…とにかく。
箱庭帝国は、発展したものの。
その代わりに、俺個人が、物凄く弱体化していることが判明した。
…由々しき事態である。
いや、国が発展したのは大変良いことだし、その代償が俺個人の弱体化なら、そのくらい喜んで払うのだが。
…とはいえ。
「軟弱ですねぇ。僕なんか、王位継承権自分から放り出したのに。箱庭帝国の主が、異国の没落王子より弱いとは。泣ける話じゃないですか。ねぇ?」
「う、ぐ…ぬぬ…」
「ふふふ。泣いて頼んでも良いんですよ?『お願いします俺に稽古をつけてください、何でもしますから』と這いつくばっても良いんですよ?」
「わー…。ルーチェス君ドSだぁ…」
ルーチェス殿の奥さん、止めてくれれば良いのに。
ドSな旦那さんを、むしろキラキラした目で見てる。
何、この夫婦。
「あ、そうだ。ルレイア師匠がこうも言ってましたね」
え?
「『もしルアリスが、嫁子供も守れないくらい弱くなってたら、ルアリスの嫁、セトナさんとかいう人、寝取っちゃっても良いですよ』って」
「!?」
俺は、凄まじい勢いで顔を上げた。
い、今何て?
「ふむ、王子だった頃にちらっと拝見しましたが、あなたの嫁、セカイさんの足元に及ぶくらいには美人でしたし。まぁ軽く摘み食いするくらいは、アリですかね」
「…!!」
ルーチェス殿の、この鬼のような発言にも驚愕したが。
それ以上に驚いたのが。
「おっ!ルーチェス君、リアルNTRって奴だね!」
何故かルーチェス殿の嫁が、全然夫を止めなかったことである。
この夫あって、この妻あり。
そして、それを更に上回って驚愕したのが、
「それとルレイア師匠、こうも言ってましたよ」
「な、何を…」
「『セトナさん寝取ったついでに、将来のルアリスの娘の初夜権も、ルーチェスにあげますよ〜』とのことです。いやぁ僕の師匠は太っ腹だなぁ」
「…!!」
「おぉっ!ルーチェス君、君実はロリコンか!?ロリもアリなのか!さすが〜」
「…!?」
誰か。
誰かここに、常識のある人はいないか。
夫の目の前で、人様の妻の寝取りを宣言。
しかも、その娘の将来の貞操までも奪うと宣言する暴君。
それなのに、その暴君の妻は、そんな夫を止めるどころか、むしろ称賛している。
この非常識感…。そして悪魔のような発言。
あなたは…あなたは、間違いなく、ルレイア殿の弟子で。
そして、俺にとって…脅威の対象に成り果てた。
「さぁて、この弱虫君は放っといて、早速寝取りに行きましょうかね〜」
近所にお使い行ってきます、のノリで。
とんでもないことをしようとしている、ルーチェス殿の足に。
俺は、必死にしがみついた。
決して、彼を行かせてはならない。
俺の、人間としての…男の、プライドに懸けて。
故に、言うべきことは一つだけ。
「…お願いします」
最早、これ以外の選択肢などない。
「俺に稽古をつけてください…何でもしますから」
恥も外聞もない。
一国の代表とか、そんなのは今はどうでも良い。
ただ、家族を守りたかった。
死神の手先、その魔の手から。
そして。
半泣きでしがみつく俺に、死神の使いは。
「…ふふ。そう来なくては」
彼の師匠によく似た、不敵の笑みで呟いた。
「…うわー、ルーチェス君たらドS〜」
…ルーチェス殿の奥さん。
あなたの夫。止めてくれても、良かったんですよ?
―――――――…その頃、ルティス帝国では。
「…にゅふふ」
「!?」
俺が、ちょっと笑っただけなのに。
同居人のルーシッドが、激しく動揺していた。
「…何ですか」
「え、あ、いえ…」
「失礼じゃないですか。俺がちょっと微笑んだだけで、そんな怪物でも見るかのような目をして」
「あ、あれが『ちょっと微笑んだだけ』…?」
は?
「…何か?」
「い…いえ、何でも…。ちょっとあの…フェロモンが強烈だったもので…」
何かボソボソ言ってるが、何て言ってるのか聞こえない。
きっと褒め言葉だろう。
俺と来たら、褒める要素しかないからな。
で、今何で微笑んだのかって?
そりゃ決まってる。
異国で、俺の可愛い弟子と、可愛い元弟子が、「仲良くお稽古」しているような気がしたからだ。
いやぁ、仲が良いって素晴らしい。
友情は良いものだ。
恋愛は、もっと良いものだ。
命短し恋せよ男子。
で、それはそれで良いとして。
「ぼやぼやされてちゃ困りますよ。今日が何の日か、ちゃんと分かってるんでしょうね?」
「…!は、はい…それは、もう」
今日は土曜日。大学の講義はお休みだ。
しかし、俺とルーシッドは、出掛ける予定が入っている。
何を隠そう、サークル活動の一環だ。
「じゃ、俺先に出るんで」
「はい。俺も後から行きます」
俺は、ルーシッドを残して先にマンションを出た。
同時に家を出たりして、俺がルーシッドと一緒にいるところを、誰かに見られたりしたら。
俺の完璧な演技が、台無しになってしまうからな。
今や、『ルティス帝国を考える会』の敵と成り果てたルーシッドと、一緒にいるところを見られるのは不味い。
あくまでルーシッドは、『ルティス帝国を考える会』の嫌われ者、鼻つまみ者でなければならないのだ。
ざまぁ。
今となっては、ルーシッドは公然とした、『ルティス帝国を考える会』の嫌われ者。
今でも、ルーシッドは負けじとサークル活動に参加し。
積極的に、発言も続けているが。
今となっては、ルーシッドが何を言おうとも。
「あーはいはいお前の意見は別にどうでも良いから」と、軽く流されている。
相手にすらされていない。
一部のサークルメンバーからは、完全に存在をスルーされている始末。
ざまぁ。
で、それは良いとして。
ルーシッドがいくら嫌われようが構わないが、それより今日のイベント。
俺が、これから向かう場所は。
「あ、来た来た。おーい!ルナニア」
待ち合わせ場所になっている駅に辿り着くと。
エリアスと愉快なABCの仲間達が、俺に手を振った。
「おはよう、ルナニア」
「おはよー」
「おはようございます」
俺は、にっこりと「業務用」の笑顔を浮かべた。
エリアスも、愉快な三人の仲間達も、全く疑うことなく俺に挨拶してきた。
見てみろ。俺と、このルーシッドの差。
いやぁ人気者は困りますねぇ。
「皆さん早いですね。もうほとんど揃ってるじゃないですか」
「だよな。俺達が来たときも、上級生の人達はほとんど集まってたよ」
と、モブB。
ふーん、上級生ねぇ。
『ルティス帝国を考える会』会長、エリミア・フランクッシュは、改札付近に屯して、側近のメンバー達と何やら喋っていた。
改札付近で立ち止まるな。
すると。
「…おはようございます」
遅れ馳せながら、俺の後に出てきたルーシッドが、駅に到着した。
あぁ、お前いたんだっけ。
「…」
「…」
折角ルーシッドが挨拶したのに、彼に挨拶を返す者は、誰一人いなかった。
ほとんどの者は、ルーシッドをチラリと一瞥しただけ。
あとの者は、まるでルーシッドの声が聞こえなかったかのように、友達とお喋りを続けたり、スマートフォンを弄ったり。
誰一人、ルーシッドを顧みる者はいなかった。
俺も、エリアス達も。
…ざまぁ。
それどころか。
「…あいつ、どの面下げて来てんだろうな」
Aが、声を潜めるようにして、ボソッと言った。
Aの言う「あいつ」とは、言わずもがな、ルーシッドのことである。
「だよな。いつも反対意見ばっか口にしてる癖に」
「ちょっとは遠慮しろって感じ。何で来てんの?」
挨拶を返されるどころか、陰口叩かれてる始末。
ざまぁが止まりません。
そして、俺も今は「こちら側」なので。
「ですよね。しかも今日は、彼がいつも批判してる、共産主義団体の講演会なのに…」
「また、後で批判する為に聞きに来たんだろ。本当性根悪いよな」
そう。
今日、土曜日であるというのに、『ルティス帝国を考える会』のメンバー達が集まったのは。
ルティス帝国にある、とある共産主義団体が主催する講演会に、サークルメンバー全員で参加する為である。
全員とは言っても、強制ではないので、他に外せない用事のある者は、来ていないが。
俺が見る限り、『ルティス帝国を考える会』のほぼ全てのメンバーが参加しているようだ。
そして、漏れなくルーシッドもその一人。
いくら嫌われ者でも、一応『ルティス帝国を考える会』の一員であることに、変わりはないからな。
ひそひそ陰口叩かれながらも、参加する権利はある。
まぁ、確かにあれだけ反対意見ばっかり口にしておきながら。
講演会には参加するのかよ、と思われるのは当然だが。
それは嫌われ者ルーシッドの役割だから、ちゃんとこなしてもらわないとな。
ざまぁのバーゲンセール。
…そして。
「…皆!おはよう。全員揃ったみたいだし、出発しましょう」
側近達と何やら話していたエリミア会長が、パンと手を叩いて俺達に言った。
さぁ、これからいざ、電車に揺られて講演会場に出発である。
電車の車内でも、ルーシッドのボッチ状態は変わらず。
俺は、エリアスと愉快なアルファベット三人組と、絶えず他愛ないお喋りをしていたが。
ルーシッドだけは、一人ぽつねんと立っているだけ。
誰も彼に話しかけないし、ルーシッドも誰にも話しかけない。
あぁ、俺の優しく慈悲深い良心が痛む。
…本当だぞ?
俺はああいう、集団無視みたいな子供じみた行為は嫌いなのだ。
だから、道中は敢えて、ルーシッドの方を見ないようにして。
いざ、講演会場に到着。
「会費は私が代表して払ってくるので、皆さんは受付でチケットとパンフレットを受け取って、会場に入ってください」
エリミア会長が言い、俺達はその指示に従って、ぞろぞろと会場に入っていった。
受付でチケットとパンフレット…ねぇ。
そして、俺はそこで。
多分そうなるだろうな、と思っていた事態に遭遇した。
「こちら、講演パンフレットになります。どうぞ」
「…どうも」
俺に、チケットの半券とパンフレットを差し出した、受付に立っている人物。
見慣れた黒い仮面。
俺達は、受付のカウンター越しに、一瞬だけ、お互いの目を見つめた。
どれほど、声に出して言いたかっただろう。
きっと彼も、俺と同じことを言いたかったに違いない。
…お久し振りですね、ルリシヤ。
家族であっても。どれほど親しい仲であっても。
勿論、言葉を交わす訳にはいかなかった。
俺の前にはエリアスがいて、後ろにはABCの三兄弟がいるのだ。
『帝国の光』が主催する受付の男性と、親しく会話をする訳にはいかない。
そう。
今日は、ここでとある共産主義団体の講演会が行われる。
その、とある共産主義団体の名は、『帝国の光』。
他ならぬ、ルリシヤが潜入している組織なのだ。
だから、最初にエリミア会長が、「『帝国の光』が主催する講演会に参加しよう」と言ったときから。
更に、講演会のポスターを見せられ、そこに『帝国の光』総統、ヒイラ・ディートハットの写真が掲載されているのを見たときから。
もしかしたら、同じく『帝国の光』の『裏党』とやらに所属している、
ルリシヤが、この場に来るかもしれない…ということは、予測していた。
そうなんじゃないかな、と思っていた。
多分、ルリシヤの方も同じことを考えていたのだろう。
俺が思いつくことを、ルリシヤが思いつかない訳がないのだから。
だから、お互い受付で久々の再会を果たしても、表情一つ変えなかった。
ただ、目を見ただけだった。
それ以上のことは、許されなかった。
俺達の繋がりを、他の誰かに悟られる訳にはいかない。
ルーシッドも気づくだろうが、あいつだって、腐っても帝国騎士団四番隊隊長。
ボロを出すようなことはあるまい。
…ルルシーを通して、ルリシヤの現状はある程度把握しているが。
俺より遥かに、縛られた生活してるんだってね。
叶うことなら、「お疲れ様ですよ本当。お互い頑張りましょうね」と、労いの言葉の一つでもかけてあげたかった。
でも出来ないから、一瞬のアイコンタクトで、その思いを伝えた。
ルリシヤなら、分かってくれるだろう。
だって、俺にも同じ思いが伝わってきたから。
以心伝心、って奴だな。
お?そんなことあるはずないって馬鹿にしたな?
一度でも、背中を預けて、命を預けて共に戦った者同士にだけ、分かるものがあるんだよ。
馬鹿にしたお前は、一度も命を懸けて戦ったことのない、平和な人生送ってるってことだよ。
…しかし、『裏党』であるルリシヤまでもが、この会場に来ているとは。
ルルシー情報によると、『帝国の光』は、『表党』と『裏党』に分かれており。
前者の方が、圧倒的に人数が多いと聞いた。
そして今日、これだけの規模、これだけの施設を借りて、講演を行うとなると。
相当、金と時間と手間がかかっていることだろう。
ルリシヤがここに、受付に立っているのが何よりの証拠だ。
俺も、『frontier』をプロデュースしている経験があるから分かる。
通常、こういう会場、コンサートホールを借りて何らかの催しを行う為にかかる費用は、それはもうピンからキリまである。
会場側が用意しているプランにもよるが、大抵の場合、
「何もかも会場にお任せ!主催者側は当日ここに来て公演を行うだけの、完全お任せプラン!」っていうのがあったり。
「会場は貸してあげるけど、その他の手続きや機材・人員の準備は自分達でやってね、の自力で行うプラン」っていうのがあったり。
その中間、「お金次第でここまではやってあげるけど、残りは自分でやってね、の中途半端プラン」があったり。
俺が『frontier』のコンサートを主催するときは、大抵ニ番目のプランか、三番目のプランを選択する。
何故なら、言うまでもなく、一番目のプランは莫大な費用がかかるからだ。
何せ、全部会場側にお任せなんだからな。その分費用もかかる。
会場の規模にもよるが、俺の場合、『青薔薇連合会』の人員を動員すれば、会場側の手を借りる必要はほとんどない。
故に、費用節約の為、『青薔薇連合会』の人員を使って、出来るだけ費用がかからないように調整している。
勿論、一から十まで全部こちらでやるのも大変なので、そこは会場の規模や、観客動員数によって変えているが。
それでも、コンサートを開くっていうのは、結構金のかかる仕事だ。
『frontier』の場合は、彼らの知名度のお陰もあって。
コンサートを開けば基本的に採算が取れる、どころか儲かるので、積極的に開いているが。
それだって、そこそこのチケット代や、コンサート限定グッズを大量に販売することによって、利益を得ている。
そうでもしなきゃ、こっちが赤字を食らうことになる。
その点、『frontier』は確実に収支プラスになるので、安心して開ける。
と、まぁ俺の話はここまでにして。
とにかく、今日の『帝国の光』の講演会。
プランとしては、恐らくニ番目か、三番目だろう。
三番目だとしても、恐らくは、会場側の手は最低限しか借りてないはず。
ホールの設備を見れば分かる。
ライブと講演会は全く別物だから、必要な機材が違うのは当然だが。
それにしたって、最低限の設備しか使っていない。
さっきの受付業務を、ルリシヤがやっていたことからも分かる。
恐らく、そこでパンフレットを配布している女も、表でチケット販売をしていた女も、『帝国の光』の人間だろう。
会場側の人間は、ほとんど…いや、全くと言って良いほどに借りていない。
で、『裏党』のメンバーは、ルリシヤを含めても数少ないと聞く。
だから多分、ここで会場の手伝いをしている『帝国の光』メンバーの大半は、『表党』の人間なんだろう。
まぁ、あくまで推測だが。
チケット代も一律1500円と、かなりお安い。
これじゃ、ろくに採算取れないだろうな。
だからこそ、自分とこの組織からボランティアを募り、会場の設備も最低限に抑えてるんだろうし。
『帝国の光』も、それほど資金を持っている訳ではないと見える。
それを思えば、『帝国の光』の前身組織である『天の光教』が、いかに金持ち組織だったことか。
あいつら、各地で無料の講演会開きまくってたからな。
いかに、信者達から金を巻き上げていたかよ。
かと思えばあの年齢サバ読みおばさん、『帝国の光』なんて、こんな厄介な置き土産を残してくれちゃってさ。
本当、年齢サバ読む人間には、ろくな奴がいないよ。