The previous night of the world revolution6~T.D.~

私立ローゼリア学園大学。

言わずと知れた、僕が潜入している大学である。

ちなみに、美術学部である。

入学試験が楽だったから、何となくで入ったけど。

後になって、ちょっと失敗だったかなと思った。

というのも、科目ごとに、彫刻だの油絵だの水彩画だの、提出しなければならない課題が結構ある。

おまけに、幼い頃から、もう美術館の学芸員に死ぬほど聞かされてきて。

本なんかで調べなくても、すらすら引用出来る内容の美術史について、今更長々レポートを書かされたり。

ルティス帝国含め、世界の有名な美術家について調べて、これまたレポートを書かされ。

更には、その美術家の作品について、批評する感想文みたいなものも書かされたり。

結構やること多くて、面倒臭い。

しかも僕、これらについては、幼い頃から散々、王族の嗜みとして叩き込まれてきた。

今更、学ぶ必要はないくらい。

だから、日中の講義は暇で仕方ない。

で、山のような作品の課題や、レポート課題を課せられる訳だろう?

大学生も大変だよ。

わざわざ、潜入任務の彫刻に、本気を出しても仕方ないので。

僕は、わざと適度に手を抜いているが。

これら、全部真面目にやっていたら、時間がいくらあっても足りないよ。

更に。

僕には、もう一つ…学業とは別に、やらなければならないことがあるのだから。

そしてそれこそが、僕の悩みの種…元凶なのである。
「同志諸君、これを見てください」

僕はその日も、狭苦しい、薄暗い、

いかにも地下組織、みたいなサークル棟の一室にいた。

『赤き星』。

それが、このサークルの名前だ。

しかし、このサークルに所属しているメンバーは、『赤き星』を単なるサークルとは思っていない。

入学時に提出した、僕の渾身の論文のお陰で。

かろうじて、『赤き星』に入ることは許されたものの。

入れたからといって、仲間として認められたとは言い難かった。

やはり、上級生ばかりではな。

しかも、温度差。

僕も上級生を装ってはいるが、どうしても、古参のメンバーとの間には、距離を感じる。

僕がそう思っているくらいなのだから、古参メンバーからしたら、余計余所者感を感じていることだろう。

何とか置いていかれないように、僕も必死に、コミュニストを演じているつもりだが…。

彼らが、僕のことをどう思っているのかは、怪しいところだった。

…で。

これを見ろ、だったな。

一体何なんだと思って、見てみると。

なんと、半世紀以上も前に書かれた、古い論文のコピーだった。

何処から探してきたんだ、こんなの。

レポートの著者を見ると、成程、ルティス帝国の有名なコミュニストの名だ。

「とても画期的な論文です。是非、同志達にも読んでもらいたいと思いまして」

論文を持ってきた同志は、自信満々にそう言った。

それはそれは、どうもご苦労様。
そんな訳で、その日は僕達『赤き星』のメンバーは、同志の一人が持ってきた、

例の論文を読むことに、時間を費やした。

皆、一言一句を噛み締めるように、真剣な眼差しで論文を読んでいた。

僕はと言うと、本音で言えば、コミュニズムなんて、大概はろくな結果しか産まないんだからやめとけ、としか思ってないので。

さっさと読み終わってしまって、暇。

しかも、画期的とか言いながら、これ書かれたの何年前だと思ってるんだ。

お陰でその内容も、原理共産主義的と言うか。

もう、一切の妥協も許さない、完璧なるコミュニズム論を提唱していて。

正直、中学生の厨二病ノート読まされてる気分だった。

痛い。これは痛いレベルですよもう。

こんな理想論、よくも思いついたものだ。

むしろ、理想だからこそ、ポンポン出てくるものなんだろうか。

あんたの理想論厨二病ノートが、黒歴史として封印されているだけなら、それで良い。

問題は、その厨二病ノートを見つけ出し、これこそ世の真理だ!と真に受ける奴が多過ぎるって点だ。

全く、厨二病ノートを作成するのは結構だが、それを公開するのはやめてくれないか。

こうして、真に受ける奴がいるんだからさ。

それも、妄信的なほどに。

この人達の、この真剣な眼差しを見ていると。

この論文に、「実は10年後世界が滅びます」と書かれていたら、マジで信じるんじゃないかと思うほど。

まぁ、それは有り得ないのだが。

大体この論文が書かれたのは、もう半世紀以上前だし。

「10年後世界が滅びます」って書いてても、全然滅びてないじゃん!ってなるからな。

いや、いっそそんな馬鹿げたこと書いててくれた方が良かった。

だってそうしたら、この論文に書かれていることがどれほどいい加減か、皆に伝わるだろう?

…などと、余所事ばかり考えていると。

「…同志ルクシア」

「…はい?」

自分の名前を呼ばれたのだと、気づくのに一瞬遅れた。

そうだ。そんな名前で潜入してるんだった、僕。

「もう読んだのですか?」

この、懐疑的な目。

しまった。余所事考えてるのバレたか?

「はい」

読み終えたのは事実なので。

「その上で、この論文に書かれていることの本質について、自分なりに考察していました」

ちょっと、それっぽいことを言ってみた。

すると。

「成程。では、あなたが考えた、その考察というのを皆に聞かせてもらえますか?」

畜生。

ちょっとそれっぽいことを言っただけで、この仕打ちだよ。
論文に目を通したのは、紛れもなく事実だが。

その後考えていたのは、厨二病ノートのことなので。

当然、「厨二病ノートは封印しておいて欲しいと思っていたところです」なんて言えないので。

僕は、瞬時に頭の中で、彼らに対して述べる「それっぽい考察」を考えることになった。

面倒だなとは思ったが、それくらいでは狼狽えない。

「そうですね…。この論文が書かれた時期を考えると、この筆者は非常にイノベーションな意見の持ち主だったように見えます」

政治家とかがよく使う術、その1。

わざと小難しい横文字を使って、それっぽさを出す。

イノベーションとかコンセンサスとかエビデンスとか、とりあえずそれっぽい単語並べておけば。

何だか知的に聞こえてくるから、不思議なもんだ。

これ、人生の裏技な。

何とか切り抜けなければならない場面が出てきたら、とりあえず格好良い横文字で誤魔化せ。

「そして、お手本とも言うべきファンダメンタリズムな思想ですね。今日のコミュニズムに関する論文にしては、珍しい部類に入るかと」

「…確かに」

「しかし…現在のルティス帝国では、この論文に書かれていることを実現するのは、不可能でしょうね」

「…何?」

全員が、僕の方をジロッと見た。

…あ、なんかヤバいこと言ったっぽい?

いや、大丈夫だ。

「あまりにも下地が悪過ぎます。現在のルティス帝国は、まだこのような共産主義体制に移行することは出来ないでしょう」

政治家とかがよく使う術、その2。

同じことを、言葉を変えて何度も繰り返す。

そしたら、なんかちゃんと答弁してるように聞こえる。

試してみると良いですよ。

「何故、そう思うのです?」

ちっ。

このまま、のらりくらり躱そうと思ってたのに、掘り下げてきやがった。

「残念ながら、現在のルティス帝国では、まだ現体制に賛成派も多くいます。そんな状況で、このような原理主義的共産主義体制は、国民には受け入れられないでしょう」

「…」

「無論最終的には、我々の望む、完璧なるコミュニズム思想を、全ての国民も理解するでしょう。しかし、それには時間が…」

「…時間など、かけている余裕がこの国にあるとお思いですか、同志ルクシア」

…何だと?
「…どういう意味ですか?」

僕がそう尋ねると。

同志は、そんなことも分からないのか、みたいな。

嘆かわしそうな顔をした。

そんなことも分からなくて、悪かったですね。

「我が国には、最早一刻の猶予もないのです」

「…」

「私達がこうしている今も、飢えに苦しみ、明日食べるものどころか、今日食べるもののことを考えている人がいます。今このときに、既に苦しんでいる人がいるのに…」

「今すぐにでも、ルティス帝国は変わらなければならないのです。同志がそのような、悠長なことを言っている間に、一人また一人と、無辜なる民が死んでいくのです。そのようなことを考えたことはありませんか」

「…これは、失礼しました」

如何せん僕は、無辜なる民が飢えに苦しんでいる間。

王族としての嗜みと言われて、バイオリン弾いていたもので。

「確かに、僕が浅はかでした。申し訳ありません」

「…」

サナミア党首含む、全ての同志達が、僕を懐疑的に見つめる。

…うーん、嫌な空気だ。

「誤解しないで頂きたい。僕は、この論文そのものに反対している訳ではありません。ルティス帝国の目指すべき未来は、この論文の中にあるものだと思っています」

ここはせめて、言い訳をしておかないと。

政治家とかがよく使う術、その3。

必死の言い訳。

「出来るだけ早く、改革を推し進めなければならないことも分かっています…。しかし、真に国民のことを考えるならば、急速な政府体制の変革に伴う弊害についても、考えなくてはならないでしょう」

「弊害ですか?政治改革をして弊害を受けるのは精々、現在貴族特権で優雅に暮らしている一部の特権階級だけでしょう」

サナミア党首は、せせら笑うかのようにそう言い。

他の同志達も、その通りだとばかりに頷いた。

酷い話ですよ。

弊害を受けるのは、貴族達だけではない。

自分達もまた、自らの身を痛めつけることになると、彼らは気づいていないのだから。

「…どうやらルクシア同志には、独自の思想、信条があるようですね」

…何?

つまり、「お前は私達とは違う考えの持ち主のようだな」ってことか。

スパイとしては、大変不味い認識だ。

「…理解して頂けないのが、とても残念です」

僕は、大袈裟なくらい悲痛な顔をしてみせた。

すると。

「理解していないとは言っていません。あなたは、『赤き星』の同志。あなたの考えを、私達に理解させてもらいたいと思っています」

「…それで僕は、どうすれば理解してもらえるのでしょう?」

「そうですね…。…論文から始まった議論です。あなたの思想、信条を、紙に書いて持ってきてはもらえませんか」

何?

また論文提出しろって言うんですか。

このサークルは、どれだけ僕に論文を書かせたいんだ。

美術学部での、抽象画課題の提出期限が来週までだから、そちらも描かないといけないのだが?

それに加えて、また面倒そうな課題を…。

…しかし。

「分かりました。光栄です」

僕は、自分の考えを知ってもらえる良い機会を得たとばかりに、嬉しそうに頷いてみせた。

スパイとしては、そうするのが正解。

おのれ。面倒なことになってしまった。

…しかし、抽象画の方、どうしよう?
…かくなる上は。


もう、こうするしかない。

「お帰り〜ルーチェスく、」

「セカイさん!お願いがあります」

「ふぇ!?ど、どうしたの、帰ってすぐ…。欲求不満なの?」

「はい!」

あ、勢いで本音が。

「そ、そうなの?いーよ。じゃ、早速…」

「いや、待ってください。僕が欲求不満なのは事実ですが、しかしそうではなく」

「え?溢れ出る若い性欲を満たしたくて、ウズウズしてるんじゃないの?」

さすがセカイお姉ちゃん。僕のことよく分かってる。

しかし、今はそうじゃない。

「頼みがあるんです、セカイお姉ちゃん」

「お?何だ何だ?お姉ちゃんが、なーんでも聞いてあげよう!」

それは頼もしい。

なら…。

僕は、『赤き星』の連中に信頼を得る為、論文を書かなければならないので。

代わりに。

「…描いてください、抽象画」

「へ?」

これで、課題の一つは解決だな。
自分が、全く『赤き星』の党員達に信用されていないことは。

もとより分かっていた。

彼らがあの部屋で僕を見るときの、その目を見れば分かる。

彼らは、一応僕を『赤き星』に加えはしたものの。

他のメンバー同士のような信頼関係は、全くない。

『赤き星』に入ったからといって、それで終わりではない。

僕は、まだ試されているのだ。

本当に、このルクシア・セレネという人間が、『赤き星』の一員として相応しい人物なのかどうか。

彼らにとっては、まだ試用期間みたいなもの。

今日、図らずも彼らの意見に対立するようなことを言ってしまったのも、裏目に出ている。

ここいらで、挽回しておかなくては。

僕が『赤き星』に相応しくないと判断すれば、彼らは躊躇うことなく、僕を追い出すことだろう。

それだけは避けなければならない。

『赤き星』の内部に入れないなら、わざわざスパイとして潜入した意味がない。

この二作目の論文は、二次試験みたいなものだ。

これを通過しなくては、僕は『赤き星』のメンバーから除名されかねない。

となると、入学時のときのような論文では、不充分だ。

もっと確かに、彼らを納得させられるような論文に仕上げなくては。

面倒だが、出来ないことではない。

相手が悪かったな。

生憎、政治関連の難しい云々かんぬんは、嫌というほど叩き込まれてるんでね。

出来るだけ短時間で、彼らの納得するような論文を書き上げてみせよう。

僕の、腕と頭の見せどころだ。

――――――…私は、寝室のベッドの中に横たわって。

ランプの灯りの下、机に向かってもう何時間も難しそうな本や紙の束(論文?)を読み。

更に、それらを読みながらさらさらと手を動かす、ルーチェス君の背中を見つめていた。

「セカイさんは寝てて良いですよ」と言われ、仕方なく私はベッドに入った。

大体私が起きてても、手伝えることは何もない。

私が、お隣のフューニャちゃんみたいに、料理上手だったらなぁ。

ルーチェス君に、夜食とか作ってあげるんだけど。

私がキッチンに立ったら、ルーチェス君の仕事が増えちゃうよ。

仕方なく、私はルーチェス君の邪魔をしないように、眠っていることにした。

けれど、あくまで眠っている振りだ。

ルーチェス君が、あんなに頑張ってるのに。

私だけ、ボケーッと寝てるのは気が咎める。

…そして、それ以上に。

私の頭の中は、ルーチェス君からの頼み事が、ぐるぐる回っていた。

「抽象画を描いてください」って言われて。

つい、よく分からないまま。

ルーチェス君の助けになりたくて、「任せて!」と答えちゃったのだが。

実は今、内心。

「えぇぇぇぇぇ抽象画って何〜っ!?私そんなの描けないよぉぉぉぉ!!」

…って、言ってる。心の中で。

そもそも、抽象画って何?

それは何なの?食べ物じゃないことは分かる。

画って言うだけあって、多分絵の一種なのだ。

そして多分、本来はルーチェス君自身がやらなければならない課題なんだろう。

ルーチェス君、美術学部だって言ってたし。

多分そこで、課題が出されたんだろう。

さっきの、抽象画っていうのを描いてきなさい、って。

そこまでは推測出来るのだけど。

それにしても、学生に課した課題を、部外者の私が描いて出して良いものなの?

よく分からないけど、ルーチェス君が私に託してきたってことは、別に私の代作でも、問題ないんだろう。

本当はいけないんだろうけど。

バレなきゃセーフ。

でもね、ルーチェス君。

私実は、抽象画ってものが何なのかすら、よく分かってないんだよ。

そんな人間が描いた作品が、仮にも美術学部で…しかも、ルーチェス君が通ってるのって、私立ローゼリア学園大学でしょ?

私みたいな、大学に最も縁遠い人間でさえ、名前くらいは知っている。

そんな有名大学の、美術学部の課題を。

素人の私が描いたりしたら、バレるんじゃないの?

いくら一年生とはいえ。

自慢じゃないけど私、芸術的センスは皆無だよ?

何億もする名画と、近所の絵画教室に通ってる人が、適当に描いた絵の区別がつかないタイプだよ?

何なら、抽象画の意味すら分かってないから。

もう、美術のセンスがあるとか以前。知識の段階から問題がある。

…けれど。

こうして、頑張ってるルーチェス君の背中を見ていたら、そんなことは言えない。

とても言えない。

私が「そんなの描けないよ無理〜っ!」って言えば。

多分ルーチェス君は、「分かりました。じゃあ僕がやるんです大丈夫ですよ」とか言って。

寝る時間を削って、自分でテキパキやってしまうのだろう。

大体普段から、ルーチェス君って、何でも自分でやっちゃうんだもんなぁ。

私が不器用なせいでもあるんだけど。

いつもいつも、頑張るのはルーチェス君ばかり。

私だって、不器用だけど、頭も悪いしセンスもないけど、でもルーチェス君の役には立ちたい。

それに何より、ルーチェス君は、今回私にお願いしてくれたのだ。

いつもは何でも自分でやっちゃうルーチェス君が、わざわざ私に頼んできた。

つまり、今回はルーチェス君も、自分でやる余裕がないのだろう。

当然だよね。あんな難しそうな本をたくさん読んでたら…。絵なんて描いてる暇ないよ。

だったら、私が頑張らなきゃ。

折角ルーチェス君が、このセカイお姉ちゃんに頼み事をしてくれたのだ。

その思いには応えるのが、お姉ちゃんとしての役目というもの。

…よし、頑張ろう。

私は毛布にくるまりながら、固くそう決意したのだった。