(ごめんなさい)

震えそうになる唇でそう言うと、母さんはわたし

の手を擦りながら、細く息を吐いた。

そうして、手話で聞いた。

(彼、手話を覚えてくれてるのね。あなたが

教えているの?)

その問いに、わたしは大きく頷く。

付き合い始める前から、純は指文字を覚えていて

くれたけれど、純がわたしのために頑張ってくれ

ていることが伝わるだけで、十分だった。

(あなたも彼のこと、とても大事に想っている

のね?)

もう一度、大きく頷く。

どちらの気持ちの方が大きいかなんて、わから

ないけれど、純のことはとてもとても大事に

想っている。

あの日、彼が自転車でぶつかってくれたことを、

神様に感謝したいくらいだった。

(じゃあ、ちゃんと“大人らしい”恋愛をしな

さい。彼のこと、悪く思われないように、

ちゃんと地に足のついた恋をするの。毎日毎日、

家を空けるのは良くないわ。お父さんだって、

あなたがいなければ寂しいし、どこで何をして

いるのか、直接聞けないぶん、すごく心配して

いるのよ。それと、どうしても外泊しなきゃ

ならないときは、お母さんに連絡すること。

そうすれば、お母さんだって、その場凌ぎの

嘘を“考える時間”が出来るでしょう?)

そう言うと、母さんは悪戯っ子のような眼差しを

向けた。わたしはその顔を見て、また、泣き

そうになってしまう。



-----やっぱり、母さんは味方だった。



わたしがちゃんと幸せになれるように、

見守っている。

母さんの目が、そう言っている。

(わかった。これからは連絡するし、ちゃんと、

家でご飯食べる日も作る)

そう言うと、わたしは、ぐい、と手の甲で

涙を拭った。ホッとしたように、母さんが微笑む。

子供のころから、幾度となくこの笑みに支えられ

てきたことを、いまになってようやく思い出した。

(わかってくれて、よかった。お父さんもお母さ

んも、安心してあなたを任せられる人になら、

いつお嫁に出しても構わないと思っているのよ。

だから、落ち着いたら、今度彼を家へ連れていら

っしゃい。それまでには、お父さんの気持ちも、

お母さんが解しておいてあげる)

母さんがそう言った瞬間、わたしの胸は嫌な痛み

を訴えた。



-----安心して娘を任せられる人。



そのひと言が、思いがけず胸を抉ってゆく。

もし、純が見える世界を失ってゆく病気を持って

いると知ったら、母さんの笑みは、凍り付いて

しまうのだろうか?

父さんは???

わたしは立ち上がって部屋を出ていこうとする

背中に、手を伸ばしかけた。

けれど、母さんがくるりと振り返ったのと

同時に、その手を引っ込めてしまう。