十八、
「矢鏡様!戻ったのですね」
肇との会話が一方的に終わってしまった後、矢鏡は無心のままで紅月が待つ部屋へと戻って来た。
あの男が話した事を精査する必要があったが、頭が混乱してしまっているため1度冷静になろうと思った。それよりも何よりも、紅月の顔が見たかった。笑顔で「おかえりなさい」と言って欲しかった。
だが、矢鏡を迎えた彼女の顔は真っ青で、笑顔とは言えないほど不安と苦しみが混ざった痛々しいものだった。
「紅月。顔色が悪い。寝ていてよかったのだぞ」
「矢鏡様が帰ってくるのが遅い気がして、心配になってしまって」
「悪かった。俺は大丈夫だから、心配するな」
「………」
矢鏡は抵抗する気力もない紅月を抱き上げて、ベットに寝かせる。彼女は申し訳なさそうにしながらも、体を横にした。瞼もゆっくりと閉じていく。そのまま寝るのかと思ったが、彼女はゆっくりと片手を伸ばし。そして、そっと矢鏡の頬に手のひらを当てた。大切なものを包むように、ふんわりと温かい手が添えられる。
「紅月?」
「矢鏡様、何かありましたか?肇くんと喧嘩しましたか?」
「そんな事はない。……駅まで送って来ただけのことだろ」
「参拝者が増えのをあんなに喜んでくれたのに、帰ってきてからは元気ないように見えて」
「おまえの元気がないからだ。だから、早く寝ろ」
「ごめんなさい」
心配された事を「ありがとう」ではなく「ごめんなさい」という。いや、彼女の謝罪の言葉は何を意味しているのだろうか。紅月に問いかける前に、紅月の差し出した手はゆっくりとベットに落ち、そのまま寝入ってしまった。
矢鏡は彼女を起こさないように、ゆっくりと布団を体にかけた後にベットの横に座り寝顔を見つめる。
紅月を助けたい理由。
それはもちろん、自分の存在を保つため。
けれど気が遠くなるほど長い時間、神として過ごしてきた。消滅する事など怖いとも思わないぐらいに。もしろ、矢鏡という存在を終わりにしたいと思った事もあった。
どうやって生きてきた?
そんな疑問から記憶を掘り起こそうとすると、また不思議な感覚に襲われる。
脳内の記憶の映像に靄がかかり、一番初めの人間の頃の記憶まで戻されてしまうのだ。