「ねぇ、あっくん……
麻美ちゃんは?」

何もない、音楽室。

教卓も机も、必ずそこに置かれているピアノさえもなく、今、月子が立っているのはただの広い教室だった。

見回した音楽室には、いるはずの麻美の姿は無く、目の前に敦がひとりいるだけ。

ためらいながら、月子は足を踏み入れた。


問いかけた答えは返ってこず、黙ったまま敦は窓辺へと近付いていく。

歩く姿は時間を巻かれたようにゆっくりで、まるでスローモーションのフィルムを見ているみたいだった。


「さぁ…」

ギシギシと音を立てて窓を開けた敦は、その肩を竦める。

はなから「麻美」という存在なんて、いなかったように。

その何も言わせない敦の雰囲気に月子はおされ、言葉を詰まらせた。


「なぁ、月子…
俺、忘れられないんだよね。
10年前、ここから落ちて死んでしまった、陽子の姿を。」

窓の下を見やり、小さくため息を付いた敦の表情。

射し込む陽の光が淡くぼやけ、振り返った敦の顔をくもらせて見える。

窓のサンに両肘を預けもたれ掛かりながら、チラリと月子に視線を送ると敦は続けた。


「陽子、落ちた瞬間どんな気分だったのかなぁ。
痛かったと思う?」

月子を見つめる敦の瞳。

深いその色に、月子は息をのむ。


ーーそう、
落ちた瞬間、陽子は何を思ったんだろうか…


抵抗もできず、宙へと投げ出された陽子の体。

それを見たのは、月子だけ。


「うーん、
そうそう、そんな感じだったよ。
俺がかけつけたあの時、今みたいに月子はその鏡にもたれかかって、
泣いていた…」


敦に示され振り向いた月子。

その背後には、いつの間にか月子を包み込むように手を広げた、大きな姿鏡があったのだった。