「まだ12時半にもなってないよ」
 私は教室前の廊下の時計を指差す。
「そんなことはわかってるよ。ゆっくり雑誌よみたいし。」
 明日香は鼻唄まじりに、教室の扉に手をかけた。
 
 まだ12時半。3限のフランス語は13時からで、さすがに来てる人間はいないだろう。
「フランス語めんどくさいな」
「えー寝てたって余裕じゃん。あのおじいちゃん」
「明日香単位もらえないよ」
 二人でばか話をしながら、教室に入った。

 ガタン―と、窓際の席から人が立ち上がる音がした。予想外のことに二人とも驚いて、思わずおしゃべりが止まり無言になった。
 二人でおもむろに音の方向を見てしまった。

 
 そこには見たことのない、長身の男の人が立っていた。
 髪は緩やかなフワッとしたパーマがかかった茶髪で、少し色白な肌、ハッキリしてる顔立ちだけど、どこか柔らかい印象。
 なにより私は、その青年の瞳に目が止まった。
 少し離れた位置にいるから、曖昧だけど。青みがかったグレーだ。
 
 そして、その瞳が濡れているように感じ、私は息を呑んだ。


「この教室。使いますか?」
 そう、ゆっくりと青年が微笑んだ。思わず私は頬が熱くなる。
 ちらりと明日香に目をやると、明日香もいつものチークよりもピンクが色濃い。

「あっ、3限がここだから早く来ただけで。」
 明日香がはにかんで、顔の前で手を振りながら答えた。
「じゃ、僕も暫く居て平気かな。」
「全然。どうぞどうぞ。」
 なんだか明日香の声が、1オクダーブは軽く上がっている。
 明日香から再び青年に視線を戻した。気のせいだったのか、もう瞳は濡れていなかった。

「あっ。そのCD好きなんですか」
 すかさず、明日香は目ざとく机の上に置かれたCDを見つけ、青年に近づいていく。
 
 ―明日香は何も気が付いてない。やっぱりわたしの思い違いなのだ。