しばし、ルーチェス殿の猛攻を、何とか防いでいたが。
いきなり。
「うん、そろそろ飽きましたね」
「えっ?」
ルーチェス殿はそう言うなり、目にも留まらぬ速さで、俺の懐に突っ込んできた。
急いで対応しようとしたが、最早逃げ場はなかった。
それどころか、受け身を取る暇さえなかった。
手首に激痛が走るなり、俺が持っていた剣が、憐れにも宙を舞い。
そんな俺も、見事な体幹から繰り出された回し蹴りによって、床に叩きつけられていた。
完膚なきまでに、圧倒的な力の差を見せつけられた。
無様に床に這いつくばり、何とか起き上がろうと身体を起こそうとするが。
その上に、ルーチェス殿がドシッ、と腰掛けた。
「う…っ」
「ふー…。おっと、ここに丁度良い腰掛けが…」
「お…俺の背中に腰掛けないでください…」
「ん?腰掛けが喋った?」
「腰掛けではないです…」
人間です。
しかし、ルーチェス殿は容赦なかった。
「まぁ、確かに、腰掛けではないのかもしれませんね。仮にも一国の代表が腰掛けなんて、笑い話にもなりまんから」
「…」
グサッと、言葉のナイフを突き立てられた気分。
更に。
「すごーいルーチェス君!強いんだね〜!」
「でしょ〜?僕強いんですよ。もっと褒めてくれて良いですよ〜」
「うん!何が起きてるのか全然分かんなかったけど、でもルーチェス君がすっごく強いことは分かった!格好良い〜!」
「ですよね〜。ありがとうございます!」
俺の背中に腰掛けて、奥さんとイチャイチャ会話しないでください。
完全に俺、ベンチ扱い。
この傍若無人ぶり、間違いなくこの人は、ルレイア殿の弟子だ。
しかも。
「さて。これで十戦やって、十戦負けて、十回腰掛けになった訳ですが」
「…うぅ…」
「今の気分は如何ですか?」
…敗北者に、更に鞭打つ感じ。
やっぱり、あなたはルレイア殿の血を継いでいる。
「かつてルレイア師匠の薫陶を受けたと聞いて、期待してたんですけどねぇ。しかも、今会心の勢いで急成長中の、『あの』箱庭帝国の若き代表!革命軍『青薔薇十字軍』の若大将!素晴らしい肩書きをお持ちで、さぞや恐ろしい軍神だと思って、学ばせて頂くつもりで、手合わせお願いしたんですが…」
「…」
「いざ蓋を開けてみたら、結局名ばかりの悪戯小僧」
グサッ。
しかし、言い返せないのが辛い。
「おまけに、腰掛けとしても座り心地が悪いと来た」
グサッ。
いや、腰掛けとしての才能は、別に要らないけども。
「やれやれ。どうします?来世、公園のベンチにでもクラスチェンジしてみます?」
「…しません…」
「ふーん」
煽りに煽られ、しかし言い返すことも出来ず。
ルーチェス殿がようやく退いてくれたので、俺はのろのろと起き上がった。
一体、何事が起きているのかと言うと。
「ルーチェス君っ、お疲れ様〜」
「あぁ、全然疲れてませんよ。歯応えのない相手だったので。軽いスポーツを楽しんだ程度です」
「すご〜い!」
ルーチェス殿は、彼の奥さんのセカイ殿と、仲良くお喋りしていらっしゃった。
確かにルーチェス殿は、汗一つかいていない。
息が上がっている様子もない。
対する俺は、
「坊っちゃん、大丈夫ですか?」
「…あぁ…」
ユーレイリーの手を借りて、ようやく起き上がり。
これまたユーレイリーが用意してくれた、乾いたタオルで全身を拭かなければならないくらい、汗びっしょり。
おまけに。
「お怪我は…」
と、心配して聞かれる始末。
しかし、その心配は無用だ。
「してない」
「で、ですが…木剣とはいえ、あれほど…その…激しい戦闘をされたなら…」
ユーレイリー、はっきり言ってくれて良いんだぞ。
「あれだけフルボッコにされたのに、怪我の一つくらいしてるんじゃないのか」って。
でも、怪我はしていない。それは分かる。
全身の節々は痛むけれど、これは怪我ではなく、ただ筋肉を酷使したことによる筋肉痛だ。
あれだけの戦闘を繰り広げたのに、彼は俺の身体に、傷の一つもつけなかった。
対する俺は、本気で戦っても、ルーチェス殿に傷一つつけられなかった。
それだけ、一方的な戦いだったのだ。
彼が本気で俺を傷つけようと思えば、今頃俺は、両手両足を折られ、首を折られ、あの世行きだ。
木剣だろうと真剣だろうと関係ない。
あの太刀筋じゃ、俺なんて、道連れにしようと思っても出来ないだろう。
ルーチェス殿。
ルレイア殿の弟子であると聞いたときから、相当の使い手であるとは思っていたが。
まさか、これほどとは思わなかった。
「暇ですし、軽く手合わせでもしません?」と言って。
ルーチェス殿が、セカイ殿を伴って『青薔薇委員会』の本部にやって来たのは、つい二時間程前のこと。
俺は別に暇ではないし、むしろ忙しいくらいだったのだが。
折角のルーチェス殿の誘い、無下に断る訳にはいかないと、快く承諾した。
その結果が、これである。
『青薔薇委員会』の代表が、こうもあっさり、他国のマフィアにボコボコにされる。
こんな見苦しい様、国民達には決して見せられない。
「あなた、それでよく革命成功しましたね」
グサッ。
今日何度目だ。
ルーチェス殿の毒舌が、ナイフのように突き刺さる。
…言い訳をするのは、見苦しいかもしれないが。
俺が弱いと言うより、ルーチェス殿が強過ぎるのだ。
まず驚いたのは、ルーチェス殿の得物。
両剣という、珍しい武器をお持ちだった。
それだけでも、俺にとっては初見殺しも同然だった。
あんな難しそうな武器、一体どうやって扱うのだろうかと思っていたら。
ルーチェス殿は、あの難しい武器を、まるで自分の身体の一部のように、巧みに操ってみせた。
片方の刃を何とか防いでも、返すもう片方の刃が、音速の速さで飛んでくるんだから。
もう、防ぐとかそんなこと考える暇もない。
木剣じゃなかったら、一戦目の一合目で、俺の血飛沫が舞ってる。
いや、武器の初見殺しは、俺の弱さの言い訳に過ぎない。
あの武器の恐ろしさを差し引いても、ルーチェス殿は強過ぎる。
ルレイア殿を彷彿とさせる、スピード型の超近距離アタッカーで、一度懐に入られたら、最早手の出しようがない。
何とか攻撃を受けようとしても、あまりの攻撃の重さに、防ぎきれずにこちらが倒れてしまう有り様。
あの細身の身体の、何処にそんなパワーがあるのだ。
そして、体幹の強さ。
ルーチェス殿の武器は、あの両剣だけではない。
さっきの回し蹴り、彼が手加減してくれたから、転ぶくらいで済んだが。
もし手加減してくれていなかったら、今頃俺の内臓が潰れている。
もう、彼の全身が武器のようなものだ。
蹴りと拳だけで、相手を傷つける人は大勢いるし、大抵の人には誰でも出来ることだが。
蹴りと拳だけで、人を殺せと言われたら。
それが出来る人は、多分限られる。
余程打ちどころが悪かったとか、それなりの訓練を受けているとか、そうでもなければ出来ない。
そしてルーチェス殿は、後者のタイプだ。
その鍛え上げられた体術は、武器を持った相手でさえ、圧倒されてしまうほど。
両剣なしでも、俺、徒手空拳だけでルーチェス殿に負けていたのでは?
もう、激しく自信をなくしてしまいそう。
「やれやれ。ルレイア師匠の一番弟子(笑)の名が泣きますね」
(笑)をつけないでください。
「そして、ルレイア師匠の言った通りでした」
「…え?」
ルレイア殿が…何を?
「ここに来る前、言ってたんですよ、ルレイア師匠。『あの元童貞、国造りや子作りに夢中で、絶対身体鈍りまくってるはずなんで、ここいらで鍛え直してやってください』ってね」
「…!」
「そんな訳なので、ルレイア師匠の『本物の』弟子として、手解きをしてみた次第です。見事に、あなたが鈍りまくってることが証明されましたね」
…ルレイア殿…あなたという人は。
本当に…よく分かっていらっしゃる。
確かに俺は、『青薔薇十字軍』の革命以来、戦場に立つということがなかった。
それまでは、何とか憲兵局に支配された国を解放しようと、その為には力が必要だからと。
ひたむきに、武術の鍛錬に励んできた。
しかし、革命が成功した後は。
最早戦う必要はなくなり、それよりも新しい国を建て直すことが優先だった。
国民達に安定した生活を保証すること、これが第一で。
憲兵局による旧体制からの脱却と、民主的な『青薔薇委員会』率いる新体制への移行。
国にとっても民にとっても必要な、外貨を稼ぐ為の観光事業の発展化。
そして今は、国内の教育機関を充実させようと尽力している最中。
武術の鍛錬など、久しく行っていなかった。
必要がなかったからだ。
勿論、国内での流血沙汰が一切なかった訳ではない。
新体制への移行の際、多少の諍いは起きた。
しかし、それは俺が出るまでもなく、国軍が鎮圧してくれた。
そして今では、すっかり新体制が板につき、ほんのちょっとした小競り合いさえなくなった。
あったとしても、警察で充分対処出来る範囲。
俺が先頭に立って、指揮を執る必要はなかった。
それ故に、剣の腕前は、落ちていく一方だった。
そんなこと、思いもつかなかった。
ルレイア殿の言う通りだ。
国造りに夢中で、自分自身の強さを磨くことを、すっかり忘れていた。
…しかし、一つだけ訂正させてもらいたいのは。
…ルレイア殿、俺、別に子作りに夢中になってはいませんよ?
…とにかく。
箱庭帝国は、発展したものの。
その代わりに、俺個人が、物凄く弱体化していることが判明した。
…由々しき事態である。
いや、国が発展したのは大変良いことだし、その代償が俺個人の弱体化なら、そのくらい喜んで払うのだが。
…とはいえ。
「軟弱ですねぇ。僕なんか、王位継承権自分から放り出したのに。箱庭帝国の主が、異国の没落王子より弱いとは。泣ける話じゃないですか。ねぇ?」
「う、ぐ…ぬぬ…」
「ふふふ。泣いて頼んでも良いんですよ?『お願いします俺に稽古をつけてください、何でもしますから』と這いつくばっても良いんですよ?」
「わー…。ルーチェス君ドSだぁ…」
ルーチェス殿の奥さん、止めてくれれば良いのに。
ドSな旦那さんを、むしろキラキラした目で見てる。
何、この夫婦。
「あ、そうだ。ルレイア師匠がこうも言ってましたね」
え?
「『もしルアリスが、嫁子供も守れないくらい弱くなってたら、ルアリスの嫁、セトナさんとかいう人、寝取っちゃっても良いですよ』って」
「!?」
俺は、凄まじい勢いで顔を上げた。
い、今何て?
「ふむ、王子だった頃にちらっと拝見しましたが、あなたの嫁、セカイさんの足元に及ぶくらいには美人でしたし。まぁ軽く摘み食いするくらいは、アリですかね」
「…!!」
ルーチェス殿の、この鬼のような発言にも驚愕したが。
それ以上に驚いたのが。
「おっ!ルーチェス君、リアルNTRって奴だね!」
何故かルーチェス殿の嫁が、全然夫を止めなかったことである。
この夫あって、この妻あり。
そして、それを更に上回って驚愕したのが、
「それとルレイア師匠、こうも言ってましたよ」
「な、何を…」
「『セトナさん寝取ったついでに、将来のルアリスの娘の初夜権も、ルーチェスにあげますよ〜』とのことです。いやぁ僕の師匠は太っ腹だなぁ」
「…!!」
「おぉっ!ルーチェス君、君実はロリコンか!?ロリもアリなのか!さすが〜」
「…!?」
誰か。
誰かここに、常識のある人はいないか。
夫の目の前で、人様の妻の寝取りを宣言。
しかも、その娘の将来の貞操までも奪うと宣言する暴君。
それなのに、その暴君の妻は、そんな夫を止めるどころか、むしろ称賛している。
この非常識感…。そして悪魔のような発言。
あなたは…あなたは、間違いなく、ルレイア殿の弟子で。
そして、俺にとって…脅威の対象に成り果てた。
「さぁて、この弱虫君は放っといて、早速寝取りに行きましょうかね〜」
近所にお使い行ってきます、のノリで。
とんでもないことをしようとしている、ルーチェス殿の足に。
俺は、必死にしがみついた。
決して、彼を行かせてはならない。
俺の、人間としての…男の、プライドに懸けて。
故に、言うべきことは一つだけ。
「…お願いします」
最早、これ以外の選択肢などない。
「俺に稽古をつけてください…何でもしますから」
恥も外聞もない。
一国の代表とか、そんなのは今はどうでも良い。
ただ、家族を守りたかった。
死神の手先、その魔の手から。
そして。
半泣きでしがみつく俺に、死神の使いは。
「…ふふ。そう来なくては」
彼の師匠によく似た、不敵の笑みで呟いた。
「…うわー、ルーチェス君たらドS〜」
…ルーチェス殿の奥さん。
あなたの夫。止めてくれても、良かったんですよ?
―――――――…その頃、ルティス帝国では。
「…にゅふふ」
「!?」
俺が、ちょっと笑っただけなのに。
同居人のルーシッドが、激しく動揺していた。
「…何ですか」
「え、あ、いえ…」
「失礼じゃないですか。俺がちょっと微笑んだだけで、そんな怪物でも見るかのような目をして」
「あ、あれが『ちょっと微笑んだだけ』…?」
は?
「…何か?」
「い…いえ、何でも…。ちょっとあの…フェロモンが強烈だったもので…」
何かボソボソ言ってるが、何て言ってるのか聞こえない。
きっと褒め言葉だろう。
俺と来たら、褒める要素しかないからな。
で、今何で微笑んだのかって?
そりゃ決まってる。
異国で、俺の可愛い弟子と、可愛い元弟子が、「仲良くお稽古」しているような気がしたからだ。
いやぁ、仲が良いって素晴らしい。
友情は良いものだ。
恋愛は、もっと良いものだ。
命短し恋せよ男子。
で、それはそれで良いとして。
「ぼやぼやされてちゃ困りますよ。今日が何の日か、ちゃんと分かってるんでしょうね?」
「…!は、はい…それは、もう」
今日は土曜日。大学の講義はお休みだ。
しかし、俺とルーシッドは、出掛ける予定が入っている。
何を隠そう、サークル活動の一環だ。
「じゃ、俺先に出るんで」
「はい。俺も後から行きます」
俺は、ルーシッドを残して先にマンションを出た。
同時に家を出たりして、俺がルーシッドと一緒にいるところを、誰かに見られたりしたら。
俺の完璧な演技が、台無しになってしまうからな。
今や、『ルティス帝国を考える会』の敵と成り果てたルーシッドと、一緒にいるところを見られるのは不味い。
あくまでルーシッドは、『ルティス帝国を考える会』の嫌われ者、鼻つまみ者でなければならないのだ。
ざまぁ。
今となっては、ルーシッドは公然とした、『ルティス帝国を考える会』の嫌われ者。
今でも、ルーシッドは負けじとサークル活動に参加し。
積極的に、発言も続けているが。
今となっては、ルーシッドが何を言おうとも。
「あーはいはいお前の意見は別にどうでも良いから」と、軽く流されている。
相手にすらされていない。
一部のサークルメンバーからは、完全に存在をスルーされている始末。
ざまぁ。
で、それは良いとして。
ルーシッドがいくら嫌われようが構わないが、それより今日のイベント。
俺が、これから向かう場所は。
「あ、来た来た。おーい!ルナニア」
待ち合わせ場所になっている駅に辿り着くと。
エリアスと愉快なABCの仲間達が、俺に手を振った。
「おはよう、ルナニア」
「おはよー」
「おはようございます」
俺は、にっこりと「業務用」の笑顔を浮かべた。
エリアスも、愉快な三人の仲間達も、全く疑うことなく俺に挨拶してきた。
見てみろ。俺と、このルーシッドの差。
いやぁ人気者は困りますねぇ。
「皆さん早いですね。もうほとんど揃ってるじゃないですか」
「だよな。俺達が来たときも、上級生の人達はほとんど集まってたよ」
と、モブB。
ふーん、上級生ねぇ。
『ルティス帝国を考える会』会長、エリミア・フランクッシュは、改札付近に屯して、側近のメンバー達と何やら喋っていた。
改札付近で立ち止まるな。
すると。
「…おはようございます」
遅れ馳せながら、俺の後に出てきたルーシッドが、駅に到着した。
あぁ、お前いたんだっけ。
「…」
「…」
折角ルーシッドが挨拶したのに、彼に挨拶を返す者は、誰一人いなかった。
ほとんどの者は、ルーシッドをチラリと一瞥しただけ。
あとの者は、まるでルーシッドの声が聞こえなかったかのように、友達とお喋りを続けたり、スマートフォンを弄ったり。
誰一人、ルーシッドを顧みる者はいなかった。
俺も、エリアス達も。
…ざまぁ。