「今日も駄目か」

 ここのところ毎朝、目を覚ますと大人の姿に戻ってはいないかと姿見の鏡の前に向かうのが習慣になっていた。
 以前は鏡などロクに見なかったのに皮肉なものだ、とシルヴィエは思った。

「お茶をお持ちしました」
「ああ」

 エリンの淹れてくれた朝のお茶を飲みながら、シルヴィエは今日の授業のことを考えて憂鬱な気持ちになった。

「まったくあの子たちときたら……」

 あの王子達には書き取り計算の他に魔法学はもちろん、いずれ歴史学・法学・政治学と王家に連なる者として恥ずかしくない知識を得て貰わなくてはならないのだが……。
 いまのところフェンリルのクーロに夢中でまともに授業にならないのだった。

「はあー……」

 シルヴィエは深くため息をつくと、身支度をして朝食を取り、重い足取りで王城へと向かった。

「これはオレの! レオンのはそこにあるだろう」
「やだー、にいさんの持ってるのがいい!」

 着くなり、二人は絵本の取り合いをしている。

「うわあああん」

 しかもレオンはすぐに泣く。末っ子で甘やかされたせいだろうか。

「ほらほらほら! 授業をはじめるよ!」

 うんざりしたシルヴィエはガンガン、とロッドを床に叩きつけ二人の注意を引いた。

「やだ! 今遊んでるんだもん」
「やだっ、じゃない。ルーカスは口答えの罰としてここの書き取りを十回、レオンはここを十回。はい、はじめ」
「くそう……」
「ふぇええ……ぼくはなにもしてないよう」
「連帯責任だ、ぶつぶつ言わん!」

 シルヴィエはその間に背の高い椅子によじ登って、二人を見張った。

「できた!」
「ぼくも!」
「どれどれ……」

 シルヴィエがノートを覗き込もうと机に近づいた。

「うん、確かに出来てるね」
「じゃあ、クーロと遊んでいい?」
「遊んでいい?」
『あそんでいいですか?』
「それはまだ!」

 シルヴィエはこの言うことを聞かない二人をなんとか言うことを聞かせようとした結果、クーロで釣っている状態になっていた。
 悪いのはこの幼女の見た目だ。王子達は自分達より年下に見えるシルヴィエを先生と呼びはするものの、態度はひどいものだった。

「次は魔法の勉強だ!」

 シルヴィエはドン、と大きな本をなんとかテーブルに載せた。

「君たちはどんな魔法が使える?」
「手を洗う水を出したり、風を出して自分の髪を乾かしたり、あ、あと火を点けるのもできるよ」
「ぼくもー」
「嘘つけ、レオンは火は使えないだろう」
「うう……」
「はいはい、じゃあッ基本的な生活魔法はもう出来るってことだね」
「うん。先生、もっとかっこいい魔法を教えてください!」

 こんな時だけルーカスは殊勝に先生、と呼んでくる。

「はあ……それは後。お前達が扱ってもいいと思ったら教えるよ」

 このやんちゃな二人に、要望通りの魔法を教えたらいいおもちゃにしそうだ。
 王族の魔力は一般人より高いと言われている。
 この二人ならもしかしたら可能かもしれないが、幼い精神のままでは教えられない。

「本日は魔法陣の書き方の基礎から」
「えー」
「えー、じゃない。少ない魔力でも安定して効果を生むのが魔法陣だ。しかも奥の深い世界。例え普段魔法を使うことがなくても契約紋などは王族ならば必ず使うはずだ」

 そう言ってシルヴィエは、石版を置いた。

「まず、水を出す魔法陣を書いて貰う」
「えー、魔法陣なんかなくてもできるよ」
「例題、だ。なんだっていいんだ。さぁやりな」
「うーん……」

 二人は魔法陣を書くのは初めてらしい。チョークを手に固まってしまった。

「水の魔法は四方に水の精霊の名を……それから、そう効果と魔法名。そして円は綺麗に。ここがぶれると不安定になる」
「えーん、できないよう」
「レオン、大きく書きすぎだ」

 なるべく丁寧に優しく、シルヴィエは魔法陣の基本的な構造を教えていく。

「さ、ここに桶があるから出来た魔法陣を使って見よう」

 なんとか形になったものを今度は実戦してみることにする。まずはルーカスが魔法陣に魔力を流した。

「わあ、もう桶一杯になった」
「魔力を止めて。どうだい、魔力だけの魔法も手軽だけど、魔法陣を使うと安定するだろう?」
「うん」
「ぼくにもできるかな……」

 お次はレオン。少しちょろちょろとしていたがキチンと水が出た。

「できたー」
『おうじさまたち、すごいですー』

 クーロは尻尾をフリフリ二人の王子を褒めた。

「上等だ。今日はここまで。次は絵画の先生がやってくるからね」

 絵画と音楽の先生は別に着いている。さすがのシルヴィエもそこは専門外だからだ。

「はーい」
「絵画が終わったらクーロと遊んでいいからね」
「やったー!」
『わーい』

 シルヴィエは今日もなんとかやり遂げた、とふうとため息をついた。