俺のボディガードは陰陽師。〜第六幕・相の証明〜


玲於奈も、先程の剣軌同様、ヤツの顔を覗き込んでは同様のことを口にしたのだ。



「……随分幸せそうな顔デスネ」

「……」

「……これはこれで良かったのデショウ」

「え?」

「これが、リグ・ヴェーダのお望みだったのでショウね。目を覚ました優サンから聞くまではワカリマセンでした」

「へ……」



これがリグ・ヴェーダの望み?!

この、『死』という結果が?!



「彼もチキンだったということデス」

「って、どういうこと?!優さんからきいたって……?!」


そこで、呑気な会話をしていた私と玲於奈の間に剣軌が突っ込んでくる。

的確ナイスツッコミとも言うべきか。

……いやいや、そうではない。



玲於奈のそのさりげない会話は、この不可解な状況を理解しているということを示していた。



「おっと、そうデシタ。アナタ達、こうしてはいられまセンよ?」


そして、私達は衝撃の一言を告げられる。




「……優サンが、目を覚ましてマスよ?」

「えぇっ……!」

「って、何で?!何でそんなことが!」



予想外の事態に狼狽しかける私と剣軌。

それを見て、玲於奈は「あはは…」と苦笑いしている。


「リグ・ヴェーダから魔力を奪う前に、なずなは『継承の儀』で優さんから【神童】を継承してるんだ。ということは、優さんは他の方法で意識を取り戻していて、これはどう考えても不可解な……」

「……呪いを受けている優さんの精神世界に干渉した結果デス」

「精神世界に干渉?!」

剣軌と揃って声がハモった。



「至って有り得ない、強引で型破りな方法デスが……」

「は?誰が?!」

「我々の周りで、他人の精神世界に干渉出来る御方といえば、そこに寝転がっているヒトと……もう一人、いるデショウ」

「あ……」



それって、まさか……。



(れ、伶士……?)



伶士が……親父を起こしたのか?



「って、何で伶士がそんな事出来るんだ?まるで力が覚醒……」

「それはさておいて、悠長なコトを言ってられまセン。タイムリミットがありマス」

「さておいてって何だ?!伶士の力が覚醒してるって、超重要事項だぞ?!……なあ、おい!」

「……」

喚く私を、二人がポカンと見ている。

え?知らなかったの?みたいな。……って!何?何その反応!

……って、マジか!


「さてさて、本当に悠長なコトを言ってられませんよ、御二方」



玲於奈の言葉に、私達は息を呑み、頷く。

それは、わかっている。

親父の呪いが解けた暁に待っているのは……『死』ということぐらい。

まさか、あんなガリガリのミイラのような体でこれから生命を維持し続けられるとも思えない。

今まで病床で眠る親父を見てきたから、それぐらいはわかる。

意識が戻ったとしても、親父は長く持たないだろう。



でも、目が醒めた。呪いが解けたとしても、もう二度と目を醒ますことはないと言われていたのに。

目を開けた。……それだけでも奇跡は奇跡なのだ。

その奇跡に感謝せずにはいられず、胸が感動で打ち震える。

事の事情は、伶士にあとでたっぷり追及してやる。私に超重要事項を隠し事とわ……!





「さあ、急ぎましょう。優サンがアナタ達のことを待ってイマス」









☆☆☆








『…何だ?…何だ何だ?!…悪者である僕たちを滅ぼして!この世界を救う正義の味方にでもなったつもりか?!あぁ?!』




ーーー『正義』を振り翳して、上から物を言われるのが嫌だった。

清く正しく、間違わないではみ出さず真っ直ぐに生きている奴らに。



俺たちは、いつも奪われてばかりだ。

過去に誤ち……カルマを背負ってしまったばかりに、どこまでも虐げられる弱者の立場なのだから。

俺たちに『正義』を語る資格はない。負い目を背負っている生きている俺たちに。



……なのに、こんな問いを繰り広げるヤツがいた。



『人は正しくなれない生き物だよ。果たして我々と君ら、どちらが正義か?』



どちらが『正義』?

喉の奥まで出掛かる声を堪える。

その言い方、俺たちにも『正義』を語る権利があると言いたいのか?

ふざけるな。そんなもの、あるわけないのに。

もしかして、手を差し伸べているつもりか?偽善者ぶりやがって。

……心の中では俺たちを見下しているくせに。




『じゃあ、今一度君に問う』

『…正義とは、何か』



あぁ、腹立たしい。

俺たちが『弱者』の括りにされ、見下されていることが。



『待った。待った待った。ストーップ。正義を巡って何二人で睨み合っちゃってんの』



難題を問い合う俺たちの間に割って入ったのは、目の前の夜薙和羅と共に、俺が潜伏しているビルの屋上にやってきた男だった。

名前は、音宮優。



『その議題は答えがない。混沌とするでしょ?ねえ、大石くん?』



二つの黒い翼を背中に背負ってるという悍ましい俺にでさえ、何の警戒心も見せないどころか、微笑みかけてくる。

背筋がゾッとする。

そして、彼の一言はカルマを背負ったこの俺をもっとゾッとさせるのだ。




『正義とは、善悪じゃない。自分の大事なものを護る、その為に自分の中に掲げた信念。……というか、誰だって善であり悪の部分を持ってる。正義を善悪の評価の物差しにしてはいけないよ』

『は……』

『そういう思想のもとでは誰もが平等だ。人間は正しくなれない生き物、とはうまいこと言ったねぇ?和羅』




……その時、俺は思った。

音宮優。この男こそ、偽善者だ。敵だ。

俺たち『弱者』に、綺麗事を言って手を差し伸べようと『正義』の面を被ってやがる。

本当は、俺たちのことを見下して嘲笑っているくせに。


けれど、今の俺たちは『弱者』ではない。

抗う力を持っているのだから。





『正義』とは、何か。





……『正義』とは、『悪』を懲らしめるもの。

皆からの賞賛を大いに受けて、太陽の下で堂々と暮らすもの。



俺、大石明生は、その『正義』を傍で見て生きてきた。



それは俺の母親だ。



母親は、裁判官だった。

『正義』を振り翳して『悪』に罰を下す、正義の味方。

その名の通りに相応しく、いつも洗練された身なりで、背筋を伸ばした凛とした佇まいをしていた。

そして、性格としても悪いことは許せない正義漢のようで、間違ったことは間違ってるとはっきり申してしまう。

清く正しく、間違ったりはみ出すことは許されない。

それは子の教育にも反映されていて、ちょっと悪いことをしたら、こっぴどく怒られた。



だが、そんな母の姿は、第三者から見ると眩しいらしい。



『大石さんってば、裁判官なんて仕事もこなす上、子供の教育や家の事もしっかりしてるのよね』

『その上、PTA役員も引き受けてるんでしょ?凄いわよね?懇談会の時、先生たちにも臆する事なく意見言えちゃうし』

『素敵よね、凄いわよね』



俺と同じ年頃の子を持つ母親、いわゆるママ友らからも、羨望の眼差しを浴びていた。



行きすぎて小煩くも感じたが……自慢の母親、だった。

あの事件が起きるまでは。



それは、俺が小学五年生の時。

学校帰りに、PTA役員の集まりで来校していた母親と並んで歩いていた時のことだった。

けど、こんな歳にもなって母親と並んで歩くなんて恥ずかしい。そんな嫌悪を持って、足早に母親の先を歩く。

少しでも離れたい、そんな事を思った俺は赤信号にも関わらず横断歩道を渡るという、ちょっと間違ったことをした、その時だった。

ちょっとの間違いだと思っていたら、それは大きな間違いで、横断歩道を渡る俺の横から車が直進してきた。青信号だから当たり前だ。

突っ込んでくる車を前に、誤ちを犯した後悔と恐怖で立ちすくんでいると、母親が飛び出してきて、俺を歩道へと突き飛ばす。

母親は俺の代わりに車に跳ねられ……即死だった。

母は、俺を庇って死んだのだ。



正義漢の強い母親が、身を挺して我が子を救う。

周りでは美談として語られた。



……どこが、美談だ。



それを美談として語る周りの奴らには見えないところで。

遺された俺たち家族には……地獄が始まった。

母は、俺の身代わりとなって死んだ。

俺が誤ちを犯したために。

俺のせいで死んだのだ。



……だなんて、面と向かって責めてくるヤツは、親族をはじめ、周りには一人もいなかった。

皆、母の死を嘆いて涙を流す。

生き残った俺に、どの誰もが『母さんに助けてもらったこの命なんだから、強く立派に生きるのよ』と表ではお涙頂戴の激励をしていくが。

俺に背を向けて、聞こえるか聞こえないか程度の声でヒソヒソと話し、静かに批判されているのはわかっていた。

俺は母を殺したようなもんだ、と。



母という光を失った家の中も、混沌としていた。

父は元々しがない営業マンだったが、愛する母を永遠に失ったことで、精神的に不安定となり、仕事にも行かなくなり、酒とギャンブルに溺れる。

母親の名前を叫び、嘆く。

その勢いで酒の力で暴れ、家の中は荒れ果てる。外でも警察のお世話になることがしばしばあった。

そればかりか、母親の面影を追って、血の繋がった娘である姉に手を出そうとした。

姉は自分の身の危険を感じ、家を出て母親の実家へと逃げる。


『私はここにはもういられない。……明生、一緒におばあちゃんのところに逃げよう?』



姉に手を差し伸べられたが……その手を取らなかった。

母は俺のせいで死んだのだ。

祖母も俺が憎くて憎くて仕方がないはず。

娘が死んだ原因の張本人の俺が、その母の傍にいられるワケがない。

姉は、一人で家を出て行った。



荒れ果てた家には、我を失い見る影もなく変貌した父と二人。

ボロボロの姿で外をほっつき、たまに帰る父は、酒の勢いで俺に、とうとうその一言を浴びせる。

何故、母が死んでおまえが生きているのだ。と。



それは、俺にもわからない。

何故、母が死んで俺が生きているんだ?

みんな、人望があり有能な母が死んで……誤ちを犯した俺が生き残ったことを嘆いている。

ならば、いっそのこと、俺が死ねば良かったのに。

何故、母は俺を庇ったのか。

何故……何故?



(母さん、何でだよ……)



その答えは、死人に口無しで、もう母から聞くことは出来ない。

頭を抱えて、俺も嘆く。

生きている負い目に、押し潰されそうになっていた。