「じゃあ隣の部屋にいるから」

 シルヴィエは控えの間に向かい、ソファに座る。本でも読もうかと思ったのだが、どうも眠気がひどい。この体になってから、シルヴィエは昼寝でもしないと体が辛くて堪らなくなってしまっていたのだった。

「むにゃ……」
『ねんねですか、あるじー』
「ああ、クーロもおいで」

 シルヴィエはクーロのふわふわの体を抱いてそのまま横になった。



「きゃあああ!」

 しばらくして。
 うとうととしていたシルヴィエだったが、隣の部屋から聞こえて来た金切り声に飛び起きた。

「何事だっ!?」
『うううっ、へんなけはいがしますー!』

 クーロの背中の毛が警戒の為に逆立っている。

「先生!」

 シルヴィエが慌てて扉を明けると、そこには真っ青な顔をした二人の王子と、腰を抜かした絵画教師がいた。

「何をしでかした! ……なるほど」

 シルヴィエが床に目を落とすと、そこには石版が落ちている。
 その石版には拙い召還陣が描かれていて、そこから伸びた黒い腕ががっしりと絵画教師のスカートを掴んでいた。

「ひっ……」
「これは悪魔召喚の陣……まったく」

 シルヴィエはふんと鼻を鳴らすと、ロッドを大きく振り上げた。その大きさによろよろしたがなんとか持ちこたえる。

「安心おし。『いと慈悲深き神霊よ、その御手にて悪しきものの呪いを裁ち切りたまえ。解呪(ディスベル)

 そうすると、魔法陣から伸びていた腕はモロモロと黒く崩れ去った。
 そのままシルヴィエは石版をたたき壊した。
 絵画教師は魔法の衝撃か、恐怖のあまりか気を失っている。

「ルーカス! これはルーカスの字だね」
「……はい」
「そしてここはレオンの字!」
「……はぁい」
「勝手に……しかも、よりにもよって悪魔召喚だなんて!」

 シルヴィエは二人の王子をギロリと睨んだ。

「こ、この本の中でそれがかっこよさそうだったから……」
「ほんとうに動くと思わなかったの……」
「ほほう! 私が居なかったら絵画の先生が地獄に引きずり込まれるかも知れなかったんだよ!? それなのに言い訳かい!」

 頭にきたシルヴィエが王子たちを怒鳴りつけると、彼らはブルブルしながら頭を下げた。

「ごめんなさい……」
「もうしません」
「当り前だよ!」

 そう言ってシルヴィエは二人の手を引っ張った。

「これはしゃれにならないイタズラの罰! 『魔力吸引(マジックドレイン)』」
「あっ……」
「ああ!」

 シルヴィエは二人の魔力を吸い取った。
 二人は急激に魔力を失った二人は床に這いつくばった。

「く、くそ……父様に言いつけてやる」
「はっはっはーっ! こんなことごときで王が私をどうにかするものか!」
「く……」

 二人の王子は激しい眩暈にうつ伏せになった。しばらくは立ち上がることもできまい。

「……本当に手のかかる子たちだこと!」

 そうシルヴィエが深いため息をついた時だった。背中のボタンがパチンと飛んだ。

「……え?」

 ブチブチ! と服が音を立てている。

「服が……なんだ、小さく……?」
『あるじ、からだがのびています!』

 いや、違う。これはシルヴィエの体が大きくなっているのだ。シルヴィエは自分の手のひらを見て確信した

「やった……元に……戻る……?」

 しかしすぐにハッとする。来ていた子供服は文字通りはち切れて布きれ同然になっている。
 こんなところに人が来たら……。

「どっせい!」

 シルヴィエはテーブルの上のクロスをひっぱり、体に巻き付けた。

「『創造(クリエイト)』!」

 呪文とともにロッドが青く光り、シルヴィエの体をその光が包み混む。
 すると、ただの布に過ぎなかったテーブルクロスが白いドレスへと変化した。

「ふう……さて……」

 シルヴィエは部屋の惨状を見渡した。

「逃げるか!」
『はい!』

 面倒事はごめんだ。後で王から少々諫められるかもしれないが。
 それに……自分の体に何が起こっているのか一刻も早く知りたい。
 そう思って、シルヴィエはクーロを抱いて窓の桟に手をかけ、ひらりと飛び降りた。

「はい着地、百点満点」

 ふわりと風を操って王城の裏庭に舞い降りたシルヴィエは得意気に手を高々と挙げた。
 やはり体に力が漲っている。

「うむ、気分がいい」

 シルヴィエはそのまま館に戻ろうと歩きだそうとした。
 
「待ってくれ!」
「え?」

 すると、急に声をかけられた。どこか聞き覚えのある声だ。
 シルヴィエが振り返ると、そこには金髪碧眼の青年が目を丸くして立ち尽くしていた。

「ユリウス……」
「俺の名を知っているのか?」

 それはこの国の第一王子、ユリウス。
 知っているもなにも十年前のシルヴィエの教え子だった。
 久し振りに会ったが、すらりと背も伸びて随分な美男子に成長した、とシルヴィエは思った。
 
「一体どこからやってきたんだ?」

 そう言いながらユリウスは頭上を見あげる。
 シルヴィエはまさか王族の子供部屋から逃げてきました、とは言えずに黙ってしまった。

「君は誰だ」

 教え子だったにも関わらず、ユリウスはシルヴィエのことが分からないようだ。

「すまない、急いでいる」
「……待って、せめて名前を」

 ユリウスはその場を立ち去ろうとするシルヴィエの腕を掴む。

「何を言っているんだ?」
「……それは……」

 ユリウスは少し躊躇した後、するりとシルヴィエの手を取った。

「……貴女が美しいからだ」
「へっ!?」

 急にとんでもないことを言われたシルヴィエは思わず声が裏返った。

「貴女のような美しい方を俺は見たことがない。どうか名を。私は貴女に一目で心奪われてしまった」
「ちょ……ちょっと……?」

 シルヴィエはそんなことを言われたのは初めて……というか、ユリウスはまるで息子、いや孫でもおかしくない年齢だ。

「何かの間違いでは?」
「冗談に聞こえるかもしれない、でも信じて欲しい」

 ユリウスの手に力が籠もる。その群青の瞳は情熱的に潤んでおり、どうやら本気らしいとシルヴィエは感じた。

「ええっと……」
「君をなんて呼んだらいい?」
「えええっと……」

 シルヴィエは変な汗をかいていた。
 少女の頃から教会で育ち、それからずっと女盛りが過ぎるまで聖女として暮らしてきたシルヴィエ。
 つまりは、この歳になるまで男性にこんな風に迫られたことなどないのだ。
 しかも元教え子に!? 冗談じゃない、と思いながらシルヴィエの頬は熱を持っていた。

「……リ」
「え?」
「リリー」

 シルヴィエは絞り出すようにしてそう答えた。
 すると、ユリウスはパッと花の咲くような笑顔を浮かべた。

「リリー……綺麗な名前だ」
「これでいいだろうっ! 失礼する!」

 シルヴィエはユリウスの手を振り払うと、ロッドを地面に打ち付けた。
 するともくもくと煙が立つ。

「ごほっ……」

 たまらず顔を背けたユリウスが再び目を開けた時には――。
 そこにシルヴィエの姿は無かった。