「この廊下を、
追いかけてくる田畑から逃げるように、陽子と走った……」

敦の静かな声が、誰もいない廊下に細く響いた。


あの時、走っても走っても長く感じられたその廊下は、今こうして見ると呆気なく感じられる。

薄暗く、埃っぽい廊下。

そのまん中に立ち、10年前のあの瞬間を月子は思い出す。





ハァ、ハァ、ハァ、…ーー


あの時見た光景は、何だっただろうか。


ハァ、ハァ、ハァ、…ーー


目の前を走るのは?

わたしの後ろを追いかけてくるのは?



ハァ、ハァ、ハァ、…ーー






混乱する中、フラッシュバックする様々な記憶。


誰もいない学校。

笑う陽子。

目の前を伸びていく、長い廊下。

追いかけてくる田畑。

文字が羅列された、白い紙。

教室の窓から見た、夕暮れに染まる風景。

コックリさん。

おびえる月子。

小さな鉛筆。


あの時目にした光景ーー



10年前、
わたしは陽子とここにいたんだろうか。

本当に、追いかけてくる田畑から逃げたんだろうか。

すべてが、何か嘘のように思える。

何も書かれていない、白いノートに書き込まれた記憶ーー


混乱する記憶は、更に複雑に絡まって月子を追いたてた。



いや、
でもあの時、確かにわたしはこの場にいた。

陽子も、田畑も……

手に残る感触は、忘れられない。


瞳をギュッとつむり、記憶の断片を辿る月子。



『つきちゃんってば、いっつもそう。
わたしの後ろに隠れたままで、何にもしないんだから。』

聞こえるのは、
陽子の声…?



「大丈夫か、月子?」


不意にかけられた声。

その声に小さく肩を揺らし、月子は足元に下げていた視線をゆっくりと上げた。


目の前には、陽子が亡くなったあの音楽室。

月子を呼び込むように、その扉は開かれていたのだった。