「僕のことを“かわいそう”だと言うくせに、あいつらは何もしてくれなかった…!
“かわいそう”だと貶めるだけ貶めて…何がおもしろいんだよ…!」
弘人の目からボロボロと涙がこぼれ落ちていた。
「あ、“あいつら”って…一体、誰の話をしてるの?」
突然泣き出して震えている弘人のその姿に、柚愛は訳がわからなかった。
「僕は“いらない子”じゃない!」
突然のように叫び出した弘人に、柚愛はビクッと恐怖で躰を震わせた。
「違う違う違う!
僕は違う!
僕は“いらない子”じゃない!
違うんだよ…!」
狂ったように叫んでいるその姿は、まるでホラー映画を見ているようだった。
「あっ、あっ…」
弘人は膝からその場に崩れ落ちた。
「うわあああああああああああああああああっ!」
その体勢で大きな声で叫んだかと思ったら、突っ伏すように倒れ込んだ。
柚愛は震えながら、弘人のその姿を見ていることしかできなかった。
自分と加納のことを悪者扱いして、自分が言い返したら口を閉じて躰を震わせたかと思ったら、突然のように泣き出して、狂ったように叫んで倒れた。
突っ伏した状態で大きな声で叫ぶように泣いている弘人の姿は、恐怖そのものだった。
その時だった。
「そこまでだ!」
バン!
ドアが大きな音で開かれたかと思ったら、そこに乗り込んできたのは制服姿の警察官たちだった。
「柚愛!」
彼らの中から尾関が現れて、柚愛に駆け寄ってきた。
「れ、麗一さん!」
柚愛は彼の名前を呼んだ。
「俺がいなかったせいで、こんなことになっちまって…ごめん、本当にごめん…!」
柚愛の姿を見た尾関は泣きながら謝った。
「だ、大丈夫だから…私は、何もされていないから…」
そんな尾関を柚愛はなだめた。
弘人は警察官たちに連れ去られていた。
「柚愛、俺たちも行こう」
そう言った尾関に、
「それが…」
柚愛は足首に巻かれている鎖を指差した。
「あいつ…!」
それを見た尾関は弘人の方へ行こうとしたが、
「待って、落ち着いて!」
柚愛は彼の腕にしがみついて止めた。
「ああ、そうだな。
まずはそれが先だな」
腕にしがみついて止めたのを先に鎖を外してくれと解釈をしたみたいだ。
本当は尾関が弘人を殴りに行くのを止めただけなのだが、そんな風に勘違いをしてくれたことにホッと胸をなで下ろした。
「うわっ、どうやって巻かれてるんだよ…」
足首の鎖に尾関は困った様子を見せた。
* * *
「協力をすればいいんだよ」
「ーーあんた、何を言ってるの?」
まるでおかしなものを見るように、加納が弘人に視線を向けた。
「協力をするって、要するに私に犯罪の片棒を担げって言うことじゃない!
加藤木さんを誘拐しろだなんて、頭がおかしいにも程があるわ!」
加納は言い返した。
「俺はあの尾関と言う男から柚愛を奪い返したいだけなんだよ!
あいつは俺と言う存在がいながら、あの男と浮気をしていた!
結婚するとか何とか言って別れを切り出されて家も出て行った!」
そう叫ぶように言った弘人に、
「…そう言うところが嫌だったんじゃないんですか?」
と、加納は冷たい声で言った。
「はっ?」
聞き返した弘人を加納は冷たい目で見つめた。
「私は浮気や不倫を許さない人間ですけれど…あなたの話を聞いていると、浮気をされたあなたにも原因があるんじゃないかと思いました。
加藤木さんはあなたのそう言うところが嫌だっから別れたんだと思いました」
加納はあからさまだと言わんばかりに息を吐いた。
「自分の悪いところは棚にあげて、人の悪いところは大きな声で責め立てて悪者扱いするーーあなたのその性格が嫌だったから、加藤木さんは別れたんじゃないんですか?
正直なことを言うと、心の底から加藤木さんに同情しますよ。
こんな嫌なヤツと10年以上もつきあっていた彼女が気の毒で仕方がないですよ」
「何だと…?」
弘人はキッと加納を見つめると、
「お前…自分の母親や弟妹がどうなってもいいって言うのか!?」
と、言った。
「お母さんとあの子たちを利用するなんて最低ですね!
家族を引きあいに出して脅せば協力をしてもらえると考えてる時点であんたはもう人間じゃない、人の形をしている化け物よ!」
加納は大きな声で言い返した。
「お母さんとあの子たちに手を出したら絶対に許さない!
もし手を出したら、あんたを殺してやる!」
「お前…俺をバカにして何がおもしろいんだ!?」
「はあっ!?
バカにしているのはそっちの方じゃないですか!?」
加納はビシッと人差し指で弘人を指差した。
「そんな犯罪まがいなことをして加藤木さんを取り返そうとして何になるんですか!?
仮にそんなことをしたって彼女は戻ってこないわ!」
加納は言った。
「浮気されたことも別れたことも受け入れられなくて、犯罪を犯してまでも加藤木さんを奪おうとしているあなたを例えるとするならば子供よ!
自分の思い通りにならなくて親に泣きわめいているだけのイヤイヤ期の子供よ!
そんな子供と一緒にいるのが嫌だったから加藤木さんはあなたと別れて尾関さんを選んだ、それだけよ!
それなのに、何もわかっていないうえに理解しようとしないあなたはかわいそうな人間だわ!」
「ーー今、俺のことを“かわいそう”って言ったか…?」
叫ぶように言い返した加納に対して、弘人は震えていた。
「そんなんだから加藤木さんからいらないって言われたのよ!
あなたは彼女にとっていらない人間だったから別れた!」
「ーーい、“いらない”…?」
大きく見開かれた弘人の目から、色が失った。
「このことは尾関さんにはもちろんのこと、警察にも通報するわ!
加藤木さんだけじゃない、お母さんとあの子たちに手を出そうとしたことも全部言ってやる!」
加納はそう叫んで早足で弘人の前から立ち去った。
「ーー僕は、“いらない子”じゃない…!」
そう呟いた弘人の声は、加納の耳に聞こえていなかった。
「違う…違う…違う…!
僕は違う…僕は、“いらない子”じゃない…!」
同じことを呟いている弘人の視界に入ったのは鉄パイプだった。
弘人はそれを手に取ると、加納の方を振り返った。
彼女は早足で廃工場から出ようとしているところだった。
「ーーうっ…あああああああああああっ!」
鉄パイプを片手に弘人は叫んで、加納の方に向かって駆け出した。
叫び声に驚いた加納がそちらの方に視線を向けた瞬間、
「ーーッ、うっ…!?」
鉄パイプが目の前に振り下ろされた。
頭に衝撃を受けた加納は、その場に倒れた。
鉄パイプを片手に持っている弘人は加納を見下ろした。
「ーーお前が…」
倒れて動かない加納に向かって、弘人は言った。
「お前が悪いんだ…協力をしなかった、お前が悪いんだ…!
僕は何も悪くない…悪いのは、お前なんだ…!」
そこから逃げようと思ったのと同時に、鉄パイプに加納の血がついていることに気づいた。
同時に、素手で鉄パイプを持っていることにも気づいた。
血はともかくとして、持っていることは隠さなければ…!
弘人はジーンズのポケットからハンカチを取り出すと、持ち手の指紋を消すように拭いた。
この時間なうえに場所もそうだから、目撃者はいないだろう。
そう思った弘人は鉄パイプをその場に捨てると、逃げ出したのだった。
* * *