+
  +

 そんな話をしていたある日のこと。
 帰宅した時から身体が重たいと渚は思った。
 悪寒が走って夕飯は食べずにベッドに潜り込んで寝た。
「診療所に行かなくて大丈夫?」
 とクリスに言われたが、渚は「寝ていたら大丈夫」と言った。

 だが、朝になっても体調はよくならず。
 急に、どうしようと渚は泣きそうになった。
 寝間着のまま下へ降りると。
 学校へ行っているはずのサクラがいた。
「おはよう。大丈夫? 顔真っ赤だけど」
「うん・・・」
 力なく答えるとサクラが近寄って、渚の額に手を当てた。
「すっごい熱じゃない。診療所に行ったほうがいいわよ」
「…別に大丈夫だよ」
「どうしよう。連れていってあげたいけど、私、この身体だから」
 サクラは女の姿でいる時は外出が出来ない。
 渚は大丈夫だから…と言ったが。
 本当は死んだらどうしよう…という恐怖に変わっていた。

「おはようございます」

 爽やかな声がしたかと思うと。
 目の下に隈を作ったアズマが現れた。
 アズマは夜通しで蘭の護衛をした後。
 蘭が学校へ行っている間、仮眠を取ったり家事を手伝ってくれているらしい。
「アズマさん。ちょうどよかった」
 助かったとばかりにサクラが喜ぶ。
「渚が具合悪いの。診療所まで連れてってくれる?」
「え、サクラさん。それは駄目だよ」
 渚は慌てて制止する。
「はい。わかりました。渚さん、動ける?」
 あっさりとアズマが承諾したので、渚は「えぇ!?」と飛び跳ねた。

 アズマに連れられて外に出る。
「助手席に乗ってください」
 普段は蘭を連れて移動している車に誘導してきたので、渚はその場に固まった。
「アズマさん、僕が乗るのは駄目だよ」
「大丈夫ですよ。早く乗って」
 渚は仕方なく助手席に座る。
 後で蘭に怒られるのではないかという恐怖があった。

 校内は莫大な敷地で、移動するのが一苦労なのだ。
 授業中に体調が悪くなれば保健室に行けばいいのだが、それ以外のときには敷地内の外れにある診療所まで行かなければならない。
 渚は当初、この診療所のベッドでずっと横になっていた。
 あんまり良い思い出がない。
 この診療所は生徒だけではなく、学校の関係者であれば誰もが診察を受けられるところだ。

 医者に見てもらい、「風邪ですね」と言われ。
 飲み薬をもらった。

 車に戻って、渚は助手席に座る。
 まさか、アズマがこんなに親切にしてくれるとは思ってもいなかった。
 サクラが「良い人よ」と言っていたけど。
 本当だったのだなと驚く。
「アズマさん、ありがとうございます」
 渚がお礼を言う。
「どういたしまして」
 アズマがこっちを見たので、渚はじっとアズマの顔を凝視してしまった。
「綺麗な目の色ですね」
 今頃、何言っているんだろうと渚は口にして後悔する。
 怒るのではないかとアズマを見たが、アズマは
「ありがとうございます。珍しいでしょう? 紫だなんて」
 と気に留めることもなく、言った。
 車がゆっくりと動き出す。
 渚はハンカチで鼻をかんだ。

「アズマさんて、どうして蘭の護衛係になったんですか?」
 
 今日の出来事で、アズマはやはり良い人だということがわかった。
 フツーなら、護衛係というのは主人の言うことを聴くだけの者だと思っていたのに。
 こうして親切にしてくれる。

 アズマは、渚の質問にハハハハと声を出して笑った。
「それ、サクラ様にも言われましたよ」
「だって・・・」
 渚は口を尖らせる。
「まあ…、簡単に言ってしまうとお金ですかね」
「お金?」
「ええ、あのスペンサー家です。大金が手に入るんですよ」
 ふと、渚はかつてルームメイトであったマオの言葉を思い出した。
 どうして、騎士団に入団したのかと尋ねると、
 彼は、
「お腹いっぱい食べれるから」と言っていた。

 あの時と同じように、渚はぞわっと背中に悪寒を感じた。
 マオと同じ匂いがした。
 餓えの果てにあるのは、たった一つ。
 求めるのはたった一つしかないぞという迷いのない答えだ。

「本当は…私、大学に行きたかったんですよ」
 車がゆっくりと停車する。
 気づけば家の前にいた。
 アズマが呟くように言ったので、渚は「え?」と聞き返した。
 アズマは黙って微笑んだ。