス帝国には存在しないからだ。
存在しないはずのものを、違法に作ったからといって、それを裁くことは不可能。
『白亜の塔』の存在を、世間に晒す訳にはいかない。
となると、諸々重箱の隅をつついて、叩けるところを徹底的に叩いたとしても…。
総合的に見ると、ヒイラの罪は、そんなに重くない。
精々、長くても数十年、牢屋に入っていれば良い。
それに、ヒイラには仲間がいる。
既に、熱が冷めた『帝国の光』の提携組織は、かなり弱体化しているものの。
各地には、まだヒイラにお熱の、狂信的な共産主義者がいる。
大体、共産主義者自体は、元々ルティス帝国に一定数存在していた。
地方で、細々と活動していたから、あまり表に出てくることがなかっただけで。
しかし、ヒイラという熱狂的な指導者のお陰で、今まで抑えることが出来ていた連中の熱に、火がついた。
例え檻の中にいようと、ヒイラがこの世に存在している限り。
彼らはヒイラを指導者と称えるだろうし、ヒイラを即時解放するよう、訴え続けるだろう。
そうなれば、どうしてもヒイラの刑期は短くなってしまう。
そして、ヒイラが無事刑期を終えて、出所したらどうなるか。
もう、火を見るより明らかだな。
『帝国の光』、再活動だ。
いくら帝国騎士団が見張っていても、彼らは水面下で活動を再開し。
帝国騎士団や、『青薔薇連合会』に対する復讐とばかりに、今度はもっと過激な組織になる。
ヒイラは勿論、『白亜の塔』の存在も知っている訳だから。
今度は万全な準備をして、今度こそルティス帝国に革命を引き起こす。
ルティス帝国を、シェルドニア王国と同じ、洗脳国家にするつもりだ。
そして自分は、その洗脳国家の頂点に立つ。
ヒイラが、檻の中でこの考えを改め、改心してくれれば良いのだが。
…まぁ、そんな楽観的思想は、持たない方が賢明だな。
『ヒイラ・ディートハットは殺すべきだ。生かしておいても、脅威にしかならない』
「…」
アイズレンシア・ルーレヴァンツァは、きっぱりとそう言った。
…ルティス帝国の法律で、奴を監視下に置くことは出来ない。
『ヒイラを野放しにしておけば、今度は未遂では済まない。今度こそ、『光の灯台』を…『白亜の塔』の再現物を造る。彼には、その野心がある』
「…」
『ルチカ・ブランシェットとは比べ物にならないほどの脅威だ。ヒイラを解放した途端、気がついたときには、全ルティス帝国民が、洗脳下に置かれていてもおかしくない』
…その通りだ。
言い返す言葉もない。
『それでも帝国騎士団は、ヒイラを法のもとに裁くことをご所望で?』
「…ずっと思ってたんだが」
黙ってアイズレンシアの言葉を聞いていたオルタンスが、ようやく口を開いた。
『何か?』
「お前、本当はもう、どうするのか決めてるんだろう?」
…!
そんな、さらっと。
近所のスーパーに、お使い頼むみたいなノリで。
「言わせたいのか?俺に」
『それはもう。後で、「この殺人犯」と言われて、『青薔薇連合会』を殺人罪に問う口実にされては、堪らないからね』
…こ、の…男。
本当に…抜け目のない…。
「心配することはない。好きにやってくれ。『青薔薇連合会』に主導権を渡すと決めたときから、覚悟はしている」
『それでも、命じてもらわないと困るね。好きにすれば、なんて曖昧な言葉で、有耶無耶にされちゃ敵わない』
「分かった」
すぅ、とオルタンスは息を吸った。
そして。
「ヒイラ・ディートハットは『青薔薇連合会』が殺してくれ」
オルタンスは、きっぱりとそう言った。
…これをオルタンスに言わせる為に、奴は。
「上手くシナリオを作ってもらいたい。投降を呼びかけたが、ヒイラがそれを拒否。銃撃戦になり、やむ無く殺してしまった…そんな都合の良いシナリオを所望する」
こんなことを、淡々と言えるオルタンスもオルタンスだ。
さすが、王室の大義の為に、ルレイア…ルシファーを切り捨てただけのことはある。
貫禄が違うな。
まさか、今こいつの目の前に、ルトリアの痛バッグがあるとは、誰も思わないだろう。
『心配ないよ。それはこちらで、既に考えてある』
そして、アイズレンシアの方も抜け目ない。
既に、シナリオは用意済み。
あとは、命令執行書が欲しかっただけ。
『それじゃ、もう用はない。あとは明日になれば、全て終わってるよ』
「分かった。そのように事を進めよう」
オルタンスがそう答えると、アイズレンシアは一方的に通話を切った。
指令書にサインさえもらえれば、それで良いとばかりに。
…全く。
今更だが、とんでもない奴らと手を組んだものだ。俺達は。
それなのに、そんな奴らと手を組むことを決めた、当のオルタンスは。
「…さて、忙しくなるな。まずは、隊長達を招集して、明日についての最終準備を始めよう」
「…」
「…?どうした、何か不都合なことでもあるのか」
いや、不都合なことは何もない。
Xデーが明日と決まった今、迅速に行動する必要があることも分かってる。
しかし、これだけはツッコませて欲しい。
「…お前、その痛バッグ持って、何処に行くつもりだ?」
「え?会議に。折角完成したから、皆にも見てもらおうと思っ、」
「置いていけ」
有無を言わさず、そう言うと。
オルタンスは、渋々痛バッグを机の上に置いた。
何でちょっと残念そうなんだよ、馬鹿。
――――――…一方。
『帝国の光』の『表党』に所属している、僕とシュノさんのもとに。
アイズさんから、Xデーについての連絡が届いた。
「明日…!」
「いやはや、大胆ですね」
あんな大それた計画の決行を、まさか前日に伝えられるとは。
計画の全貌は、以前から伝えられていたとはいえ。
さすが『青薔薇連合会』。考えることもやることも大胆。
好きだ。
「恐れることはありませんよ。準備は、既に出来ています」
「そ、そうね…。いよいよね。頑張らなきゃ」
そう、頑張りましょう。
だって、これが終わったら。
「…すぐ、迎えに上がりますからね」
箱庭帝国で、僕のお姫様が待っているのだから。
―――――――…さて、そろそろ、時は満ちた。
地獄への片道切符、一名様、ご案内です。
――――――…その日俺、ヒイラ・ディートハットは、朝から機嫌が悪かった。
…いや。
ここ最近、ずっと気分が優れないことが続いていた。
その理由は分かっている。
あまりにも、俺の思い通りにならないことが増えているからだ。