状況は、何一つ変わっていない。
精々、シェルドニア王国に一つ、貸しを作ったくらいか。
いつ返してもらうことになるかは分からないが、貸しを作ったという、この事実が大事なのだ。
これで、いざとなったときは、全ての責任をシェルドニア王国に押し付けることが出来る。
ルルシーとアリューシャをシェルドニア王国に行かせたのは、それが理由だ。
そもそも、『白亜の塔』が…『白亜の塔』に関するものが、ルティス帝国にある。
それ自体が大きな問題であり、両国にとって看過出来ない事態。
私は、『帝国の光』が『光の灯台』なるものを造っていると聞いたときから、ずっと疑問だったのだ。
秘密を共有する仲とはいえ、シェルドニア王国にしかないはずの『白亜の塔』の開発資料が、何故ルティス帝国にある?
答えは一つ。誰かが持ち込んだのだ。
ルティス帝国において、『白亜の塔』の秘密を知っているのは、『青薔薇連合会』の幹部と、帝国騎士団の隊長達。あとは華弦という例外も一人いるが。
それから、一応箱庭帝国のルアリスも知っているものの。
人一倍正義感の強いルアリスが、国民を洗脳する機械に、手を伸ばすはずがない。
つまり、ルティス帝国で『白亜の塔』の事実を知っている者はいずれも、『白亜の塔』を嫌悪している人々ばかり。
故に。
ルティス帝国側の人間が、わざわざシェルドニア王国から『白亜の塔』を取り寄せるなんてことは、まず有り得ないと思っていた。
なら、取り寄せたのではなく、持ち込まれたのだと考えるのが妥当だ。
シェルドニア王国で、『白亜の塔』の秘密を知る誰かが、ルティス帝国に『白亜の塔』を持ち込んできたのだ。
その考えに至った時点で、シェルドニア王国が何らかの秘密を握っていることは、予測出来た。
それを確かめさせる為に、ルルシーとアリューシャを派遣した。
まずは、容疑者候補筆頭の、アシミム・ヘールシュミット。
『青薔薇連合会』に…と言うか。
ルレイアに屈辱を味わわされた彼女には、ルティス帝国に復讐する動機があった。
ルティス帝国に手出しはしない、と約束させたものの、そんなものは単なる口約束程度の制約しかないし。
先王ミレドも、『白亜の塔』を用いてルティス帝国に侵略しようとしていた前科がある。
アシミムが先王に習って、ルティス帝国の支配を目論んでも、不思議ではない。
…が。
ルルシーからのメールによると、やはり私の予想通り、アシミムは犯人ではなかったらしい。
まぁ、そうだろうなとは思っていた。
確かにアシミムには、ルティス帝国を攻撃する動機はあるけども。
実際に行動に移すほどの、度胸があるとは思えないからだ。
彼女は、先のミレド暗殺事件において、随分ルレイアにお灸を据えられたらしいから。
少なくとも、ルレイアが『青薔薇連合会』にいる限り、ルティス帝国に手出しすることはないだろう。
ルティス帝国に手出しすれば、何が待っているか、彼女はよく知っている。
だから、アシミムは違うと思っていた。
違うとは思っていたけど、それでも容疑者の一人であることには変わりないし。
一旦アシミムを巻き込んでしまえば、彼女も知らん顔は出来なくなる。
つまり、『青薔薇連合会』に協力し、共に犯人探しに付き合うしかなくなるのだ。
ルルシー達がいくら、「バールレン家の当主に会わせろ」と要求したところで。
異国のマフィアの要求など、バールレン家が鼻で笑うことは、目に見えていた。
だから、先に女王であるアシミムを巻き込んだ。
彼女を巻き込めば、バールレン家も、ルルシー達を撥ね付ける訳にはいかなくなる。
何せ、女王のお客人なのだから、迎え入れない訳にはいかない。
その成果もあって、ルルシー達は、すぐにバールレン家の当主に面会することが出来た。
おまけに、私達が喉から手が出るほど欲しくて堪らなかった、情報を入手することが出来た。
これで、『帝国の光』が所有する『光の灯台』に関する謎が、また一つ紐解けた。
今『帝国の光』にいるのは、比較的賢い兄のテナイ・バールレンではない。
馬鹿で、愚かで、短絡的で、反抗期を拗らせた、弟のサシャ・バールレンだ。
彼には、野心がない。
ただ、ちょっとした反抗心があるだけだ。
小言ばかり言う兄に嫌気が差し、兄を困らせるつもりで、家宝を持ち出した反抗期の家出者。
本人には、大した知識もなければ、ルティス帝国を支配しようという野心もない。
それどころか、自分が何をしているのか、自分が何に加担しているのかさえ、分かっていない。
それが、サシャ・バールレンの正体だ。
自分の国にある大事なものを、ルティス帝国の人間に見せびらかしたい。
そして、称賛を受けたい。
彼の考えていることは、精々それくらいだ。
子供の心理だ。
おまけに、不勉強だったせいで、『白亜の塔』を設計するのに必要な、最低限の開発資料さえ分からなかった。
何故『光の灯台』の開発資料を持ってきたのに、それが断片的なものに過ぎないのか、ずっと不思議だったのだ。
設計図を持ってくるなら、まるごと持って来れば良いのに。
何故、中途半端な部分しか持ってこなかったのか。
何のことはない。
馬鹿なサシャは、自分でも資料の見分けがつかなかったのだ。
それどころか、資料の解読も覚束ないのだ。
だから、自分の屋敷に保管されていた資料の中から、適当に目についたものだけを、スーツケースに突っ込み。
そのまま、勢いに任せてルティス帝国行きの飛行機に乗った。
全ては、愚かなサシャ・バールレンの独断専行に過ぎなかったのだ。
別に、国同士の争いを目論んでいる訳ではない。
おまけに黒幕は、単なる反抗期の自称博士でしかない。
この度のルルシー達の遠征のお陰で、こんなに重要なことが分かったのだ。
安堵し、喜ばずにいられるだろうか?
これで、私達が相手にしなければならないものの正体が分かった。
サシャ・バールレンは、大した脅威ではない。
私達の敵は、『帝国の光』。
ひいては、『帝国の光』のリーダー、ヒイラ・ディートハットだ。
ヒイラは、サシャ・バールレンと違って馬鹿ではない。
ヒイラがサシャと同じく、力に魅了されただけの馬鹿なら、もっと話は早かったのだろうが。
残念ながら、ヒイラはそこまで馬鹿ではない。
馬鹿ではない敵を相手にするのは、いつだって厄介だ。
…しかし。
ヒイラが本当の意味で脅威になり得るのは、『光の灯台』が完成したら、の話だ。
『光の灯台』が完成してしまえば、最早ヒイラを止める者は誰もいなくなる。
本当に、ルティス帝国はシェルドニア王国と同じ、洗脳国家に成り果てる。
『光の灯台』さえなければ、いかに「馬鹿ではない」ヒイラでも、私達の前にはただの血気盛んな青年に過ぎない。
言うなれば、単なる一般人だ。
『光の灯台』という切り札があるから、ヒイラは脅威となり得る。
「馬鹿ではない」彼なら、切り札の使い方を知っている。
『光の灯台』の製造法が、秘密裏に確立され、量産されて、ルティス帝国の各地に散らばったら、どうなるか。
…考えたくもないな。
でも、考えなければならない。
ヒイラ・ディートハットの野望を阻止する為には、最悪の事態も想定しなければならない。
そして、何より幸いなことに。
未だに、『光の灯台』は完成しておらず。
しかも、ヒイラの虎の子である『光の灯台』の開発チームには、頼もしい私の仲間達がいる。
彼らが、開発チームの足を引っ張り、可能な限り開発を遅らせてくれている。
それに、『帝国の光』の『表党』には、ルーチェスとシュノがいる。
二人も、『帝国の光』を瓦解させる為に、手を尽くしてくれている。
「…大丈夫。私達なら」
自分に言い聞かせるのではなく、確信を持って、私はそう言った。
もう、自信を失うようなことはない。
仲間を、家族を信じるように、自分を信じれば良い。
彼らなら、上手くやってくれる。
そして、全てが私の思惑通りに事が収束した後。
ヒイラ・ディートハットは、知ることになるだろう。
自分が、いかに無謀な戦いを挑もうとしていたか、その愚かさに。
――――――…さて、こちらは『帝国の光』。
『光の灯台』開発チーム所属のルナニア・ファーシュバルこと、
ルレイア・ティシェリーの一日が、今日もスタートした。
「あぁ、今日も良い朝ですねー」
と、俺は棒読みで言いながら、固いマットレスの上に起き上がった。
良い朝なんて、最近全然迎えられてないよ。
何せ、こんな狭くて息苦しくて、四六時中監視されまくってて。
エサにする女も連れ込めない上に、大好きなルルシーにも当分会ってない。
俺はもう飢餓状態だよ、飢餓状態。
そろそろ禁断症状が出て、そこら辺に歩いてる人、全員がルルシーに見えるという幻覚が起きそう。
今だって、寝起きに、そこの壁のシミが「あれ?もしかしてルルシー?」とか一瞬思っちゃったし。
ヤバいよこれもう。精神科案件ですよ。
さて、それはともかく。
「…そろそろ、ルルシー達が帰国してる頃じゃないですか?何か進展あったら教えて下さい」
俺は、盗聴器に向かってそう呟いた。
例によって、この盗聴器は真っ直ぐルリシヤに伝わっているので。
『青薔薇連合会』の方で何か進展があれば、比較的自由の利くルリシヤが、メモにして返事をくれることだろう。
で、俺はと言うと。
『光の灯台』開発チームに入ったものの、未だに四六時中、監視監視監視で、ちっとも安らげない。
何ならここの住人、俺が昨日食べた夕食の内容まで把握しているのでは?
絶対そうだよ。全く気持ち悪い。
さっさとこんな気持ち悪い場所からは、おさらばしたいものだ。
などと思いながら、身支度をして部屋を出る。
少なくとも、外に監視カメラはつけられないという点で。
家の中にいるより、外にいる方がよっぽど気持ち的に楽だよな。
とは言っても、このアパートの敷地内は、まだまだ油断ならないが。
今頃、外出している俺の姿を、住人の誰かが窓からじっと眺めていることだろう。
見んな。
俺は、さり気なく郵便受けを確認する振りをして、中にあった小さな紙片をそっと手のひらの中に握り締めた。
早速、ルリシヤからのお返事が来ている。
さすが、仕事の早い御方だ。
しかしメモの返事を見るのは、この敷地内を出てからでないと。
アパートの敷地内から出て、俺は手のひらの中のメモを見た。
『無事帰国したそうだ。全てアイズ先輩の計画通り(^_-)-☆』
だ、そうである。
素晴らしい。
俺がルルシーとランデブー出来る日は近いな。
短いメモだが、俺のやるべきことも記されている。
アイズ先輩の計画通り、というこの一文。
つまり、俺はこのまま、アイズの立てた計画通りに行動すれば良いという訳だ。
計画に変更はなし。
それじゃ、今日も頑張って、『光の灯台』(笑)を造りますかねー。
と、思っていると。
「おーい!ルナニア」
「ん?」
『帝国の光』本部へと「出勤」する俺の後ろから、俺を呼び止める声が聞こえた。
振り返ると、エリアスが走ってきていた。
あぁ、そういやお前、今俺と同じ監視付きアパートに住んでるんだっけ。
俺の監視が解かれてないってことは、こいつの監視もまだ解かれていないのだろうが…。
この呑気な表情を見たところ、エリアスは自分がアパートの中で監視されていることに、まだ気づいていないのだろうな。
頭の中お花畑で、羨ましい限りだよ。
と、皮肉の一つでも言いたくなったが。
しかし、俺は現在ルナニア・ファーシュバルなので。
本音を口にする訳にもいかない。
あくまでも、にこやかに対応しなければ。
「おはようございます、エリアス…。じゃなくて、同志エリアス」
「あぁ、良いよ良いよ。『帝国の光』の中ではともかく、普段のときは普通に呼び合おう。俺達は同志である前に、友達なんだから」
友達(笑)。
まぁ、思い込むのは勝手だよな。
「じゃあ、エリアスと呼ばせてください」
「うん、そうしてくれ。俺もルナニアって呼ぶから」
好きにしてくれ。
いずれにしても、偽名なんだからさ。
「ルナニアも、これから『帝国の光』の本部に行くんだろ?」
「そうですよ。エリアスもですか?」
「あぁ。俺もそうなんだ」
そうですか。
「全く、夢みたいだよなぁ」
…?
お前の頭の中が?
「こうして、あの『帝国の光』の一員になれて…しかも、同志ヒイラに信用された、『裏党』の党員になれて」
はぁ。
そんな、目をキラキラさせて言うことか?
「『帝国の光』専用の社宅にまで住まわせてもらえるなんて。こんな名誉、他にないよな」
…。
…ルティス帝国総合大学の学生、っていう肩書の方が、世間的には遥かに立派だと思うけど。
お前とは価値観が合わないな。最初からだけど。
あんな監視付きボロアパートに住まわされて、あれが名誉だって。
「確かに、誇らしいですよね。『裏党』の党員だって、社宅に住まわせてもらえる党員は、ごく少数だそうですし」
「そうだよ。本当に名誉なことだよなぁ」
「…でも、エリアス。ちょっと気になることがあるんですけど」
別に、他意がある訳ではない。
単なる鎌掛けだ。
「気になること?」
「えぇ。何だかあの部屋って…誰かに見られてる気がしません?」
「えっ」
俺が声をひそめて言うと、エリアスは驚いたような顔をした。
「常に何処からか視線を感じると言うか…。特に水場とか…」
別に、水場だけ監視が強い訳じゃない。
ただ、エリアスをビビらせてやろうと思っただけだ。
水場って言うと…アレだろう?
そういうモノが出てくる定番だろ?
「な、何だよ…。まさか事故物件だって言うのか?確かに古い建物だけど…」
「いや、そこまでは言ってませんが…。なんか気持ち悪いときがあって…」
「や、やめろよ…。きっと気のせいだって」
「…そうだと良いんですけど…」
若干、ビビった様子のエリアス。
ふっ、ざまぁ。
お前、『帝国の光』なんていう、怪しげなオカルト集団に入り浸ってる癖に。
幽霊にはビビるのかよ。
『帝国の光』の方が、俺にとってはよっぽど恐ろしいが。
「そ、それよりさ」
エリアスが、強引に話題を変えてきた。
『帝国の光』の『裏党』党員ともあろう者が、幽霊にビビるな。
死神でさえ恐れをなして逃げていく、俺を見習え。
「ルナニアは、『帝国の光』で何やってるんだ?あんまり姿を見掛けないけど」
「…あぁ…」
そうですね。
俺、基本的にずっと地下にいるから、上にいるエリアス達と顔を合わせる機会がない。
でも、まさか「武器庫の奥にある秘密の研究室で、『光の灯台』っていうチートアイテム造ってるんだよねー(笑)」とも言えず。
そんなこと言ったら、ヒイラ大激怒だろうなぁ。
それはそれで面白そうだが、今はまだそのときではない。
ので。