頭上から蘭の声がした。
「こいつに手出したら、わかってんだろな」
「人妻に手出すわけないって。俺、婚約者いるんだから」
 渚くんの声だった。
 具合悪い人間の前で大声を出さないでほしかった。
 暫くすると声がしなくなって。
 目を覚ました。

 頭がグラングランと揺れるのがわかった。
 体調は少しだけよくなったのだろうか。
 辺りを見回すと、まだ船に乗っているんだと絶望する。
「あ、やっぱり起きちゃった?」
 操縦席に座っていた渚くんが言った。
「ごめん…私寝てた?」
 いつのまにか毛布をかけられていた。
「うん、30分くらいかな。大丈夫?」
「…ちょっとだけ良くなったかな」
 窓の外は海のようなものへと変わっていた。
 さっきまで緑色の木々が見えた気がするけど。
 右を見ても左を見ても大海原でしかない。
 時間の感覚が麻痺していたので。
「ここって、まだ湖なのかな…」
 ぼそっと呟くと。
 渚くんが「アハハハ」と笑う。
「もう、とっくに海に出ているよ。あとはひたすら、島に向かって進むのみだよ」
 見た目が12歳の渚くんが笑って教えてくれる。
「…渚くん、船の操縦が出来るんだね」
 目の前に見えるハンドルや、メーターや無数のボタンがぼんやりと目に入る。
「一年間、勉強したからねえ」
 自信満々に答える渚くん。
 にっこりと笑う。
 あまりにも眩しい笑顔にクラクラとしてしまう。

「あのね。カレン。ちょうど2人きりだし、さっき蘭から許可を貰ったからさ」
 そう言って、操縦席から離れて渚くんは私の前に立った。
「俺の素性を明かすことにするよ」
「すじょう?」
 急に何を言い出すんだろうと思った。
 この国では珍しい黒い瞳が私を捕らえる。
「まだまだ、目的地までは遠いからね。暇つぶし程度に聞いてもらえたら嬉しいな」
 そう言ってまた、渚くんは操縦席に戻った。

 具合が悪くて今頃気づいたが、
 窓から潮の匂いがする。
 海原をただひたすら進んで行くのを目にしながら黙っていると。
「俺はね、もともとティルレットの人間じゃないんだ。だから、瞳だって黒いし他の人と違うんだ」
「どういうこと?」
 少し間を置いたかと思うと。
 エンジン音に負けないくらい大声で渚くんが言った。

「俺は、海の一族と呼ばれる末裔なんだ」